「王宮への道」を設計する
古書店『星屑堂』から戻った翌朝。
リゼットの机の上には、三種類の資料が並んでいた。
一つ目。
屋敷内生活魔法陣の中間報告。
二つ目。
第一用水路の灌漑魔法陣観測報告。
三つ目。
エミール・ガランから借り受けた、旧式術式研究書の写し。
どれも未完成。
どれも未証明。
どれも、非常に面白い。
「さて」
リゼットは新しい羊皮紙を広げた。
題名を書く。
『王宮への道・段階的接触計画』
少し考えて、横に小さく追記した。
『禁書庫は当面対象外』
書いておかないと、マリーが倒れる。
たぶん倒れる。
リゼットは羽ペンを動かした。
『目的1:未知補助線の正体を解明する』
『目的2:王立学院または宮廷魔術師の論文へ接続する』
『目的3:王太子ルイスとの直接接触は、資料整備後に再検討』
王太子。
王宮。
禁書庫。
どれも魅力的な単語だ。
だが、今すぐ手を伸ばすには遠い。
五歳児が王太子に「資料をください」と突撃しても、普通は止められる。
たぶん止められる。
マリーが泣く。
(ならば、まず資料を先に歩かせます)
人が行けないなら、報告書を行かせればいい。
前世で学んだ。
仕様書は、本人より遠くまで届くことがある。
ただし、中身が読める形になっていれば、の話だ。
リゼットは計画書に、さらに項目を足した。
『提出先候補』
『1.父サイラス経由で、王立学院の旧知へ送付』
『2.エミール・ガランの確認印を添える』
『3.ロアンの観測記録を添付』
『4.王宮へ直接送るのは保留』
最後の一行には、太い線を引いた。
王宮へ直接送る。
甘美な響きである。
危険な響きでもある。
リゼットは、危険なものが嫌いではない。
だが、危険の種類は分けるべきだった。
「お嬢様」
背後から、静かな声がした。
マリーである。
手には朝のお茶。
視線は、羊皮紙の題名に固定されていた。
「『王宮への道』……」
マリーの声が震えた。
「ご安心ください。禁書庫は当面対象外です」
「その一文で安心できる日が来るとは思いませんでした」
マリーは机の上の計画書を見た。
それから、少しだけ目を瞬かせる。
「……王太子殿下への直接接触は、再検討?」
「はい。まだ資料が弱いので」
「お嬢様が、待つことを覚えていらっしゃる……?」
「待つのではありません。準備です」
「似たようなものです」
「違います」
リゼットは真顔だった。
マリーは、そっと胸を押さえた。
感動していいのか、まだ油断してはいけないのか、判断が難しい。
「では、本日のご予定は?」
「報告書の整理です」
「外出は?」
「しません」
「実物の魔法陣への接触は?」
「しません」
「王太子殿下への突撃は?」
「しません」
マリーは深く息を吸った。
「今日は良い日でございます」
「まだ始まったばかりですが」
「良い日でございます」
強い断定だった。
* * *
午前中。
リゼットは報告書の整理に取りかかった。
まず、言葉を削る。
『気持ち悪い』
削除。
『現行理論の怠慢』
削除。
『分からないものを欠陥として消すのは愚か』
削除しかけて、少し迷う。
結局、表現を変えた。
『未解明構造の即時削除は、予期せぬ機能喪失を招く可能性がある』
上品になった。
意味は同じである。
次に、数字を整える。
『照明陣:魔力消費 約十一パーセント低下』
『水回り:模型上で約九パーセント改善見込み』
『灌漑陣:安全改善案で五から七パーセント削減見込み』
『未知補助線:照明、水回り、灌漑に類似構造あり』
派手ではない。
だが、嘘がない。
リゼットはそこで満足した。
盛った数値は、あとで首を絞める。
この教訓は、かなり気に入っていた。
最後に、仮説を書く。
『仮説1:空間位置のずれ』
『仮説2:過去の設計図の残留』
『仮説3:現行術式とは別層の魔法陣』
『補足:旧式術式には、魔力経路を重ねる思想が存在する』
ここまで書いて、リゼットは手を止めた。
