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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第二章】同じ目の人

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初接触、発生する

 大広間の東側。


 王家の紋章が彫られた柱の前で、リゼットは一歩分の距離を保って立っていた。


 触らない。

 叩かない。

 撫でない。


 見るだけ。


 それでも、見れば見える。


 柱の装飾の奥に、結界補助陣らしき線がある。

 古い補修線が重なっている。

 その中に、ひとつだけ曲がり方の違う線が混じっている。


 未知補助線に似ている。


 ただし、同じではない。


(距離が足りません。角度も悪い。光の反射も邪魔です)


 リゼットは扇を持つ指に、少しだけ力を入れた。


 不快。

 非常に不快。


 分かった気になることほど、危険なものはない。


「お嬢様」


 マリーが、背後から小声で呼んだ。


「はい」


「王太子殿下が、こちらへお越しでございます」


「なぜですか」


「たぶん、お嬢様が目立っていらっしゃるからです」


「私は壁にも柱にも触れていません」


「触れていないことが、最近の最高評価になっております」


 マリーの声は真剣だった。


 リゼットは柱から視線を外したくなかった。

 だが、外さないわけにもいかない。


 会話を遮らない。

 王太子殿下へ突撃しない。

 ただし、向こうから来た場合の手順は未定。


(計画書に不足があります)


