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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第三章】同じ机に、載せる

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王太子、参考記録を読む

 翌朝、シルヴァーヌ侯爵家から王宮へ、一通の封書が届けられた。


 封蝋には侯爵家の紋章。宛先は王太子付き筆頭侍従ギルバート。差出人はサイラス・ド・シルヴァーヌ侯爵である。


 中身は、八ページの比較報告書だった。


 分厚くはない。王宮に送る資料としては、むしろ控えめな量だ。だが、ギルバートは封を切る前から、妙な重さを感じていた。


 紙の厚みではない。


 昨夜から続いている、あの六歳の令嬢の問いの重さだった。


「殿下。シルヴァーヌ侯爵家より、例の資料が届いております」


 朝の執務を終えたルイスは、差し出された封書を見て、すぐには手を伸ばさなかった。


「早かったな」


「侯爵閣下の確認印がございます。屋敷付き魔術師ロアン殿の署名、エミール・ガラン殿の参考署名も添えられております」


「エミール・ガランか」


 ルイスは小さく呟いた。


 その名を聞くだけで、宮廷魔術師の何人かは眉をひそめるだろう。古い術式体系にこだわる異端の老魔法師。そういう評価が、王宮には根強く残っている。


 だが、評価と事実は同じではない。


 ルイスは封書を受け取った。


「読む。ギルバート、オルテガにも同席させろ」


「よろしいのですか」


「一人で読めば、俺の好奇心になる。宮廷魔術師団長と読めば、記録になる」


 ギルバートは一礼した。


 その言い方もまた、少しだけ、あの令嬢に似ていた。


     * * *


 半刻後、王宮の小執務室には、ルイス、ギルバート、宮廷魔術師団長オルテガの三人が集まっていた。


 机の上に広げられた報告書の表題は、堅かった。


『未再現現象の、公開再現条件について』


 オルテガは題名を一読し、白い眉を少し上げた。


「証明報告ではないのですな」


「本人も、証明ではないと言っていた」


 ルイスが答える。


「では、何の報告で」


「観測条件だ」


 ルイスは一ページ目をめくった。


 そこには、屋敷照明陣、第一用水路、王都街灯、王宮大広間の観測記録が並べられていた。各項目には、観測者、時間帯、光源、魔力量、既存補修線の有無、再現の可否が整理されている。


