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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第二章】同じ目の人

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王太子・ルイス、観察する

 ルイス・アルベール・エランテにとって、王宮の舞踏会とは仕事だった。


 八歳。

 平民の子供なら、まだ泥だらけで走り回っていてもおかしくない年齢である。


 だが、王太子にそれは許されない。


 歩き方。

 笑顔の角度。

 挨拶の順番。

 貴族たちの派閥。

 誰にどの程度の言葉を返し、誰に必要以上の期待を持たせないか。


 すべて、覚えるべき仕事だった。


 華やかな夜会は、ルイスにとって遊び場ではない。

 人の欲と期待が、礼儀という薄い布に包まれて差し出される場所である。


(今日も、同じだろうな)


 大広間へ入る直前、ルイスは控え室の窓から階下を見た。


 色とりどりのドレス。

 扇で隠した笑顔。

 こちらを待つ視線。


 誰もが王太子を見る。

 正確には、王太子という立場を見る。


 それは当然だ。

 理解している。

 ただ、少し退屈だった。


「殿下。そろそろお時間です」


 筆頭侍従が静かに告げる。


「分かっている」


 ルイスは頷き、もう一度だけ大広間を見下ろした。


 その時だった。


 壁際に、妙な令嬢がいた。


 淡い紫のドレス。

 銀灰色の髪。

 年齢は、自分より少し下。


 彼女は、他の令嬢たちのように王族の登場を待ってそわそわしていなかった。

 壁に張り付いてもいない。

 走ってもいない。

 手帳を持って何かを書いているわけでもない。


 ただ、柱から一歩分だけ離れた場所に立ち、じっと上を見ている。


「……何を見ているんだ」


 ルイスは思わず呟いた。


 侍従も視線を向ける。


「シャンデリアではございませんか。初めて王宮へ来られたご令嬢なら、珍しいのでしょう」


「違う」


 ルイスは即答した。


 シャンデリアを見ている目ではない。

 美しいものに見惚れている顔ではない。

 もっと細かく、何かを切り分けるような目だ。


 しかも、先ほど彼女は一曲踊っていた。


 相手の少年に合わせ、滑らかに動き、終わるときちんと礼をした。

 その所作は、令嬢として十分に整っていた。


 なのに。


 曲が終わった後、彼女は走らず、急がず、けれど明らかに戻りたそうな足取りで壁際へ戻った。

 そしてまた、柱と天井を見ている。


 変わっている。


 ただし、無礼ではない。

 そこが妙だった。


「あの令嬢は、どこの家だ」


「確認いたします」


「いや、後でいい」


 ルイスは視線を戻した。

 いまは入場の時間だ。


 王太子が一人の令嬢を見すぎるのは、不要な噂を生む。

 噂は、時に本人の意思より速く走る。


 ルイスは、その厄介さを八歳にして知っていた。


     * * *


 ファンファーレが鳴った。


「国王陛下、ならびに王太子ルイス・アルベール殿下の御入場!」


 大広間の音が引いていく。

 談笑が止まり、音楽が静まり、貴族たちが一斉に礼を取る。


 ルイスは王太子として、いつも通りに歩いた。


 背筋。

 歩幅。

 視線。

 速度。


 すべて、訓練通り。


 階段を降りる途中、ルイスの視線は自然と東側の壁際へ向かった。


 いた。


 淡い紫の令嬢。


 彼女も礼を取っている。

 ただし、頭を下げる直前に、ほんの一瞬だけこちらを見た。


 いや。


 こちら、ではない。


 ルイスの背後。

 階段上部の照明。


 彼女の薄紫の瞳は、ルイス本人を通り越し、その後ろの何かを追っていた。


(俺ではない?)


 ルイスは、わずかに眉を動かしかけた。

 すぐに戻す。

 王太子の顔は崩さない。


 だが、内心では初めての感覚があった。


 王太子として見られないことは、まれにある。

 幼い子供が緊張で目を合わせられないこともある。


 だが、王太子を背景の一部として処理されたことはなかった。


(……本当に、何を見ている)


