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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第二章】同じ目の人

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最初の会話

 王太子ルイスとの最初の会話は、誰も予想していない形で終わった。


 甘い挨拶ではない。

 令嬢らしい恥じらいでもない。

 婚約の匂わせでもない。

 ましてや、禁書庫の話でもない。


 分からない線について。

 証明ではなく、問いについて。

 そして、正式な比較報告書について。


 それが、六歳の令嬢と八歳の王太子の最初の会話だった。


 周囲の令嬢たちは、当然ついていけていない。


「……今、何のお話をなさっていたのかしら」


「柱、ですわよね」


「柱のお話で、殿下が笑われたのですか」


「柱に負けましたわ……」


 最後の令嬢は、何と戦っていたのだろう。


 リゼットは気にしていなかった。


 彼女の意識は、すでに報告書の構成に向かっている。


(屋敷照明陣、第一用水路、王都街灯、王宮大広間。比較対象は四つ。王宮は目視のみなので、観測信頼度を下げる必要があります)


 信頼度。

 条件。

 限界。

 未証明。


 重要なのは、そこだった。


 王太子が興味を示した。

 だから正しい。


 そんな話ではない。


 相手が王太子でも、証明できないものは証明できない。


「お嬢様」


 マリーが小声で呼んだ。


「はい」


「先ほどの会話は、比較的、比較的ですが、よく耐えました」


「耐える?」


「禁書庫と言わなかった点でございます」


「現時点では優先順位が低いので」


 マリーは胸に手を当てた。


 成長である。

 かなり低い場所にある成長である。


「ただし」


 リゼットは続けた。


「王宮の資料室、王立学院専門書、宮廷魔術師論文へ接続できる可能性は生じました」


「やはり何か始まっておりますね」


「始まってはいません。提出経路ができただけです」


「世間では、それを始まりと呼ぶことが多いのでございます」


 マリーは遠い目をした。


     * * *


 ルイスは貴族たちの輪へ戻った。


 戻った。

 戻ったはずだった。


 だが、会話の内容が頭から離れない。


「殿下。本日はお目にかかれて光栄にございます」


「こちらこそ」


「我が領では今年、麦の収穫が」


「それは喜ばしい」


 口は動く。

 表情も崩れない。

 王太子としての応答は、いつも通りにできている。


 しかし、思考の一部は東側の柱に残っていた。


 未知の線。

 証明ではなく問い。

 再現性。


(六歳の令嬢が、あの場で売り込まなかった)


 普通なら、自分に興味を持たせたいはずだ。

 王太子に覚えてもらいたいはずだ。

 家の利益を引き出したいはずだ。


 だが、リゼットは違った。


 その場で答えを押しつけなかった。

 王宮の欠陥だと騒がなかった。

 自分の発見を大きく見せなかった。


 正式な経路で報告書を出すと言った。


 それが、妙に引っかかる。


「殿下」


 筆頭侍従が、そっと声を落とした。


「先ほどの件、宮廷魔術師に確認を取りますか」


「今すぐではない」


「よろしいのですか」


「夜会の最中に騒ぐ話ではない。彼女もそう言った」


 侍従は少し驚いた顔をした。


「あのご令嬢の言葉を、採用なさるのですか」


「採用ではない。筋が通っているだけだ」


 ルイスは果実水のグラスを持ち直した。


「現時点では緊急性が確認できない。観測条件も悪い。ならば、ここで大人を集めて騒ぐ方が不合理だ」


「……殿下」


「何だ」


「楽しそうでございます」


 ルイスは、わずかに動きを止めた。


「そう見えるか」


「はい」


「それは困るな」


 王太子は、誰か一人に強く興味を示してはいけない。

 特に夜会の場では。

 噂は、事実より速い。


 ルイスは表情を整えた。


 だが、侍従の指摘は間違っていなかった。


 退屈ではない。


 少なくとも、今夜は。


     * * *


 サイラスは、娘の横で静かに胃を守っていた。


「リゼット」


「はい、お父様」


「後日、報告書を出すと言ったな」


「はい」


「どの程度のものを想定している」


「簡易版なら八ページです」


 サイラスは目を閉じた。


「簡易で八ページか」


「王宮大広間は目視のみですので、詳細な図版は避けます」


「避けて八ページか」


「比較対象が四つありますので」


「そうか」


 父は悟った。

 これは止まらない。

 ただし、暴走ではない。


 そこが救いであり、別の意味で恐ろしい。


「内容は」


「未知補助線らしき曲線の比較表。二重化現象の発生条件。模型術式での再現失敗記録。王宮での目視観測の限界。以上です」


「改善案は」


「書きません」


 サイラスは目を開けた。


「書かないのか」


「現時点では危険です。原因を切り分けていない線に触るべきではありません」


 サイラスは、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。


 この娘は、以前なら直したがったかもしれない。

 今も直したいのだろう。

 だが、直さないと決めている。


 それは成長だった。


「よろしい」


「はい」


「ただし、報告書は私が先に読む」


「当然です。父上の署名がなければ、正式な経路に乗りません」


「……分かっているならいい」


 サイラスはそう言った。


 分かっている。

 分かっているが、怖い。


 理解できる分だけ、怖い。


     * * *


 大広間では、音楽が再び始まっていた。


 令嬢たちは踊る。

 貴族たちは談笑する。

 王太子は挨拶を続ける。


 夜会は何事もなかったように進んでいく。


 表面上は。


 リゼットは、壁から一歩離れたまま、扇を閉じた。


 もう十分だ。


 今日の観測は、これ以上精度が上がらない。

 無理に見続ければ、見えた気になる危険が増える。


「マリー」


「はい」


「観測を終了します」


 マリーは一瞬、言葉を失った。


「……終了、でございますか」


「はい。条件が悪いので」


「お嬢様が、ご自分から、観測を」


「終了します」


 マリーは目頭を押さえた。


 今日は記念日かもしれない。

 王宮で壁を叩かず、禁書庫を口にせず、観測を自分から切り上げた。


 普通の令嬢なら当たり前のことが、なぜこんなに眩しいのか。


「では、お茶を」


「はい」


「甘いものも」


「少しだけ」


 マリーは勝った。

 かなり大きな勝利だった。


     * * *


 少し離れた場所から、ルイスはその様子を見ていた。


 リゼットが柱から離れる。

 侍女と何か話す。

 そして、茶の置かれた場所へ向かう。


(切り上げた?)


 ルイスは軽く眉を動かした。


 見たいものがあるなら、見続ければいい。

 少なくとも、彼女ならそうしそうだと思っていた。


 だが、彼女はやめた。


 条件が悪いから。

 たぶん、それが理由だ。


 ルイスは、ますます分からなくなった。


 無礼ではない。

 臆病でもない。

 自信過剰でもない。

 好奇心は強い。

 だが、断定はしない。


(本当に、何なんだ)


 その疑問は、今夜のどの挨拶よりも鮮明だった。


「殿下」


 侍従が次の挨拶相手を告げる。


 ルイスは頷いた。


「分かっている」


 王太子としての仕事へ戻る。


 ただし、心の片隅にはもう、ひとつの問いが置かれていた。


 シルヴァーヌ侯爵家のリゼット嬢は、何を見ているのか。


 そして。


 それは、本当に他の誰にも見えないものなのか。


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