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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第三章】同じ机に、載せる

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宮廷魔術師、再現できない

 翌朝。


 シルヴァーヌ家の朝は、約束通りに始まった。


「明日、書きましょうね」と言った侍女長は、翌朝いちばんに机の支度を済ませていた。言った本人が、いちばん覚えていたのである。


 リゼットは、昨夜の計画書を開いた。


『王太子ルイス接触計画:将来検討』

『必要準備期間:数年』


 実績を積み、信用を作り、それから接触する。

 順序は、正しかったはずだった。


 リゼットはペンを取り、その横に短く書き足す。


『実績:未達』

『接触:発生済み』

『原因:相手からの接近。想定外』


(順序が逆になりました)


 計画としては、失敗である。

 だが、結果としては、数年ぶんの前倒しである。


 リゼットは少し考えて、もう一行足した。


『前提条件を、後から満たす』


 準備の足りないまま扉が開いた。

 それは面倒で、危険で、そして、圧倒的に早い。


「……悪くありません」


「お顔が、こわいです」


「機嫌が良いのです」


「存じております。それがこわいのでございます」



     * * *



 同じ頃。


 王宮の大広間は、昨夜の華やかさが嘘のように静かだった。


 音楽も、ドレスの衣擦れも、貴族たちの笑い声もない。あるのは磨かれた床と、整えられた柱と、朝の光を受けて静かに輝くシャンデリアだけである。


 そして、その中央に宮廷魔術師が二人立っていた。


「東側柱の通常点検、でございますか」


 年配の宮廷魔術師が、筆頭侍従ギルバートに確認した。


「はい。殿下のご指示です」


「夜会の翌朝に」


「はい」


「何か異常でも?」


「通常点検です」


 ギルバートは、王宮の侍従らしい涼しい顔で答えた。何も言っていない。けれど、何かある。


 宮廷魔術師たちは互いに目を合わせた。


 王宮で「通常」とわざわざ強調される点検は、だいたい通常ではない。


     * * *


 少し離れた場所で、ルイスは大広間を見ていた。


 表向きには、ただ朝の見回りに立ち寄っただけである。だが、その視線は昨夜リゼットが見ていた東側の柱から離れなかった。


 柱の装飾。王家の紋章。花と蔓の彫り。


 ルイスには、そこに特別な線は見えない。ただの美しい柱だ。


(本当に、何かあるのか)


