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魔法陣にしか興味がない悪役令嬢、破滅フラグを条件表に載せる 〜古代魔導書を読むために、王太子と政略結婚を結びました〜  作者: NN
【第二章】同じ目の人

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マリー、ドレスを選ぶ(諦めながら)

 六歳の誕生日から、数日後。


 シルヴァーヌ侯爵家の令嬢の私室には、色とりどりの布が広げられていた。


 絹。

 サテン。

 薄いレース。

 銀糸。

 小さな真珠。


 王都でも評判の仕立屋が、針子を連れてずらりと並んでいる。


 そして、その中央でマリーが燃えていた。


「お嬢様。本日は、王宮の夜会に備えたドレス選びでございます」


 声が強い。

 目も強い。


 六歳になったばかりの侯爵令嬢が、王宮の夜会に出る。

 それは社交界デビューの前哨戦のようなものだ。


 マリーとしては、絶対に失敗できない。


 なお、当のリゼットは机に向かっていた。


「聞いています」


「聞いている方は、こちらを向いてくださいます」


「合理的ですね」


 リゼットはしぶしぶ顔を上げた。


 机の上には、王立学院へ送るために整えた報告書の控えが置かれている。

 題名はこうだ。


『未知補助線および旧式術式に関する予備報告』


 マリーは見なかったことにした。

 今日はドレスの日である。

 ドレスの日でなければならない。


「では、まずこちらを」


 仕立屋の女将が、淡い桃色の生地を掲げた。

 柔らかく、可愛らしく、六歳の令嬢にはよく似合いそうな色だった。


「胸元にレースを重ね、背中に大きなリボンを──」


「却下します」


 リゼットは即答した。


 女将の手が止まる。


「理由をお聞きしても?」


「背中のリボンが大きすぎます。椅子の背に干渉します。壁際で姿勢を低くした時にも邪魔です」


「壁際で、姿勢を低く……?」


「王宮の壁面下部に魔法陣が刻まれている可能性があります」


「お嬢様」


 マリーが即座に割って入った。


「本日は、王宮の魔法陣を観察するための装備選定ではございません。ドレス選びでございます」


「ドレスは装備です」


「違います」


「身体に装着し、行動性能に影響を与える布製構造物です」


「説明されると負けそうになるので、おやめください」


 仕立屋の女将が口元を押さえた。

 笑っている。

 プロである。


「では、お嬢様。ご希望は?」


「動きやすいこと。視界を遮らないこと。床に近づいても裾が邪魔にならないこと。袖口が広がりすぎないこと。資料を隠し持てる内ポケットが一つあること」


「内ポケット」


 マリーの声が低くなった。


「何をお持ちになるおつもりですか」


「報告書の要約版です」


「夜会に?」


「念のため」


「念のためで、夜会に報告書を持ち込まないでくださいませ」


「では、折り畳めるサイズにします」


「そういう問題ではございません」


 マリーはこめかみを押さえた。


 だが、ここで引くわけにはいかない。

 ドレス選びは侍女の戦場である。


「女将。形はすっきりと。裾は軽く。袖口は細めに。ただし、侯爵令嬢としての品格は絶対に落としません」


「承知いたしました」


「色は」


 マリーは反物の中から、一枚を選んだ。


 淡い紫。

 光を受けると、銀を一滴落としたように静かに輝く絹だった。


「こちらで」


 女将が目を細める。


「お嬢様の髪と瞳に、よく合いますわ」


「はい」


 マリーは静かに頷いた。


 リゼットは生地を見た。


「観測の邪魔にはならなさそうです」


「褒め言葉として受け取ります」


「褒めています」


「では、ありがたく」


     * * *


 採寸が始まった。


 リゼットは台の上に立たされ、針子たちに腕を上げたり下ろしたりさせられている。


「お嬢様、もう少し腕を横に」


「はい」


「苦しくありませんか?」


「呼吸効率に問題はありません」


「こきゅうこうりつ……」


 針子の一人が小さく呟いた。

 マリーは優雅に微笑んだ。


「お気になさらず。お嬢様は、体調が良いという意味で仰っています」


「翻訳が必要なのですね」


「はい」


 必要だった。


 その時、部屋の扉が控えめに叩かれた。


「失礼いたします」


 家令が入ってきた。

 手には、封蝋のされた一通の手紙。


「旦那様宛ですが、至急お嬢様にも確認を、とのことです」


 サイラスの筆跡で、小さく添え書きがある。


『学院から返答が来た。落ち着いて読め』


 落ち着いて読め。


 その一文で、マリーの胃が先に反応した。


「……お嬢様」


「読みます」


 リゼットは台の上に立ったまま、封を切った。

 針子たちが採寸の手を止める。


 手紙は、王立学院の魔法理論研究室からの返答だった。


『貴家より送付された予備報告書について、内容を確認した』