 不覚だった。


     * * *


 ルイスは、挨拶の輪を自然に抜け、東側の壁際へ向かった。


 周囲の貴族たちは、当然のように道を開ける。

 令嬢たちは扇の陰で息を呑む。


 ルイスは王太子としての笑みを崩さない。

 だが、内心では慎重に考えていた。


 あの令嬢は無礼ではない。

 礼もできる。

 踊ることもできる。

 父侯爵と侍女長の制止も、理解しているように見える。


 なのに、視線だけが普通ではない。


 王太子でも、宝石でも、周囲の令嬢でもなく。

 柱と照明と、目に見えない何かを追っている。


 だから、聞く。


 いきなり咎めるのではなく。

 いきなり褒めるのでもなく。


 何を見ているのかを。


     * * *


 ルイスが近づくと、サイラス侯爵がすぐに礼を取った。


「ルイス殿下。ご機嫌麗しく」


「シルヴァーヌ侯爵。久しいな」


「お声がけいただき、光栄にございます」


 サイラスの背中には、緊張が見えた。

 隣のマリーは、すでに胃を押さえている。


 その横で、リゼットも小さく礼を取った。


「シルヴァーヌ侯爵家の長女、リゼットでございます」


 言えた。


 マリーは心の中で拍手した。


 ルイスは、わずかに目を細める。


 声は落ち着いている。

 礼も整っている。

 少なくとも、社交を知らない子供ではない。


「リゼット嬢」


「はい」


「先ほどから、この柱を見ていたようだが」


 リゼットの肩が、ほんのわずかに動いた。


「はい」


「壁の彫刻に、何か珍しいものでも?」


 周囲の令嬢たちが、ほっとした顔をした。

 王太子が優しく話しかけた。

 ならば、普通の令嬢なら、ここで「美しい装飾に見惚れておりました」と答える。


 マリーも祈った。


 リゼットは、一拍置いた。


「彫刻ではありません」


 マリーの祈りが少し割れた。


「では?」


「柱の装飾の下に、結界補助陣らしき線があります」


 周囲の空気が、少しだけ固まった。


 ルイスは表情を崩さなかった。


「見えるのか」


「見えている、とは断定できません」


 リゼットはすぐに答えた。


「距離があり、照明の反射もあります。古い補修線、意図的な補助線、未知の線の可能性を切り分けられていません」


「未知の線?」


「現行の基礎書では説明できない曲線です」


 サイラスが目を閉じた。

 来た。

 その話が来てしまった。


 マリーは扇を握りしめた。

 倒れない。

 今日はまだ倒れない。


 ルイスは、リゼットをじっと見た。


 普通なら、ここで「王宮の術式に欠陥がある」と言い切る者は危険だ。

 逆に、何も知らずに珍しいと言うだけなら、ただの子供だ。


 だが、リゼットはどちらでもない。


 分からない、と言った。

 切り分けられていない、と言った。


 六歳の令嬢が、王宮の柱を前にして。


「では、欠陥ではないのだな」


「分かりません」


「危険では?」


「分かりません」


「では、なぜ見ていた」


 リゼットは、少しだけ首を傾げた。


「分からないからです」


 ルイスは、言葉を失いかけた。


 分からないから見る。

 分からないから近づく。

 分からないから、断定しない。


 それは、王宮でよく聞く言葉とはまるで違っていた。


 誰もが答えを持っているふりをする。

 誰もが自分に都合のいい解釈を差し出す。


 この令嬢は、分からないと言った。


 そして、だから見ていた。


「……面白いな」


 ルイスは小さく言った。


 リゼットは考えた。


「面白い、というより、不快です」


「不快?」


「分からないものが、見える範囲にあるのに、確認できません」


「それを不快と言うのか」


「はい」


 ルイスは、今度こそ少しだけ笑った。


 周囲の令嬢たちが息を呑む。

 王太子が笑った。

 ただし、その理由は誰にも分からない。


     * * *


 近衛騎士の一人が、警戒するように柱を見た。


「殿下。念のため、魔術師を呼びましょうか」


 リゼットは即座に首を振りかけた。


 今呼ばれても困る。

 観測条件が悪い。

 説明も足りない。

 自分の報告書も持っていない。


 だが、言い方を間違えると、王宮の警備に口を出したことになる。


 リゼットは一拍置く。


「現時点では、緊急性は確認できません」


 サイラスの肩から、少しだけ力が抜けた。


「ですが、専門家の確認を否定するものではありません。ただし、今この場で断定するには観測条件が不十分です」


 ルイスは、また目を細めた。


「君は、王宮の術式を見ておきながら、今すぐ調べろとは言わないのか」


「言いません」


「なぜ」


「再現性がありません」


 その言葉に、ルイスの中で何かが引っかかった。


 再現性。


 六歳の令嬢が、夜会の場で使うには少し不釣り合いな言葉だ。


「前にも、同じようなものを見たのか」


 リゼットはすぐには答えなかった。


 王太子にどこまで話すべきか。

 接触手順は未定。

 交渉材料は不足。

 だが、質問には答える必要がある。


「屋敷の照明陣と、領地の第一用水路で、似た構造を観測しました」


 サイラスは内心で天を仰いだ。

 だが、止めなかった。

 嘘ではない。

 誇張もしていない。


「観測、か」


「はい。証明ではありません」


「証明ではないが、問いではある」


 リゼットの薄紫の瞳が、少しだけ動いた。


「その通りです」


 ルイスは、なぜか満足した。


     * * *


 周囲は完全についてきていなかった。


 令嬢たちは、王太子と六歳の令嬢が何の話をしているのか分からない。

 近衛騎士は、警戒していいのか分からない。

 マリーは、倒れていいのか立っているべきか分からない。

 サイラスは、娘が思ったよりまともに会話していることに感動していいのか、王太子相手に未知補助線の話を始めたことに胃を痛めるべきか分からない。


 分からないものだらけだった。


 リゼットだけが、少しだけ落ち着いていた。


 少なくとも、王太子は話を遮らなかった。

 分からないと言ったことを、笑わなかった。

 欠陥と断定しないことを、退屈がらなかった。


 それは、少し意外だった。


「リゼット嬢」


 ルイスが言った。


「はい」


「今は夜会だ。詳しい話をする場ではない」


「同意します」


「だが、その問いについては、後で少し聞きたい」


 マリーが息を止めた。


 サイラスも息を止めた。


 リゼットは、考えた。


 接触成功率。

 不明。


 必要準備。

 不足。


 交渉材料。

 弱い。


 ただし、相手からの質問。

 研究環境維持上、有益な可能性あり。


 内ポケットの中で、模型紙片が一枚、指先に触れた。


 出せば、話は早い。

 出せば、この場で「見えている」ことを示せる。


(却下します)


 観測条件が悪い。角度も、光も、立ち会う人間の数も。

 ここで見せたものは、再現できない。

 再現できないものを差し出すのは、売り込みであって、報告ではない。


 リゼットは、指先を紙片から離した。


「条件があります」


 サイラスの胃がきゅっと縮んだ。


 ルイスは、興味深そうに続きを待った。


「今日は、報告書を持っていません。記録用紙もありません。ですので、正式な説明はできません」


「なるほど」


「後日、父を通して、屋敷付き魔術師ロアンの確認印と、エミール・ガラン氏の参考署名を添えた比較報告書を提出する形が妥当です」


 ルイスは、今度こそはっきりと驚いた。


 六歳の令嬢が、王太子に売り込まない。

 その場で主張しない。

 正式な経路を提案した。


「分かった」


 ルイスは頷いた。


「シルヴァーヌ侯爵。後日、簡単な報告を届けてもらえるだろうか」


 サイラスは深く礼を取った。


「承知いたしました」


 声は落ち着いていた。

 だが、心の中ではたぶん叫んでいた。


 マリーは、今日を生き延びられるかもしれないと思った。

 まだ分からないが。


     * * *


 ルイスは、最後にもう一度だけ柱を見た。


 彼には、リゼットの言う線は見えない。

 ただの美しい装飾に見える。


 だが、六歳の令嬢が何かを見ていることだけは分かった。


 そして、それを分からないままにしていることも。


「では、リゼット嬢」


「はい」


「夜会を楽しんでくれ」


 普通なら、ここで令嬢は頬を染める。

 リゼットは少し考えた。


「努力します」


 マリーが横で小さく震えた。


 ルイスは笑いをこらえた。


「それでいい」


 王太子は、貴族たちの輪へ戻っていく。


 リゼットは、その背中ではなく、彼が立っていた場所の背後の照明陣を見た。


 ルイスは、振り返らなかった。

 だが、なぜか分かった。


 今も彼女は、自分ではなく、光のずれを見ているのだろう。


(……本当に、変わっている)


 そして。


(続きを、少し聞いてみたい)


 そう思った。


 六歳の令嬢と八歳の王太子。


 最初の会話は、恋でも政略でもなく。


 分からない線についての、短い確認から始まった。


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