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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第三章】同じ机に、載せる

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王太子、再現性を問う

 夜会が終わりに近づくころ。


 ルイス・アルベール・エランテは、いつも通りに王太子の仕事をこなしていた。


 貴族の挨拶を受け、令嬢のドレスを褒め、領地の収穫報告に相槌を打つ。国王の横では、必要な場面に必要な笑みを置く。


 それは、何度も繰り返してきた夜会の作法だった。


 ただし今夜だけは、頭の片隅にひとつの問いが残り続けている。


 シルヴァーヌ侯爵家のリゼット嬢は、何を見ていたのか。


 柱の装飾の奥にあると言った未知の線。屋敷の照明陣。第一用水路。王都の街灯。そして、王宮の大広間。


 六歳の令嬢が並べた言葉は、社交辞令にはほど遠かった。だからこそ、気になった。


(欠陥だとは言わなかった)


 ルイスは、果実水のグラスを手にしたまま考える。


(危険だとも言わなかった。分からない、と言った)


 子供の思いつきなら、もっと派手に言う。大人の気を引きたいなら、もっと大げさにする。家の利益を狙うなら、もっと分かりやすく売り込む。


 リゼットは、そのどれもしなかった。


 だから、余計に厄介だった。


「殿下」


 筆頭侍従が近づく。


「そろそろ退室のお時間でございます」


「分かった」


 ルイスは頷き、最後に一度だけ大広間を見た。


 東側の柱。そこにはもう、リゼットはいない。彼女は侍女とともに、茶の置かれた場所へ移動していた。


 観測をやめたのだろう。


 条件が悪いから。たぶん、それが理由だ。


(本当に、変わっている)


 ルイスはそう思いながら、王太子としての笑みを保ったまま大広間を後にした。


     * * *


 その夜。


 王宮の自室で、ルイスは上着を脱ぎ、椅子に座った。


 部屋には筆頭侍従だけが残っている。寝る前の確認事項を終えれば、今日の仕事は終わる。


 いつもなら。


「先ほどのシルヴァーヌ侯爵家の令嬢について」


 ルイスが言うと、侍従はすぐに顔を上げた。


「調べますか」


「家の素性は簡単でいい。シルヴァーヌ侯爵は堅実な人物だ。妙な政治的工作をする家ではない」


「では、令嬢本人を」


「それも、噂を集めすぎるな。余計な騒ぎになる」


 侍従は少し考えた。


「では、何を確認なさいますか」


 ルイスは短く答えた。


「再現性だ」


 侍従が瞬きをした。


「再現性、でございますか」


「彼女は、あの場で自分の見たものを証明だとは言わなかった。ならば、まず確認すべきは、他の者にも同じものが見えるかどうかだ」


「宮廷魔術師を呼びますか」


「今すぐではない。明日、東側の柱と階段上部の照明陣を、通常点検の名目で確認させろ」


「異常があると公表しますか」


「するな」


 ルイスの声は静かだった。


「異常があるかどうかも分からない。分からないものを、先に政治にするな」


 侍従は、少しだけ驚いた顔をした。


「殿下が、そのようにおっしゃるとは」


「あの令嬢の言い方が移ったのかもしれない」


 ルイスは苦笑しかけ、すぐに表情を整えた。


 笑うには、まだ早い。これは面白い話ではなく、王宮の術式に関わる話かもしれない。そして、何もない話かもしれない。


 その両方を、同時に扱う必要がある。


     * * *


 ルイスは机に向かい、白い紙を一枚取った。


 まだ正式な命令書ではない。自分の考えを整理するためのメモだ。


『確認事項』


 一、東側柱の結界補助陣。

 二、階段上部の照明陣。

 三、目視での異常有無。

 四、魔力計での微細な揺れ。

 五、通常補修線との違い。


 そこまで書いて、手が止まる。


 書きながら、別の可能性が、頭の隅にあった。


(──工作、という線は)


 王宮の柱に、正体の分からない線がある。それを外部の人間が先に見つけた。順序として、望ましくない。何者かが結界へ手を入れた痕跡なら、これは学問の話ではなく、王家の首元の話になる。


 ルイスは、その考えを、すぐには捨てなかった。捨てないまま、脇へ置いた。


 線が、古すぎるからだ。


 シルヴァーヌ嬢は「屋敷と、領地の用水路と、王宮」で同じものを見たと言った。三箇所に同じ細工を仕込める者がいるなら、その者は、とうに王宮を落としている。


(つまり、敵ではない。──もっと厄介なものだ)


