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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第二章】同じ目の人

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舞踏会、始まる

 王宮の大広間は、絢爛豪華という言葉をそのまま建物にしたような場所だった。


 磨き上げられた大理石の床。

 天井から光を降らせる魔力水晶のシャンデリア。

 壁際に並ぶ柱。

 優雅な音楽。

 色とりどりのドレス。

 扇で隠された笑い声。


 普通の令嬢なら、胸を高鳴らせる場面である。


 リゼットは、天井の照明配置を見ていた。


「お嬢様」


 マリーが横から小声で呼ぶ。


「はい」


「今、何をご覧になっていますか」


「シャンデリアです」


「人をご覧くださいませ」


「人も見ています。視界の下端に入っています」


「それは見ているとは申しません」


 マリーは笑顔のまま、扇で口元を隠した。

 笑顔を保つ技術だけは、日に日に磨かれている。


 壁際から歩み寄ってきたサイラスが、娘に視線を落とした。


「リゼット」


「はい、お父様」


「約束を覚えているな」


「王宮内を走らない。壁、床、柱に触れない。会話を遮らない。王太子殿下へ突撃しない。一曲だけ踊る」


「よろしい」


「順番は、一曲が先ですか」


「先だ」


「観測効率は少し落ちます」


「家の評判効率は上がる」


 リゼットは一拍考えた。


「合理的です」


「今日はそれで頼む」


 サイラスの声には、父の願いと領主の祈りが混ざっていた。


     * * *


 リゼットは、まず踊る相手を探した。


 条件は単純である。


 一、背丈が近い。

 二、動きが大きすぎない。

 三、話しかけても混乱しすぎない。

 四、できれば大広間の中央より、照明配置が見やすい位置へ移動できる。


「四つ目だけ目的が違います」


 マリーが即座に突っ込んだ。


「すべて目的に関係しています」


「社交の目的から外れております」


「社交は研究環境維持の手段です」


「そこまで覚えてくださったのは嬉しいのですが」


 マリーは複雑な顔をした。


 その時、壁際で少し所在なさげにしている少年が目に入った。

 年齢は七、八歳ほど。

 子爵家か男爵家の子息だろう。

 手に持ったジュースのグラスを、どうしていいか分からない顔で見ている。


 リゼットは歩み寄り、きちんと礼をした。


「初めまして。シルヴァーヌ侯爵家のリゼットと申します。よろしければ、一曲ご一緒していただけますか」


「えっ。ぼ、僕ですか」


「はい」


「よ、喜んで」


 少年は慌ててグラスを置いた。

 顔が赤い。


 リゼットは気づかなかった。

 少年の動揺より、足幅と重心位置の方を見ていたからである。


     * * *


 音楽が流れる。


 ワン、ツー、スリー。

 ワン、ツー、スリー。


 リゼットは、最初の三歩で相手の癖を把握した。


 右足の踏み込みが少し浅い。

 回転時に肩が先に動く。

 緊張で呼吸が上がっている。


 補正は可能。


「少し歩幅を狭めてください」


「は、はい」


「次の回転は半拍遅らせます」


「半拍?」


「今です」


「わっ」


 少年は一瞬だけ足をもつれさせかけたが、リゼットが位置を合わせたため転ばなかった。

 外から見れば、二人はなかなか綺麗に踊っている。


 ただし、リゼットの目は相手ではなく、天井の光を追っていた。


 回転するたびに、シャンデリアの光が角度を変える。

 中央の水晶。

 外周の補助灯。

 床へ落ちる反射。


 そのうち一か所だけ、光の縁がほんのわずかにずれる。


(角度依存)


