同じ机に並べるために
王宮とシルヴァーヌ侯爵家の二箇所で、似た条件から未知記号様反応が出た。
その報告は、王宮の中でも慎重に扱われた。
大げさに騒げば、ただの未証明現象が政治問題になる。逆に小さく扱いすぎれば、せっかく記録された問いがまた埋もれる。ルイスはその危うさを理解していた。
だから翌朝、彼は小執務室にオルテガとギルバートだけを呼んだ。
机の上には、王宮側の模型記録と、シルヴァーヌ家側から届いた記号の写しが置かれている。
「同じ机の上で比較する必要がある」
ルイスが言うと、オルテガは重く頷いた。
「同意します。二箇所で似た反応が出た以上、次は模型そのものを同条件で並べるべきです」
「問題は場所だ」
ギルバートが静かに言った。
「王宮へ模型を持ち込ませるか。あるいは、王宮側の模型をシルヴァーヌ侯爵家へ出すか」
どちらも簡単ではない。
王宮へリゼットを呼べば、六歳の令嬢を未証明現象のために出入りさせることになる。しかも、彼女は王宮の魔法陣に対して異様な観察力を持っている。警戒する者は必ず出る。
一方、王宮側の模型を侯爵家へ持ち出せば、宮廷魔術師団の検証手順や記録方式が外へ出る。たとえ防衛機密ではなくとも、よい顔をしない者はいるだろう。
「第三の場所は」
ルイスが尋ねる。
オルテガは少し考えた。
「王宮外苑の旧温室が使えます。現在は薬草管理用の倉庫に近い扱いですが、王宮敷地内でありながら大広間ほど機密性は高くない。光源の調整もしやすい」
「警備は」
「最小限で済みます」
ギルバートが記録する。
「では、旧温室を候補にする」
ルイスは即決しかけて、少しだけ止まった。
「いや。シルヴァーヌ侯爵に先に照会を出せ。こちらから場所を決めつけると、また条件の偏りになる」
オルテガがかすかに笑った。
「殿下も、ずいぶん観測条件にうるさくなられましたな」
「感染した」
ルイスは真顔で答えた。
ギルバートは、笑ってよいのか判断できず、羽根ペンを動かすことに集中した。
* * *
同じころ、シルヴァーヌ侯爵邸では、サイラスがリゼットに釘を刺していた。
「王宮へ行くとは限らない」
「はい」
「王宮側の模型が来るとも限らない」
「はい」
「こちらから、同じ机で比較したいと要求するのも早い」
「はい」
リゼットは素直に頷いている。
サイラスは不安になった。
「……本当に分かっているのか」
「分かっています。こちらから急ぐと、共同観測ではなく、こちらの都合による押し込みになります」
「その通りだ」
「ですので、先に比較条件案だけ作ります」
「やはり作っていたか」
サイラスは額を押さえた。
机の上には、すでに羊皮紙が三枚ある。
『共同観測・条件案』
『場所候補』
『持込物一覧』
『観測者の役割分担』
『棄却条件』
『記録水晶の同期方法』
サイラスは、最後の項目で眉をひそめた。
「記録水晶の同期方法?」
「王宮側とこちら側の記録水晶で反応時刻がずれると、比較ができません。最低でも同じ基準音か、同じ魔力信号で開始時刻を合わせる必要があります」
ロアンが横から頷いた。
「それは重要です。模型を並べても、記録時刻がずれれば、反応の順序が判断できません」
マリーは、茶器を置きながら遠い目をした。
「お嬢様が王宮へ行かない話をしていたはずなのに、いつの間にか王宮と記録水晶を同期する話になっております」
「まだ行くとは決まっていません」
「行く気のある人の準備でございます」
リゼットは否定しなかった。
* * *
昼前、王宮から照会が届いた。
内容は、共同観測の実施可否と場所候補についてだった。
候補は三つ。
一つ、王宮小解析室。
二つ、王宮外苑の旧温室。
三つ、シルヴァーヌ侯爵邸の実験室。
それぞれに利点と欠点が書かれている。王宮小解析室は記録設備が整っているが、リゼット側の持ち込み制限が多い。旧温室は光源条件を作りやすいが、仮設設備が必要。侯爵邸はリゼット側の模型環境を保ちやすいが、王宮側の記録水晶を外へ出す必要がある。
サイラスは読み終え、少しだけ感心した。
「向こうも、ずいぶん丁寧に書いてきたな」
「観測条件を考慮しています」
リゼットの声が、少し嬉しそうだった。
「嬉しいのか」
「はい。王宮側が、場所を権威ではなく条件で選ぼうとしています」
「それは良いことだな」
「はい」
リゼットは頷き、すぐに候補を見比べ始めた。
「旧温室が妥当です」
即答だった。
「理由は」
サイラスが尋ねる。
