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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第二章】同じ目の人

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王都初上陸、魔法陣が多すぎる

 王宮へ向かう馬車の中。


 リゼットは、淡い紫のドレスを着て、背筋を伸ばして座っていた。膝の上には何もない。手には扇。内ポケットには、模型紙片が一枚だけ。


 見た目だけなら、初めて王宮の夜会へ向かう侯爵令嬢である。


 見た目だけなら。


「お嬢様。念のため、今日の目的をお聞かせくださいませ」


「王宮という巨大な術式環境を、接触せずに観測すること。未知補助線の再現条件に使える比較材料を得ること。必要最低限の社交を行い、今後の研究環境を悪化させないこと」


「大変よくできました」


 マリーは、心からほっとした。最近、この屋敷では「王宮で何もしない」だけで褒められる。褒める基準が、かなり下がっていた。


「もう一つ」


 向かいに座るサイラスが言う。


「王太子殿下へ、自分から突撃しない」


「記憶しています」


「記憶だけでなく、実行してくれ」


「最大限努力します」


「まだ弱い」


 サイラスは額に手を当てた。王宮へ入る前から、胃が準備運動を始めている。



     * * *



 馬車が王都シルヴェの城門をくぐった瞬間。


 リゼットの呼吸が、ほんの少しだけ止まった。


 石畳。街灯。水路。橋。商館の外壁。広場の噴水。


 そこかしこに魔法陣がある。


 侯爵邸や領地の第一用水路とは、密度が違った。生活用、交通用、防犯用、防火用、照明用、排水用。大小さまざまな術式が、街の表面と裏側に薄く重なっている。


 まるで、都市そのものが一冊の巨大な魔導書だった。


「……多い」


 リゼットは窓の外を見たまま、小さく呟いた。


「魔法陣が、多すぎます」


「お嬢様。お顔を窓に近づけすぎないでくださいませ」


「あの石畳、一定間隔で照明陣が埋め込まれています。夜間に連動発光する構造ですね。ただ、隣接する陣の魔力経路が少し近い。光量にムラが出ます」


「お嬢様」


「橋脚の補強陣は面白いですね。土属性の強度線を三次元的に組んでいます。ただ、経路が一本に寄りすぎている」


「お嬢様」


 マリーの声が少し低くなった。


 リゼットは、ようやく顔を戻した。


「観測のみです」


「本当に?」


「触りません」


「本当に?」


「今は」


「今は、を付けないでくださいませ」


 マリーは両手を組んだ。祈りに近かった。



     * * *



 中央大通りへ入ると、街灯の根元、側溝の奥、商館の入口。目に入る術式のいくつかに、わずかに見覚えのある曲線が混じっていた。


「……」


 リゼットは扇を握る指に力を入れた。


 未知補助線。屋敷の照明陣。第一用水路の灌漑陣。模型術式で起きた二重化。


 それらと完全に同じではない。だが、曲がり方の癖が似ている。


「お嬢様?」


「確定ではありません」


「何がでございますか」


「見えた気がしただけです」


 リゼットは窓から少し距離を取った。


 ここで断定してはいけない。馬車は動いている。距離もある。角度も悪い。記録用紙もない。観測条件が雑すぎる。


「……不快です」


「何がでございますか」


「分かった気になることです」


 マリーは一瞬だけ目を丸くした。


 リゼットが、分からないものを分からないままにしている。それは普通のことのはずなのに、なぜか成長を見た気分になった。


「では、後で確認なさいますか」


「はい。正式な許可を取って、止まった状態で、距離と角度を管理して観測します」


「とても普通ではありませんが、勝手に飛び出さないだけ立派でございます」


「評価基準が低くありませんか」


「低くしております」



     * * *



 王宮の外壁が近づいてきた。


 白亜の壁。高い尖塔。整えられた庭園。門前に並ぶ衛兵。


 王宮は、ただ豪華な建物ではなかった。外壁そのものに、広域防護の基礎陣が組み込まれている。庭園の水路には、水量調整の陣。門の柱には、通行記録の補助陣らしきもの。


 王都が巨大な魔導書なら、王宮はその表紙だった。厚く、硬く、美しく、そして簡単には開けない。


「……触らない」


 リゼットは小さく言った。


「大変よろしいです」


 マリーは即座に褒めた。


 馬車が大階段の前で止まる。御者が扉を開けると、外から夜会の音が流れ込んできた。音楽。笑い声。絹の衣擦れ。香水の匂い。


 普通の令嬢なら、緊張する場面である。


 リゼットは、大階段の左右に組み込まれた照明陣を見ていた。


「左右非対称……?」


「お嬢様」


「はい」


「第一声がそれでよろしいのですか」


「よくありません」


 リゼットは一度目を閉じた。深呼吸。そして、扇を持ち直す。


「行くぞ、リゼット」


「はい、お父様」


 リゼットは父の手を取り、馬車を降りた。


 石畳に靴が触れる。


 その瞬間、ほんのわずかに、足元の照明陣の線が青白く揺れた気がした。


 発動ではない。接触でもない。ただの錯覚かもしれない。


 けれど、リゼットの目はそれを見逃さなかった。


(今のは、何ですか)


