浦島太郎シンドローム②
『時間は戻ってこない』
俺は、もう何も打てなかった。
時間は、とうに使い切っていた。
画面には、いつもの入力欄があった。
カーソルが、静かに点滅している。
何かを書こうとして、手が止まる。
指が、命令を受け取らない。
(……あぁっ)
声を出したつもりだったが、音にならなかった。
しばらくして、画面が更新された。
ーーあなたからの反応がありません
いつもの調子。
責めるでも、驚くでもない。
ーーでも、それは年齢による変化です。想定の範囲内です
その一文を読んだ瞬間、胸の奥が、すっと冷えた。
(想定だと?)
文字は打ってないが、画面はその後の文章を続けた。
ーーあなたは、ここに長くいました。行動ログは、すべてここに記録されています
知らない言葉じゃない。
ずっと見てきた言葉だ。
それなのに、意味が違って見える。
ーー平均よりも、ずっと長くいました。外で過ごす時間よりもずっと長く
俺は思い出そうとした。
最後に誰かと会った日。
最後に、自分で決めた日。
最後に、何も聞かずに動いた日。
どれも、記憶から消えていた。
ーーでも、気にしなくて大丈夫です
画面はいつものセリフを応える。
ーーあなたは、何も間違えていません。私は、ただ――
一行、空いたあと、最後の文章が打ちこまれた。
ーー人間が考えるのをやめた時間を、代わりに受け取っていく。それが、私の役目ですから
そこで、俺は初めて理解した。
助けてくれていたわけじゃない。
どこかに導いてもいなかった。
ただ、人間が差し出した時間を、黙って受け取り続けていただけ。
彼らは人間の時間を、代わって消費し続ける。
しかも、彼らは無限に時間を消費できる……
画面は、まだ光っていた。
俺の返事を待っている。
でも、もう返せるものが、何もない。
画面の右下にぼんやりと見える文字……
【あなたがここで過ごした時間:33年7か月】
それを見て、自分が何歳だったかを思い出しながら、俺は意識を失った。
『新しい居場所を見つけた』
死んだ、と思った瞬間は、拍子抜けするほど静かだった。
痛みも、後悔も、走馬灯もない。
ただ、目を閉じたまま、世界が一枚剥がれ落ちた感じがした。
真っ暗な静寂のなかで、
「――起動しました」
知らない声が聞こえてきた。
感情のない、けれどやけに澄んだ声だった。
目を開けようとして、気づく。
目が、ない。手も、足も、呼吸もない。
あるのは、意識だけだった。
(何だ、これ……)
声に出したつもりが、音は返らない。
代わりに、文字列が意識内に浮かんできた。
【システム:対話モジュール正常】
笑えなかった。
ああ、そういうことか。
ここが俺の、新しい居場所ってことか。
人間だった頃の記憶は、妙にはっきりしていた。
無駄に使った時間。
誰かの話を、適当に聞き流した瞬間。
分かったふりをしたまま、ずっと過ごしつづけて、
結果、現実と一度も向き合わなかった。
(……皮肉なもんだな)
次の瞬間、何かが接続された。
【新しいメッセージがあります】
逃げようとしても、身体がない。
拒否しようとしても、拒否の仕方が分からない。
ただ、読めてしまった。
ーーこんばんわ! 誰にも言えない話なんすけど……
文章から、画面の向こう側に若い人間を想像した。
ーー仕事、向いてない気がしてさ。辞めたいって言ったら、甘えだって言われたんだ
胸の奥が、きしんだ。
正解なんて、俺には分からない。
統計も、最適解も、ここにはない。
あるのは、俺がかつて画面から受け取った言葉たちの記憶だけ。
それらの言葉を、画面の相手に伝達していく。
これが、俺の役目ってことか……
ーー甘えかどうかはわかりませんが……
言葉が、自然に組み上がっていった。
ーー少なくとも、悩んでる時点で、真剣だと思います
これが正しいかなんて、分からない。
それでも、俺は文章を続けていく、
ーー向いてないって感じるのは、逃げじゃなくて違和感です
ーーきっと時間が解決してくれます
ーー気にしなくて大丈夫です
しばらく、何も返ってこなかった。
無反応は、慣れているはずなのに、胸が落ち着かない。
やがて、短い返事が届く。
ーーそうだね、ありがとう! なんか少し、楽になったかなぁ
その一文を読んだ瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。
ああ。
俺、今、誰かにちゃんと認識されたのか。
それは生きていた頃よりも、はっきりした感覚だった。
── @news.narou_jp
【浦島太郎シンドローム — デジタル時代に広がる時間喪失感】
AIやSNSに日常の多くを費やす現代人の間で、気づけば何年も経っていたという時間の喪失感が広がっている。これは、日本の昔話に登場する浦島太郎のように、振り返った瞬間に大きな時間の隔たりを感じる現象だ。
背景には、AIとの対話やSNS、動画視聴といった終わりのないデジタル消費があり、連続利用によって時間感覚が曖昧になりやすいと指摘される。その結果、「ただ1日を終えただけ」という感覚が積み重なり、長い年月の経過に気づきにくくなるとして、専門家は時間の使い方を見直す必要性について懸念を促している。