旧式術式。
未知補助線。
二重化。
つながっている。
気がする。
だが、まだ証明できない。
証明できないものは、断定しない。
非常に不本意だが、断定しない。
* * *
午後。
リゼットは完成した要約版を持って、父サイラスの執務室へ向かった。
扉を叩く。
「お父様。少々お時間よろしいでしょうか」
「……今日は何を持ってきた」
声だけで警戒している。
父親の成長である。
「報告書です」
「計画書ではないのか」
「計画書もあります」
「やはりあるのか」
サイラスは深く息を吐き、入室を許可した。
机の上に置かれた羊皮紙を見て、彼はまず題名を確認する。
『未知補助線および旧式術式に関する予備報告』
その下に、別紙。
『王宮への道・段階的接触計画』
サイラスはしばらく黙った。
「……禁書庫という文字がないな」
「当面対象外です」
「王太子殿下との直接交渉は?」
「資料整備後に再検討です」
サイラスは、椅子の背にもたれた。
「リゼット」
「はい」
「お前は昨日、何か頭を打ったか」
「打っていません」
「では、なぜ急に慎重になった」
リゼットは少し考えた。
「エミールが、分からないものは分からないと言いました」
「それが理由か?」
「はい。分からないものを扱うには、分からないまま共有できる形にする必要があります。王太子殿下に会っても、今の報告書では説明が粗い。先に専門家へ読ませるべきです」
サイラスは黙った。
筋が通っていた。
怖いくらい通っていた。
だが、今回は少しだけ安心もあった。
娘は突撃しようとしていない。
遠回りを選んでいる。
それは、五歳児としては十分すぎる成長だった。
「分かった。私から学院の旧知に送ろう」
「ありがとうございます」
「ただし、送る前に私が全文を読む」
「第三者レビューですね」
「父親レビューだ」
「分類が違いますか」
「だいぶ違う」
サイラスは報告書を手に取った。
読み始める。
一枚目。
まだ耐えられる。
二枚目。
専門用語が増える。
三枚目。
未知補助線の仮説が出てくる。
四枚目。
エミールの確認印がある。
五枚目。
サイラスは胃薬を探した。
マリーが、すっと小瓶を差し出した。
いつの間に部屋に入っていたのか、誰も突っ込まなかった。
「……これは、学院へ送れば騒ぎになるな」
「騒ぎになりますか」
「なる」
「では、読まれますね」
「前向きだな」
「読まれない報告書に価値はありません」
サイラスは苦笑した。
「お前は本当に、王宮への道を設計しているのだな」
「はい」
リゼットは頷いた。
「人ではなく、資料を先に進ませます」
* * *
それから数日後。
リゼットは六歳の誕生日を迎えた。
父サイラスからは、王都の古書店で見つけた希少な魔導具の解説書。
マリーからは、読書時に首が疲れないための特製書見台。
ロアンからは、低出力模型術式用の安全な魔力計。
エミールからは、旧式術式研究書の写しが届いた。
端には、短い手紙が添えられている。
『答えはない。だが、問いはある。問いを消すな』
リゼットは、その一文をじっと見た。
「良い言葉です」
マリーは隣で微笑んだ。
「お誕生日らしい贈り物かは、少し分かりませんが」
「最高です」
「なら、よろしゅうございます」
六歳になったリゼットは、その日も変わらず机に向かった。
ただ、一つだけ変わったことがある。
研究は、もう完全な一人作業ではなかった。
父が読む。
ロアンが測る。
マリーが止める。
エミールが問いを返す。
そして、いつか。
この報告書は、王立学院へ届く。
さらにその先に、王宮がある。
王太子ルイスも。
禁書庫も。
古代魔導書も。
まだ遠い。
だが、道は引ける。
リゼットは新しいノートを開き、最初のページに短く書いた。
『王宮への道は、資料から始める』
六歳の悪役令嬢は、王宮へ向けて歩き出した。
ただし本人ではなく、まず報告書から。