 問いが一つ増える。答えはまだない。



     * * *



 白亜の王宮の中は、外から見た時よりさらに眩しかった。


 磨き上げられた床。天井から吊るされた魔力水晶のシャンデリア。壁に並ぶ絵画。廊下の奥まで続く、柔らかな照明。


 リゼットは、床の目地を見ていた。


「リゼット」


 隣を歩くサイラスが、低く呼ぶ。


「今、お前はどこを見ている」


「床です」


「人を見ろ」


「床にも人が映っています」


「そういう意味ではない」


 サイラスは小さく息を吐いた。まだ王宮に入って数分である。


 マリーがすかさず耳元で囁く。


「壁、床、柱には触れない。近づきすぎない」


「一歩分」


「叩かない」


「叩きません」


「撫でない」


「撫でません」


「褒める時は?」


「よくお似合いです」


「完璧でございます」


「床にも言えますか」


「床には言わないでくださいませ」


 マリーは笑顔のまま、目だけで必死に訴えた。



     * * *



 舞踏会が始まるまでの間、若い令嬢たちは控え室へ案内された。


 広いサロンには、色とりどりのドレスが集まっている。香水の甘い香り。扇で隠した小さな笑い声。王太子ルイス殿下の噂。


「本日の夜会、ルイス殿下もいらっしゃるそうですわ」


「一曲でもお相手していただけたら、きっと一生の思い出になりますわね」


 ふわふわした会話が、部屋のあちこちで弾んでいる。


 そんな中、リゼットは壁から一歩離れた場所に立っていた。


 一歩。約束通りである。


「触っていません」


「はい。そこは大変よろしいです」


「ただし、壁紙の模様の一部が空調陣の補助回路になっています」


「そこは聞いておりません」


 リゼットは扇を口元に当て、壁紙を眺めた。


 ダマスク柄。花と蔓の装飾。その一部に、細い魔力回路が紛れている。


 王宮の術式は、雑ではなかった。むしろ、丁寧だ。古い部分を壊さず、新しい機能を重ねている。


 ただし。


「継ぎ足しが多いですね」


「また不穏なことを」


「否定ではありません。観測です」


 リゼットは小声で続ける。


「温度調整、湿度調整、防音。三つの機能が別々の時代に足されています。全体統括は弱い。ですが、王宮の歴史を考えれば当然です。一度に作った建物ではありませんから」


「では、何が問題なのでございますか」


「分からない線が混じっています」


 マリーの笑顔が固まった。


 壁紙の花弁の一部。空調陣の補助線の端。そこに、ごく細い曲線がある。


 屋敷の照明陣。第一用水路の灌漑陣。王都の街灯。それらに似ている。似ているが、同じではない。



     * * *



 その時、同年代らしい令嬢が一人、リゼットに近づいてきた。


 銀色の髪に、水色のリボン。緊張した顔で、それでもきちんと礼をする。


「ごきげんよう。シルヴァーヌ様でいらっしゃいますか」


 リゼットは一拍置いた。


 マリーが斜め後ろで、祈るように見ている。


「ごきげんよう」


 まず挨拶。成功。


「本日のドレス、よくお似合いです」


 次に褒める。成功。


 マリーの目が少し潤んだ。感動の位置が、やはり低い。


「ありがとうございます。シルヴァーヌ様のドレスも、とても綺麗ですわ」


「ありがとうございます」