 誰かが仕掛けたのではなく、初めから、そう作られている。


 その方が、よほど始末に悪い。仕掛けた者なら捕らえられるが、設計そのものが誤っているなら、捕らえる相手がいない。


 だから、ルイスは書き足した。


 六、シルヴァーヌ侯爵家からの比較報告書。


 ルイスは、その行を見つめた。


 リゼットは後日、父を通して報告書を出すと言った。屋敷付き魔術師ロアンの確認印と、エミール・ガランの参考署名を添えて。


「エミール・ガラン……」


 ルイスは名前を口にした。


 聞き覚えはある。王立学院にいた老魔法師で、古い術式体系にこだわり、主流から外れた人物だ。


 宮廷では、好意的に語られる名ではない。


(だからこそ、報告書は軽く扱われる可能性がある)


 ルイスは紙の端を指で叩いた。


 それは政治の問題だ。学問の中身ではなく、名前で判断される。よくあることだ。よくあるからこそ、面倒だった。


「殿下」


 侍従が控えめに言う。


「そのご令嬢の報告を、そこまで気になさる理由は」


 ルイスは少し黙った。


 理由なら、いくらでも挙げられる。王宮の安全。未知の術式。六歳の異才。シルヴァーヌ侯爵家との関係。


 だが、一番正確な答えは、少し違う。


「分からないからだ」


 ルイスは言った。


「分からないものを、分かったふりで片づけるのは危険だ」


 侍従は、今度こそ黙った。


 その言葉は王太子らしい慎重さでもあり、どこか先ほどの令嬢に似てもいた。


     * * *


 一方そのころ。


 シルヴァーヌ家の馬車の中で、サイラスは深く息を吐いていた。


 夜会は終わった。家は取り潰されていない。リゼットは壁を叩いていない。王太子殿下に禁書庫とも言っていない。


 勝利と言えば、勝利だった。


 かなり低い位置にある勝利である。


「リゼット」


「はい」


「帰ったら、すぐ寝なさい」


「報告書の下書きを」


「寝なさい」


「八ページです」


「寝なさい」


「簡易版です」


「寝なさい」


 サイラスの声は、領主ではなく父だった。


 リゼットは少し考えた。


「では、項目だけ整理してから」


「寝なさい」


 マリーが横から、そっと毛布を広げた。


「お嬢様。今日は十分に研究なさいました。続きは明日でございます」


「観測条件が悪かったので、十分ではありません」


「精神的には十分でございます。主に私どもの」


 リゼットは納得していない顔をした。


 だが、馬車の揺れは規則的だった。夜会の緊張は、本人が思うより体に残っていたらしい。淡い紫のドレスの裾を整えたまま、リゼットの瞼は少しずつ重くなっていった。


「……比較対象は、四つ」


 小さく呟く。


「屋敷、用水路、王都、王宮……」


「はいはい」


 マリーが毛布をかける。


「明日、書きましょうね」


「明日……」


 リゼットは、まだ何か言いたそうにしていた。けれど、次の揺れで言葉は途切れた。


 眠った。


 サイラスとマリーは、同時に息を吐いた。


「寝ましたね」


「寝たな」


「旦那様」


「何だ」


「今日は、家が残りました」


「そうだな」


 二人は静かに頷き合い、かなり低い位置にある勝利を噛みしめた。



     * * *



 その夜、侯爵邸の執務室には、まだ灯りがあった。


 机の上に広げられているのは、娘が書きかけている比較報告書の下書きである。寝かしつけた側の人間が、寝ていない。


(……二重化の発生条件、か)


 サイラスは、分からない箇所に印をつけながら読み進めた。印は、増えた。増えるほど、頁をめくる速さは上がった。


 明日、聞くつもりだった。聞いてどうするのかは、決めていない。ただ、続きが知りたかった。


 翌朝、余白に増えた書き込みを見て、マリーは静かに言った。


「旦那様。……お熱は、下がりませんか」


「うるさい」


 侯爵家の胃薬の消費量は、その日から、二人分になった。


     * * *


 王宮では、ルイスがもう一度だけメモを見ていた。


『再現性』


 その一語を、彼は丸で囲む。


 リゼットの問いが本物かどうかは、まだ分からない。彼女が見た線が、他人にも見えるかどうかも分からない。宮廷魔術師が確認すれば、ただの補修線だと言うかもしれない。


 それでも。


 問いを消すには、まだ早い。


「明日、確認する」


 ルイスは紙を伏せた。


 八歳の王太子は、その夜初めて、夜会の感想ではなく、ひとつの研究条件を考えながら眠ることになった。


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