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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第二章】同じ目の人

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王宮への行き方と、魔法陣の在処

 王宮主催の夜会、前日。


 リゼットの机には、二枚の羊皮紙が広げられていた。


 一枚目は、貴族向けに一般公開されている王宮の見取り図。

 二枚目は、前日に書き上げた再現実験の手順書。


『未知補助線・第三者再現用模型術式』


 王宮。

 夜会。

 社交。


 華やかな単語が並ぶ日程のはずなのに、リゼットの机の上だけは完全に研究室だった。


「大広間の照明系統は、中央シャンデリアを主供給点にしている可能性が高いですね」


 リゼットは見取り図に小さな印をつける。


「ただし、今回は実物に触れません。観測のみ。距離は最低でも一歩分を保つ。模型術式の紙片は持ち込むが、王宮内では発動しない」


 自分で読み上げる。

 自分で確認する。


 約束は、書いておかないと破りたくなる。

 とても破りたくなる。


「お嬢様」


 マリーが背後から静かに声をかけた。


「はい」


「今、非常に不穏な独り言が聞こえました」


「不穏ではありません。自制です」


「自制を口に出して確認しなければならない時点で、不穏でございます」


 リゼットは少し考えた。


「一理あります」


「認めてくださった……」


 マリーは胸に手を当てた。

 最近、感動の位置がかなり低い。


 その時、部屋の扉が開き、父サイラスが入ってきた。

 手には小さな紙束。

 顔には大きな警戒。


「リゼット。明日の夜会について、確認に来た」


「ちょうどよかったです。こちらが王宮内での観測候補地点です」


「やはりあるのか」


 サイラスは机の上を覗き込んだ。


 王宮の見取り図に、赤い点が三つ。

 青い矢印が数本。

 その横に、細かい文字で注意書き。


『観測のみ』

『接触禁止』

『発動禁止』

『床に伏せない』

『柱を叩かない』

『壁を撫でない』


 サイラスは最後の三つを見て、目を閉じた。


「書く必要があるということは、やる可能性があったのだな」


「可能性を管理するためのチェックリストです」


「父は悲しい」


「悲しみは管理対象外です」


「そうだろうな」


 サイラスは椅子に座り、紙束を机に置いた。


「明日の夜会で、お前に求めることをこちらでも整理した」


 リゼットが興味深そうに見る。


 サイラスの紙には、端正な文字で書かれていた。


『夜会における必須行動』

『1.王宮内を走らない』

『2.壁、床、柱に触れない』

『3.勝手に人の会話を遮らない』

『4.王太子殿下へ自分から突撃しない』

『5.一曲だけ踊る』


「五つ目が異質です」


「それが本来の夜会だ」


「踊らないといけませんか」


「いけない」


「再現実験の手順整理に使える時間が減ります」


「社交に参加しない令嬢は、今後の研究環境を悪化させる」


 リゼットの手が止まった。


 サイラスは、その隙を逃さなかった。


「貴族社会で『あの家の令嬢は礼儀を知らない』と言われれば、資料を借りるのも、人に会うのも難しくなる。王宮への道を資料から始めるのなら、その資料を運ぶ家の評判も守らねばならん」