『照明陣および灌漑陣における改善値は興味深い』

『ただし、未知補助線に関する記述は、現時点では根拠不十分である』

『二重化挙動についても、当研究室では再現できなかった』

『また、エミール・ガラン氏の確認印については、同氏の過去の研究傾向を鑑み、参考意見に留める』

『従って、未知補助線に関する仮説は、正式議題として採用しない』


 部屋が静まり返った。


 仕立屋も。

 針子も。

 マリーも。


 誰も、言葉を出せなかった。


 六歳児の報告書だから笑われたわけではない。

 完全に無視されたわけでもない。


 しかし、一番重要な部分だけが削られていた。


 未知補助線。

 二重化。

 別層の魔法陣。


 そこだけが、根拠不十分として落とされた。


「……お嬢様」


 マリーがそっと声をかけた。


 怒るだろうか。

 泣くだろうか。

 さすがに傷つくだろうか。


 リゼットは、手紙をもう一度読んだ。


 一行目から。

 最後まで。


 指先が、ほんの少しだけ紙の端を強く押さえた。

 薄い羊皮紙に、小さな皺が寄る。


 机の上に落ちていた封蝋の欠片が、リゼットの手の中でぱきりと割れた。


「……少し、期待していました」


 小さな声だった。


「それと、エミールの名前が減点材料になったことは、不愉快です」


 その本音は、一瞬だけ出て、すぐに引っ込んだ。


 それから、リゼットは静かに言った。


「再現できなかったのですね」


「え?」


「学院は、二重化挙動を再現できなかった。ならば、彼らにとっては存在しない現象です」


 声は落ち着いていた。

 だが、目が冷えている。


 怒りではない。

 悔しさでもない。


 計算が始まった目だった。


「エミールの確認印も、信用補強には不十分。むしろ異端扱いで減点材料になった可能性があります」


 マリーは胸を痛めた。


 エミールの名前を見て軽視された。

 それを、リゼットはもう理解している。


「お嬢様。悔しくは……ありませんか」


「あります」


 即答だった。


 マリーが息を呑む。


「ですが、悔しさは証明になりません」


 リゼットは手紙を折りたたみ、机へ置いた。


「必要なのは、誰がやっても同じ結果が出る模型術式です。学院が失敗したなら、学院でも再現できる条件に落とし込めばいい」


「つまり」


「報告書の次は、再現実験です」


 リゼットは台の上から、針子の方を見た。


「採寸を続けてください」


「え、あ、はい」


「ただし、内ポケットは少し大きくしてください」


 マリーがぴくりと反応した。


「お嬢様」


「再現用の模型紙片を入れます」


「夜会に?」


「念のため」


「念のためが増えました」


「重要です」


 マリーは深く目を閉じた。


 今日は良い日だと思っていた。

 朝までは、確かに良い日だった。


 だが、今は違う。


 研究の壁が、王立学院という形で目の前に立っていた。


     * * *


 夕方。


 採寸が終わったあと、リゼットは机に向かっていた。


 淡い紫のドレス案は、マリーと仕立屋によって静かに進められている。

 しかし、リゼットの関心はすでに別の場所にあった。


 新しい羊皮紙の上に、題名を書く。


『未知補助線・第三者再現用模型術式』


 その下に、条件を書き出す。


『出力:実物の百分の一以下』

『属性:光、水の両方で比較』

『補助線:削除版、追加版、位相ずらし版』

『観測項目:二重化の有無、発生時間、魔力消費、残留線』

『目的:学院でも再現可能な手順化』


 リゼットは羽ペンを止めた。


 学院は認めなかった。

 未知補助線は、正式議題から外された。

 エミールの名前は、むしろ疑いの目で見られた。


 それは失敗だ。


 だが、失敗は情報である。


「……なるほど」


 リゼットは小さく呟いた。


「理解されない場合は、理解できる形まで分解すればいい」


 マリーは、少し離れた場所からその背中を見ていた。


 小さい。

 まだ六歳。


 それでも、背中は折れていなかった。


 少しだけ、怖い。

 少しだけ、誇らしい。


「お嬢様」


「なんですか」


「ドレスの内ポケットは、一つだけです」


「二つ必要です」


「一つです」


「片方に模型紙片、もう片方に記録用紙を」


「一つです」


 マリーは譲らなかった。


 リゼットは少し考えた。


「では、記録用紙は袖口に」


「お嬢様」


「冗談です」


「今の間は、本気でございました」


 リゼットは答えなかった。


 王立学院は、まだこちらを見ていない。

 見ても、信じていない。


 ならば、見ざるを得ない形にする。


 それが次の研究課題だった。


 六歳の悪役令嬢は、初めて研究の壁にぶつかった。


 そして、壁を壊すのではなく、まず測ることにした。


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