 六歳の令嬢の見間違いかもしれない。光の反射かもしれない。古い補修線を、彼女が深読みしただけかもしれない。


 どれでもあり得る。


 だからこそ確認する。分からないものを、分かったふりで片づけないために。


     * * *


 宮廷魔術師たちは、柱の周囲を丁寧に調べ始めた。


 目視、魔力計、表層反応、結界補助陣の通常流路。作業は手際よく、さすが王宮付きの専門家と言うべきものだった。


 だが、一通り確認した後、年配の魔術師は首を傾げた。


「特段の異常は見当たりません」


 ルイスは表情を変えなかった。


「そうか」


「古い補修線はいくつかあります。ですが、王宮では珍しくありません。歴代の補修記録と照合すれば、おおむね説明がつくかと」


「未知の線は」


 魔術師は、少し困ったように笑った。


「未知、と申しますと」


「現行の基礎書では説明できない曲線」


「……どなたがそのようなことを?」


 ギルバートが小さく咳をした。


 ルイスは答えなかった。魔術師も察したのか、それ以上は聞かなかった。


「少なくとも、我々の目視と魔力計では確認できません」


「階段上部の照明陣は」


「そちらも確認いたしました。光の揺れは、水晶の屈折によるものと思われます」


「思われる」


 ルイスが繰り返すと、魔術師はわずかに眉を動かした。


「断定には、分解点検が必要です。ただ、夜会場の照明陣を分解するほどの異常は、現時点では確認されておりません」


「つまり」


「再現できませんでした」


 大広間に、短い沈黙が落ちた。


 ルイスは柱を見た。再現できない。ならば、証明ではない。リゼット自身も、そう言っていた。


「分かった」


 ルイスは頷いた。


「記録に残せ。ただし、異常なしとだけ書くな」


 魔術師が顔を上げる。


「と、申しますと」


「東側柱および階段上部照明陣を点検。通常範囲内。未知構造は確認できず。追加点検の必要性は低い。ただし、古い補修線が複数存在する」


 ルイスはそこで一度切った。


「そのまま書け」


 魔術師は、少しだけ目を見開いた。


「確認できず、でよろしいのですか」


「確認できないことと、存在しないことは違う」


 年配の魔術師は、ほんのわずかに口元を固くした。


「……六歳のご令嬢の観測を、そこまで扱われますか」


「年齢で結論を決めるな」


 ルイスの声は荒くなかった。だが、そこで話を終わらせる硬さがあった。


 ギルバートが、わずかにルイスを見た。


 その言い方は、昨夜の令嬢に少し似ていた。


     * * *


 同じころ、シルヴァーヌ侯爵邸では、マリーがリゼットの部屋の前に立っていた。


 手には朝食。心には警戒。


 昨夜の帰り道、リゼットは馬車で眠った。だからといって安心はできない。起きた瞬間に報告書を書き始める可能性が高い。とても高い。


「お嬢様。失礼いたします」


 扉を開けると、リゼットは机に向かっていた。


 やはり。


「おはようございます、マリー」


「おはようございます。お嬢様」


 机の上には羊皮紙が数枚あった。ただし、山ではない。八ページでもない。


 並んでいるのは、見出しだけだった。


『比較報告書・構成案』

『一、屋敷照明陣』

『二、第一用水路』

『三、王都街灯』

『四、王宮大広間』

『五、再現失敗記録』

『六、未証明事項』


 マリーは、少しだけ安心した。


「まだ本文ではないのですね」


「はい。父上が先に読むと言いましたので、構成だけです」


「旦那様の命が守られております」


「命?」


「こちらの話でございます」


 マリーは朝食を置いた。


「お嬢様。まず食べてくださいませ」


「この項目だけ」


「食べてくださいませ」


「再現失敗記録の位置が」


「食べてくださいませ」


 リゼットは少し考えた。


「分かりました。食べながら考えます」


「食べるだけにしてくださいませ」


「難易度が高いです」


「朝食の難易度ではございません」


     * * *


 朝食後、サイラスが部屋に来た。昨夜の夜会で十分に疲れたのか、まだ少し眠そうである。


「リゼット」


「はい、お父様」


「報告書は」


「構成案だけです」


「よろしい」


 サイラスは羊皮紙を手に取り、読み進めるうちに眉を動かした。


「改善案がないな」


「ありません」


「本当に書かないのか」


「はい。現時点では、未知補助線に触るべきではありません」


「王太子殿下が興味を示しても」


「関係ありません」


 即答だった。


 サイラスは、娘をじっと見た。


「殿下が興味を持ったことと、現象が正しいことは別です」


「……そうだな」


「むしろ、王宮側で再現できなければ、報告書の扱いは弱くなります」


「その可能性も考えているのか」


「はい」


 リゼットは小さく頷いた。


「学院でも再現されませんでした。王宮でも再現されない可能性は高いです」


「それでも出すのか」


「はい。再現できなかった、という記録も必要です」


 サイラスは、ゆっくり息を吐いた。


 この娘は、成功だけを求めていない。失敗の置き場所を考えている。それは少し安心できることだった。


 同時に、六歳にしてはやはり怖い。


「分かった。昼までに私が確認する」


「ありがとうございます」


「ただし、今日は王宮へ行かない」


「行きません」


 マリーが目を見開いた。


「お嬢様が、ご自分から……?」


「王宮側の確認が先です。こちらから行っても観測条件が乱れます」


 マリーは胸を押さえた。


 今日は本当に記念日かもしれない。


     * * *


 昼前、王宮からシルヴァーヌ侯爵家へ短い使者が届いた。


 宛先はサイラス。差出人は王太子付き筆頭侍従ギルバート。内容は簡潔だった。


『昨夜ご令嬢より言及のあった件につき、王宮側で通常点検を実施』

『現時点で、未知構造と断定し得る反応は確認できず』

『古い補修線は複数確認』

『当該観測については、宮廷魔術師側に慎重意見あり』

『比較資料を提出される場合は、侯爵閣下確認後、参考記録として受領可』


 サイラスは手紙を読み終えた。マリーは横で固まっている。リゼットは、静かに頷いた。


「再現できませんでしたか」


「そのようだ」


「提出を求めているというより、受け取ってもよい、という文面ですね」


「そう読めるな」


「宮廷魔術師側に慎重意見あり」


 リゼットは、その一文を見つめた。


「慎重、というより懐疑です」


 サイラスは否定しなかった。


「想定内です」


 声は落ち着いていた。


 だが、サイラスは見逃さなかった。リゼットの指先が、羊皮紙の端をほんの少しだけ強く押さえた。


 悔しいのだ。


 たぶん。


「リゼット」


「はい」


「残念か」


 リゼットは少し黙った。


「……少し」


 それだけ言った。


 マリーは何も言わなかった。サイラスも、すぐには言葉を重ねなかった。


 六歳の娘は、感情を制御できる。だが、指先までは完全には制御できていない。


「では、報告書にはそれも入れます」


 リゼットは言った。


「王宮側通常点検では再現できず、と」


「書けるか」


「書きます。再現できなかったことを隠すと、報告書の価値が下がります」


 サイラスは小さく頷いた。


「よろしい」


 リゼットは羊皮紙を一枚引き寄せ、見出しを書く。


『王宮側通常点検における未再現記録』


 その文字は、少しだけ強かった。


 悔しさは証明にならない。けれど、記録にはなる。


 リゼットは、それを知っていた。



     * * *



 同じころ、王宮の一室では、別の男が、同じ点検記録を、まったく違う目で読んでいた。


 宮廷魔術師団副団長、ヴァレン。


 団長オルテガより二十は若く、現行基礎書の権威として、宮廷では名の通った男である。彼は、東側柱の点検記録の、たった一行を、指で押さえていた。


『未知構造は確認できず』


「確認できず、ではない」


 ヴァレンは、静かに言った。


「存在しなかった、だ。──団長は、なぜ、そう書かせない」


 部下が、口ごもる。


「殿下のご指示で、確認できず、と」


「殿下は、お若い。六歳の令嬢の、絵空事に、興味を持たれただけだ」


 ヴァレンは、記録を、机に置いた。その手つきは、丁寧で、それゆえに、冷たかった。


「考えてもみろ。王宮の照明陣、結界補助陣。それを四百年、管理してきたのは、我々、宮廷魔術師団だ。その我々が、見落とした未知の欠陥を、六歳の子どもが、夜会で、一目で見抜いた。──もし、それが、認められたら」


 彼は、部下を、見た。


「我々は、四百年、何を、していたことになる」


 部下は、答えられなかった。


 ヴァレンの、静かな目の奥に、あるものを、見たからだ。それは、真実への懐疑では、なかった。真実が、都合が悪いという、確信だった。


「あの報告書が、王宮に届いたら。参考記録などという、生ぬるい箱には、入れさせん」


 ヴァレンは、立ち上がった。


「握り潰す。子どもの妄想と、異端の老魔術師の署名ごと。──宮廷の秩序のために」


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