「王宮小解析室は、王宮側の条件に寄りすぎます。侯爵邸は、こちら側の条件に寄りすぎます。旧温室は、どちらにとっても不便です」
「不便なのが良いのか」
「はい。どちらにも完全には有利でない場所は、中立性が高いです」
ロアンが小さく笑った。
「研究者らしい判断ですね」
「ただし、旧温室には問題があります」
「何だ」
「温室ということは、光が入りすぎます。夜間使用か、遮光布が必要です」
マリーの肩が揺れた。
「夜間……でございますか」
「夜会時の条件に近づけるには、夜間の方がよいです」
サイラスは静かに胃を押さえた。
王宮外苑。
旧温室。
夜間。
六歳の娘。
どれも単体なら何とかなるが、組み合わせると非常に不穏だった。
「夜間ではなく、夕刻で調整できないか」
「可能性はあります。光源条件を人工的に作るなら、完全な夜である必要はありません」
「では夕刻だ」
「ただし、暗幕は必要です」
「暗幕くらいならよい」
マリーが小さく震えた。
「旦那様。暗幕くらいなら、という感覚がすでに危険でございます」
サイラスは否定できなかった。
* * *
午後、リゼットは共同観測の条件案をまとめた。
ただし、サイラスの命令により二ページである。
リゼットは不満そうだったが、今回は譲った。王宮側も三候補を簡潔にまとめてきた以上、こちらが十二ページで返すのは均衡を欠く。
条件案は、必要なものだけに絞った。
『場所:王宮外苑旧温室を第一候補』
『時間:夕刻。暗幕により光源条件を調整』
『模型:王宮模型、シルヴァーヌ家模型、接続型、非接続型、中間型』
『観測者:王宮側二名、シルヴァーヌ家側二名』
『記録:同一開始信号による記録水晶同期』
『棄却条件:二重化および未知記号様反応が三回連続で再現しない場合、当該条件では未再現とする』
サイラスは読みながら、最後の一文で手を止めた。
「未再現とする、か。否定ではないのだな」
「はい。条件を変えれば出る可能性が残ります」
「いつまで続くのだ、これは」
リゼットは少し考えた。
「分かるまでです」
「聞く相手を間違えた」
サイラスは深く息を吐いた。
だが、書類の内容自体は悪くない。むしろ、驚くほど王宮側に配慮している。模型の持ち込み範囲も、観測者の人数も、必要最低限に抑えられていた。
この娘は、少しずつ学んでいる。
突撃するより、条件を整えた方が強い。
それを理解し始めている。
「よし。これで返す」
「ありがとうございます」
「ただし」
サイラスは娘を見た。
「共同観測が許可されても、勝手に王宮の他の魔法陣を見ないこと」
リゼットは黙った。
「リゼット」
「見えてしまう場合があります」
「見ない努力をしなさい」
「努力します」
マリーが、これは見ますね、という顔をした。
ロアンも、これは見ますね、という顔をした。
サイラスは、胃薬の瓶を開けた。
* * *
その日の夕方、王宮に条件案が届いた。
ルイスはそれを読み、旧温室の項目で小さく頷いた。
「向こうも旧温室を選んだか」
「中立性を理由にしております」
ギルバートが答える。
「リゼット嬢らしい」
オルテガは条件案の下部を見ていた。
「記録水晶の同期まで要求しておる。良い条件ですな」
「カミーユはどう見る」
ルイスが尋ねる。
部屋の隅に控えていたカミーユは、少し緊張した顔で進み出た。
「妥当です。ただし、棄却条件に一つ追加すべきです」
「言え」
「王宮模型、シルヴァーヌ家模型、どちらか一方でしか未知記号様反応が出ない場合、模型差ではなく製作誤差の可能性を優先して検証する、と明記した方がよいと思います」
オルテガが目を細めた。
「よい反論じゃ」
カミーユは続けた。
「同じ机に並べても、同じ現象が出るとは限りません。むしろ、出なかった場合の扱いを先に決めるべきです」
ルイスは頷いた。
「採用する」
カミーユの肩から、少しだけ力が抜けた。
彼はもう、ただの否定役ではない。
問いを壊すためではなく、問いを壊れにくくするために疑っている。
ルイスは、その変化を面白いと思った。
「では、共同観測を許可する。場所は旧温室。時間は夕刻。人数は最小限」
ギルバートが記録する。
「シルヴァーヌ侯爵家へ返答を」
「承知しました」
ルイスは窓の外を見た。
王宮外苑の旧温室。
今は誰も使っていない、古い硝子張りの建物。
そこに、王宮の模型と侯爵家の模型が並ぶ。
そして、あの令嬢も来る。
ルイスは少しだけ口元を緩めた。
これは面会ではない。
交渉でもない。
共同観測だ。
その言葉が、なぜか少し楽しそうに響いた。