 派手な断定はない。


 王宮の魔法陣が壊れている、とも書いていない。


 ただ、「似た曲線構造」「二重化に類する視覚的ずれ」「再現不能条件」という言葉が、淡々と並んでいた。


 オルテガは、読み進めるうちに少し黙った。


「……よく整理されている」


 ギルバートが目を動かした。


「団長殿」


「認めたわけではない。ただ、六歳の子どもの落書きではない、というだけじゃ」


 オルテガは少し不機嫌そうに言った。


 だが、その目は報告書から離れていない。


 ルイスは二ページ目に視線を落とした。


『王宮側通常点検では未知構造を確認できず』

『点検時刻:午前』

『観測時刻:夜会中』

『光源条件:シャンデリア、壁面反射、宝石装飾、複数人の移動影』

『仮説:角度、反射、魔力流量、観測位置の差が再現失敗に影響した可能性』


 ルイスは、そこを指で軽く押さえた。


「自分の観測だけを正しいとは書いていない」


「むしろ、こちらが再現できなかった理由を探しておる」


 オルテガが低く言う。


 その声には、少しだけ厄介なものを見つけた者の響きがあった。


「団長は、どう見る」


「慎重に見るべきですな」


「否定ではなく」


「否定するには、材料が足りません。肯定するにも、材料が足りません」


「つまり、保留か」


「ええ。実に面倒な保留です」


 ルイスは、ほんの少しだけ笑った。


 面倒。


 それは、消してよい問いではないという意味でもある。


     * * *


 同じころ、シルヴァーヌ侯爵邸では、リゼットが窓際の机で別の紙に向かっていた。


 報告書はすでに送った。ならば、普通の令嬢なら返事を待つところだろう。


 リゼットは待たなかった。


 待っている時間に、次の観測条件表を作っていた。


「お嬢様。王宮からのお返事は、早くても数日はかかると思われます」


 マリーが茶を置きながら言う。


「はい」


「ですので、その間くらいは少しお休みになっても」


「返事を待つ時間と、条件表を整理する時間は両立します」


「両立しないでいただきたいです」


 マリーは小さく息を吐いた。


 机の上には、新しい表がある。


『再観測案』

『夜間』

『複数光源』

『観測角度三種』

『魔力流量:通常、低下、上昇』

『観測者:リゼット、ロアン、第三者』


 マリーは、最後の項目で眉を寄せた。


「第三者とは、どなたでございますか」


「未定です。私とロアンだけでは、観測者の偏りが消えません」


「旦那様では」


「父上は魔術師ではありません」


「私は」


「マリーは胃の保護を優先してください」


「お嬢様が原因でございます」


 リゼットは否定しなかった。


 否定できなかった、とも言う。


 そのとき、扉が軽く叩かれた。入ってきたのはロアンである。


「お嬢様。王宮へ送った報告書の控えを読みました」


「誤記がありましたか」


「いえ。むしろ、誤記が少なすぎて怖いくらいです。ただ、一点だけ」


 ロアンは机の上の再観測案を見た。


「第三者を入れるなら、王宮側の人間が望ましいでしょう。こちら側だけで再現しても、向こうは納得しません」


「同意します」


「ただし、それは王宮側が観測に協力する場合です」


「協力しない可能性も高いです」


「はい」


 リゼットは少し黙った。


 以前なら、では直接行きます、と言っていたかもしれない。王宮へ行けば確認できる。王太子に頼めば早い。そう考えたかもしれない。


 だが、今は違う。


 急ぎすぎれば、観測ではなく騒ぎになる。


「では、こちらから追加要求は出しません」


 ロアンがわずかに驚いた顔をした。


「よろしいのですか」


「はい。まずは王宮側が、報告書をどう扱うかを観測します」


 マリーが小さく拍手しそうになり、途中で止めた。


 お嬢様が、王宮へ突撃しない。


 それだけで、今日もかなり大きな成果だった。


     * * *


 王宮では、報告書の最後のページが開かれていた。


 そこには、エミール・ガランの参考署名と、その下に短い注記があった。


『本報告は未知構造の存在証明ではなく、未再現現象の条件整理である』

『断定には追加観測を要する』


 オルテガは、その一文をしばらく見つめていた。


「この老いぼれめ」


「団長」


 ギルバートが思わず声をかける。


「失礼。昔を思い出しただけじゃ」


 オルテガは咳払いをした。


 エミール・ガランは、宮廷では異端扱いされている。だが、若いころの彼の論文を読んだことがある者なら知っている。あの老人は、主流から外れてはいても、問いの立て方だけは鋭かった。


 今回の報告書にも、それがある。


 答えではない。


 問いの形がある。


「殿下」


 オルテガは、報告書を閉じた。


「現時点で、王宮結界や照明陣に異常があるとは申し上げられません」


「分かっている」


「しかし、この報告書をただの子どもの妄想として処理することも、私は勧めません」


 ギルバートの羽根ペンが止まった。


 ルイスは表情を変えなかったが、目だけが少し鋭くなる。


「理由は」


「再現失敗を、失敗として記録しているからです。自分に都合の悪い条件まで並べている。これは、嘘を押し通そうとする者の書き方ではありません」


 ルイスは頷いた。


 それは、昨夜ルイスが感じた印象と同じだった。


「では、次はどうする」


「こちらから質問状を送るのがよろしいかと。召喚ではなく、照会です。観測条件について、追加で確認したい点を三つほど」


「三つ」


「多すぎれば、こちらが本気で食いついたと見られます。少なすぎれば、検証になりません」


 ルイスは少し考えた。


「よし。質問状を作れ。ただし、相手は六歳の令嬢ではなく、シルヴァーヌ侯爵家宛てにする」


「承知しました」


「それと」


 ルイスは報告書に視線を落とした。


「年齢を理由に軽く扱うな、とは書かなくていい」


 ギルバートが顔を上げた。


「よろしいのですか」


「書けば、こちらが気にしていると伝わる」


 ルイスは小さく息を吐いた。


「記録で返す。それで十分だ」


     * * *


 オルテガが、質問状の草案を、まとめ始めた、その時。


 執務室の扉が、ノックもなく、開いた。


 入ってきたのは、副団長ヴァレンだった。


「団長。差し出がましいようですが」


 彼は丁寧に頭を下げてから、しかし有無を言わさぬ調子で続けた。


「照会で往復書簡を続けるおつもりですか。相手は、六歳の令嬢と、異端の老魔術師です。手紙を重ねるほど、宮廷が真剣に取り合っていると周りに伝わります。──それは、いかがなものかと」


「では、どうしろと」


「決着を、つけましょう」


 ヴァレンは、微笑んだ。穏やかで、それゆえに、冷たい笑みだった。


「公開の、再現検証です。魔術評議会の、立会いのもと。あの令嬢に、王宮大広間で、その"未知の現象"とやらを、再現してもらう。──再現できれば、正式に、調べます。できなければ」


 彼は、一度、言葉を、切った。


「二度と、この話は、蒸し返さない。異端の署名ごと、正式に、退ける。それで、皆が、納得します」


 ルイスが、静かに、ヴァレンを見た。


「……ずいぶん、公平そうな、言い方だな」


「公平です、殿下」


 ヴァレンは、涼しく、答えた。


 だが、ルイスは、気づいていた。そして、オルテガも。


 その"公平"には、罠がある。



     * * *



 ヴァレンが、去った後。


 オルテガが、低く、唸った。


「……上手いことを、言いおる。あの令嬢は、自分の報告書で、こう書いておる。"この現象は、夜間・複数光源・移動影という、特定の条件でしか、再現しない"、とな」


「つまり」


 ルイスが、目を、細めた。


「昼間の、静かな大広間で、評議会が見守る中、再現しろと言われれば」


「まず、再現せん」


 オルテガは、頷いた。


「条件が、揃わんからな。だが、評議会の前で、一度でも、再現に失敗すれば。連中は、こう言う。"やはり、無かったのだ"、と。──あの副団長は、令嬢自身が書いた、"条件依存"という正直な一文を、そのまま、罠に、変えおった」


 ルイスは、しばらく、黙っていた。


 好奇心で、始めた話だった。だが、もう、そういう段階では、なくなっていた。


 六歳の令嬢の、正直な問いが。今、宮廷の政治の、盤上に、引きずり出されようとしている。しかも、負けが、仕込まれた盤に。


「……ギルバート」


「はい」


「シルヴァーヌ侯爵家に、伝えろ。三つの質問状と──公開再現検証の、通達を」


 ルイスの声は、静かだった。


「あの令嬢が、この盤を、どうひっくり返すか。──見せてもらう」


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