 リゼットは心の中で記録した。


 ただし、手帳はない。

 記録用紙もない。

 マリーの監視が勝ったからである。


 そのため、リゼットは頭の中で仮説番号だけを並べる。


『仮説1:水晶面の屈折』

『仮説2:照明陣の位相ずれ』

『仮説3:大広間全体の補助線による干渉』


 未証明。

 保留。


「あの、シルヴァーヌ様」


 少年がおずおずと声をかけた。


「はい」


「その……踊りながら、何か考えていらっしゃいますか」


「はい」


「やっぱり」


「ですが、あなたの足を踏まないようにも考えています」


「ありがとうございます……?」


 少年は困ったように笑った。

 リゼットは、その笑顔を見て少し考える。


 社交。

 相手の感情への応答。

 マリーの訓練。


「とても踊りやすいです」


 言ってみた。


 少年の顔がぱっと明るくなる。


「ほ、本当ですか」


「はい。予測しやすいです」


「予測……」


 少しだけ明るさが迷子になった。


 マリーは遠くで扇を握りしめていた。

 惜しい。

 非常に惜しい。


     * * *


 一曲が終わった。


 リゼットはきちんと礼をする。


「ご一緒いただき、ありがとうございました」


「こ、こちらこそ。あの、また機会があれば」


「機会があれば」


 リゼットは答えた。

 そして、すぐに壁へ戻ろうとして、足を止めた。


 マリーとサイラスの視線を感じたからである。


 走らない。

 壁に近づきすぎない。

 会話を遮らない。


 リゼットは、歩いた。

 ゆっくりと。

 とても不本意な速度で。


「お嬢様が歩いて戻っておられる……」


 マリーが小さく呟いた。


「成長だな」


 サイラスも小さく言った。


 成長の基準は、やはり低かった。


 リゼットは壁から一歩分の距離で止まり、大広間の柱を眺めた。


 触らない。

 叩かない。

 撫でない。


 見るだけ。


 柱の装飾は美しい。

 花と蔓と王家の紋章。

 その奥に、結界補助陣らしき線がある。


 古い。

 しかし雑ではない。


 何代もの補修が重なっている。

 その中に、一つだけ、他と曲がり方の違う線が混じっていた。


(また)


 未知補助線に似ている。

 ただし、ここでも断定できない。

 距離がある。

 照明が反射している。

 角度も悪い。


 リゼットは眉を寄せた。


「お嬢様」


 マリーがそっと近づく。


「触っていません」


「存じております」


「叩いてもいません」


「大変よろしいです」


「ですが、分かりません」


 マリーは少しだけ表情を和らげた。


「分からないのですね」


「はい。王宮の術式は、古い補修線と、意図的な補助線と、未知補助線らしきものが混ざっています。目視だけでは切り分けられません」


「では、今日は」


「観測だけです」


「本当に?」


「本当に」


 リゼットは少し間を置いた。


「たぶん」


「たぶんを付けないでくださいませ」


     * * *


 その時、大広間の空気が変わった。


 音楽が静かに止む。

 談笑の声が引いていく。

 貴族たちの視線が、大階段の上へ向けられる。


 リゼットも顔を上げた。


 階段の上に、王族の正装をまとった少年が立っていた。


 濃い金髪。

 青灰色の瞳。

 八歳という年齢には少し不釣り合いな、落ち着いた立ち姿。


 王太子ルイス・アルベール・エランテ。


 令嬢たちが息を呑む。

 大人たちが礼を取る。

 広間全体が、一つの方向へ整っていく。


 リゼットも礼を取った。


 ただし、頭を下げる直前。


 彼の立つ階段の背後にある照明陣が、ほんのわずかに二重に見えた。


(あそこも)


 リゼットの思考が一瞬だけそちらへ走る。


 その一瞬。


 ルイスの視線が、広間をなぞり、壁際のリゼットで止まった。


 目が合った。


 正確には、リゼットは王太子を見ていたのではない。

 王太子の背後の照明陣を見ていた。


 だが、そんな事情はルイスには分からない。


(あの令嬢は、なぜ俺ではなく、俺の後ろを見ている?)


 ルイスは、ほんの少しだけ眉を動かした。


 リゼットは、ほんの少しだけ首を傾げた。


(なぜこちらを見ているのでしょう。私はまだ接触手順を踏んでいません)


 大広間の光が揺れる。

 音楽が次の曲へ移る。

 礼を終えた貴族たちが、再びざわめき始める。


 六歳の令嬢と八歳の王太子。


 最初の接触は、まだ起きていない。


 ただ、互いに。


 相手が自分とは少し違うものを見ていることだけを、ほんのわずかに感じ取っていた。


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