 リゼットは黙った。


 珍しく、反論がすぐに出ない。


「……合理的です」


「そうだ。合理的だ」


 サイラスは少し勝った顔をした。

 父親として小さな勝利だった。


「では、一曲だけ踊ります」


「よろしい」


「その後は観測に戻ります」


「戻りすぎない範囲でな」


「範囲の定義を」


「父の目が届く範囲だ」


「厳しい条件です」


「当然だ」


     * * *


 次に問題になったのは、同年代の令嬢たちとの会話だった。


 マリーが、まるで戦場の作戦会議のような顔で言う。


「お嬢様。明日は、同じ年頃のご令嬢方もいらっしゃいます。どうか、普通にご挨拶をなさってください」


「普通とは」


「まず笑顔です」


「口角を上げます」


「心も添えてください」


「難易度が上がりました」


「上げております」


 マリーは真剣だった。


「次に、相手のドレスを褒めます」


「可動域が優れていますね、などですか」


「違います」


「では、縫製精度が高いですね」


「惜しいですが違います」


「色の選択が、光属性の反射効率を──」


「違います」


 マリーは深呼吸した。


「『よくお似合いです』でよろしいのです」


「情報量が少ないですね」


「それが社交です」


「社交は圧縮率が高い」


「たぶん違います」


 サイラスは横で聞きながら、肩を震わせていた。

 笑っているのか、胃が痛いのか、判別が難しい。


「それと、王太子殿下にお会いしても、こちらから報告書を出さないこと」


 マリーが念を押す。


「出しません」


「本当に?」


「まだ再現条件が整っていません。未完成の資料を出すのは、こちらの信用を下げます」


 マリーは目を丸くした。


「お嬢様が……王太子殿下より再現条件を優先していらっしゃる……」


「当然です」


 リゼットは真顔で頷いた。


「王太子殿下は逃げません。ですが、再現条件は逃げます」


「逃げるのですか」


「記録しない現象は、すぐ曖昧になります」


 それは正しかった。

 正しいせいで、誰も否定できなかった。


     * * *


 夕方。


 完成した淡い紫のドレスが、姿見の前に掛けられた。


 余計な飾りは少ない。

 裾は軽い。

 袖口は細い。

 銀糸のレースは控えめで、光を受けると星屑のように瞬く。


 そして、内側には小さなポケットが一つ。


 マリーの最後の砦である。


「二つに増やせませんか」


「増やせません」


「模型紙片と記録用紙を分けたいのですが」


「模型紙片だけです。記録は頭の中になさってください」


「頭の中は一時記憶です」


「お嬢様の一時記憶は、私どもの帳簿より信用できます」


 リゼットは反論しようとして、少し考えた。


「では、今回は一つで妥協します」


「ありがとうございます」


 マリーは勝った。

 今日二度目の小さな勝利だった。


 リゼットはドレスに袖を通した。


 姿見の中に、淡い紫の少女が立つ。


 銀灰色の髪。

 薄紫の瞳。

 無駄のないシルエット。


 リゼット本人は、裾の可動域を確認していた。


「軽いですね」


「お似合いです」


「重心移動にも問題ありません」


「お似合いです」


「内ポケットの位置は少し浅いです」


「お似合いです」


 マリーは譲らなかった。


 リゼットは姿見を見た。

 しばらく黙る。


「……悪くありません」


 小さく言った。


 マリーは、その一言だけで十分だった。


     * * *


 翌朝。


 シルヴァーヌ侯爵邸の玄関前には、王宮へ向かう馬車が用意されていた。


 リゼットは淡い紫のドレスを着て、静かに立っている。

 手には小さな手袋。

 内ポケットには、再現用の模型紙片が一枚だけ。


 報告書はない。

 記録用紙もない。

 マリーの監視が勝った。


「忘れ物はないか」


 サイラスが尋ねる。


「ありません」


「本当に?」


「報告書は置いてきました」


「よろしい」


「ただし、頭の中には要約があります」


「それは持ち物検査では没収できないな」


 サイラスは苦笑した。


 馬車が動き出す。


 王都の街並みを抜け、白亜の王宮が近づいてくる。


 尖塔。

 高い壁。

 大広間の屋根。


 リゼットは窓の外を見た。


 王宮。

 王太子。

 禁書庫。


 どれも、まだ目的地ではない。


 今日の目的は一つ。


 王宮という巨大な術式環境を、触れずに見ること。

 そして、未知補助線の再現条件に使える比較材料を探すこと。


「……行きましょう」


 リゼットは静かに言った。


「王宮へ」


 六歳の悪役令嬢を乗せた馬車は、石畳の道を進んでいく。


 その内ポケットに入っているのは、交渉材料ではない。

 小さな模型紙片、一枚。


 世界にまだ認められていない問いの、最初の欠片だった。


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