 ここまでは完璧だった。


「王宮の夜会は、初めてでいらっしゃいますか」


「はい。初めてです」


「私もです。少し緊張してしまって」


「緊張は自然な反応です。知らない環境では、観測対象が増えますので」


「観測……?」


 令嬢が瞬きをした。


 マリーの祈りが強くなった。


 リゼットは、危険を察知した。今の返答は、普通の令嬢会話から少し外れた。少し、ではないかもしれない。


「……王宮は、とても綺麗ですね」


 言い直した。


 令嬢の表情がぱっと明るくなる。


「ええ、本当に。シャンデリアも素敵ですわ」


「はい。光の広がり方が」


 そこで止めた。


 危なかった。


「とても、綺麗です」


 マリーが背後で無音の拍手をした。


 六歳の社交は、薄氷の上を歩いている。主に周囲の大人の胃が。



     * * *



 会話が途切れたところで、リゼットは視線だけを天井へ向けた。


 巨大な魔力水晶のシャンデリア。発光陣は複雑だが、美しい。水晶の切子面と発光線を合わせ、光を柔らかく散らしている。


 ただ、完全ではない。


 中央の光が、ほんのわずかに二重に見える。


 目の錯覚か。水晶の屈折か。それとも、模型術式で見た二重化と同じ現象か。


 分からない。分からないので、断定しない。


 リゼットは扇の骨を指で一つ叩き、心の中で仮説だけを並べた。


『仮説1:水晶の切子面による単純な屈折』

『仮説2:発光陣の位相ずれ』

『仮説3:未知補助線による別層干渉』


 どれも未証明。


 それが、気持ち悪い。そして、面白い。


「お嬢様。お顔が少し楽しそうでございます」


「分からないことが増えました」


「普通は困るところでございます」


「困っています」


「楽しそうに困らないでくださいませ」



     * * *



 控え室の扉が開いた。


 侍従が、よく通る声で告げる。


「令嬢の皆さま。大広間へご移動ください。間もなく国王陛下ならびに王太子殿下がご入場あそばされます」


 部屋の空気が一気に華やいだ。


 令嬢たちが扇を整え、ドレスの裾を直し、少し緊張した顔で扉へ向かう。


 リゼットも歩き出した。


「マリー」


「はい」


「大広間では、まず一曲踊ります」


 マリーが目を見開いた。


「お嬢様が、ご自分から……!」


「お父様の条件です。資料へ近づくには、家の評判を守る必要があります」


「立派でございます」


「ただし、踊りながら大広間の照明配置を確認します」


「そこは諦めておりました」


 マリーはもう驚かなかった。驚かないことに、自分で少し驚いた。


 リゼットは扇を閉じ、廊下の先を見た。


 王太子ルイス。王宮。禁書庫。


 そのどれも、まだ目的地ではない。


 いま必要なのは、王宮を論破することではない。誰が見ても同じ現象を確認できる、再現条件を見つけること。そのための観測を、社交の中でこっそり積み上げること。


 華やかな音楽が、大広間の向こうから聞こえてきた。


 六歳の悪役令嬢は、淡い紫のドレスの裾を揺らしながら、光の中へ進んでいく。


 その目は、王太子ではなく。


 大広間の天井に浮かぶ、ほんのわずかな光のずれを追っていた。


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