     * * *


 階段を降りると、すぐに貴族たちが挨拶へ来た。


「ルイス殿下。本日はお健やかなご様子で何よりでございます」


「ホルバッハ侯爵。そちらも変わりないようで何よりだ」


「娘のエステルも、殿下にご挨拶できる日を楽しみにしておりました」


「エステル嬢。本日のドレスはよく似合っている」


「もったいないお言葉ですわ」


 模範的な会話。

 模範的な笑顔。

 模範的な距離。


 ルイスはそれをこなしながら、視界の端で淡い紫を追っていた。


 彼女は壁に触れていない。

 柱にも触れていない。

 床に伏せてもいない。


 ただ、距離を保って見ている。


 時々、そばの侍女が何かを囁く。

 彼女は小さく頷く。

 また見る。


 まるで、何かをしたいのを我慢しているようだった。


(我慢して、あれなのか)


 ルイスは少しだけ面白くなった。


 いや。

 面白い、というより。


 分からない。


 分からないものは、気になる。


「殿下?」


 筆頭侍従が、ほんのわずかに声を落とす。


「どうかなさいましたか」


「東側の壁際にいる、淡い紫のドレスの令嬢」


「はい」


「名は」


 侍従は自然な動作で視線を流し、すぐに答えた。


「シルヴァーヌ侯爵家のご長女、リゼット嬢かと。先日、六歳になられたばかりです」


「シルヴァーヌ侯爵家」


 ルイスは記憶を探った。


 堅実な領地経営。

 派手ではないが、王家への忠誠は安定している。

 現当主サイラスは、無茶を好まない人物だったはずだ。


 その娘が、王宮の柱を見ている。

 しかも、見方が普通ではない。


「芸術に関心がおありなのかもしれません」


 侍従が控えめに言う。


「違うだろうな」


「では、建築でしょうか」


「それも少し違う」


「では」


「分からない」


 ルイスは短く答えた。


 分からない、と言うのは少し悔しい。

 だが、分からないものを適当に分類するよりはいい。


 その時、リゼットが柱から少し離れた。


 そして、首を傾げた。


 楽しそうではない。

 困っているようにも見える。

 だが、嫌がってはいない。


 あれは、何かを解こうとしている顔だ。


     * * *


 一方、リゼットはリゼットで困っていた。


(見える。ですが、足りません)


 王宮の柱。

 大広間の照明。

 階段上部の補助陣。


 どこにも、似た曲線がある。

 だが、全部が同じではない。


 古い補修線かもしれない。

 意図的な補助線かもしれない。

 未知補助線かもしれない。


 この距離では切り分けられない。

 光の反射も邪魔だ。

 記録も取れない。


 非常に不快。


 非常に面白い。


「お嬢様」


 マリーが囁く。


「はい」


「王太子殿下が、時々こちらをご覧になっております」


「なぜでしょう」


「それを私に聞かれましても」


「私はまだ接触手順を踏んでいません」


「普通は手順を踏まなくても、目が合えば多少は意識するものでございます」


「そうなのですか」


「そうでございます」


 リゼットは考えた。


 王太子ルイス。

 将来的な資料ルート候補。

 ただし現時点では、接触成功率不明。

 必要準備不足。

 交渉材料不足。


 結論。


 今は接触しない。


「観測を続けます」


「お願いですから、観測だけにしてくださいませ」


「はい」


 リゼットは頷いた。


「観測だけです」


 その言葉に、マリーは少しだけ安心した。


 少しだけだった。


     * * *


 ルイスは、挨拶を続けながら考えていた。


 シルヴァーヌ侯爵家のリゼット。

 六歳。

 王太子ではなく、王太子の背後の照明を見る令嬢。

 踊れる。

 礼もできる。

 だが、興味の向きが普通ではない。


 無礼なら、注意すればいい。

 緊張なら、気遣えばいい。

 媚びなら、距離を取ればいい。


 だが、これはどれでもない。


(何かを、見ている)


 それだけは分かる。


 何を見ているのかは、分からない。


 分からない。


 だから、気になる。


「殿下、次はシルヴァーヌ侯爵がご挨拶に」


 侍従が小声で告げた。


 ルイスは視線を戻した。


 サイラス侯爵が、娘を連れて近づいてくる。

 淡い紫のドレスの少女は、父の隣で小さく礼を取った。


 いよいよ近い。


 だが、ルイスはすぐに話しかけなかった。


 まずは見る。

 相手が何者か、言葉より先に観察する。


 それは王太子としての癖であり、八歳の少年としての好奇心でもあった。


 六歳の令嬢と、八歳の王太子。


 まだ会話は始まっていない。


 けれど、互いの観測は、もう始まっていた。


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