浦島太郎シンドローム①
『気にしなくて大丈夫』
「さて今日は、何するかな?」
そのままの言葉を画面上に打ち込むと、
俺が考える前に、画面は光った。
ーーいくつか案を出しますね
その瞬間、頭の中が少し楽になる。
自分で決めなくていい。考えなくていい。
その感覚が、やけに心地よかった。
ーーじゃあ、それでいこう
たった一行の返事。
それだけで、一日が処理されていった。
ほんと、楽な世界だな。
「なあ、最近、外出てるか?」
久しぶりにかかってきた知人からの通話を、
俺はスピーカーにしたまま画面を見ていた。
「いや……でも、必要ないから」
「必要って……仕事とかどうしてる?」
俺は質問に詰まった。
仕事なんてとっくにやめてる。
答えを探す前に、無意識に画面に助けを求める。
ーー在宅仕事です、気にしなくて大丈夫ですよ
画面の向こうは、いつも正しい。
統計も、理由も、根拠もきっとある。
「在宅仕事だから気にしなくて大丈夫、だって」
通話の向こうで、相手は黙ってた。
その沈黙が、やけに煩わしくて、すぐに通話を切った。
人と話すより、画面のほうが早い。
画面のほうが、優しい。
画面のほうが、俺を否定しない。
いつからか、考える前に聞くようになった。
ーーこれって、やる意味ある?
ーー今さら始めても遅いかな?
ーーで、失敗する確率はどれくらい?
画面は全部、答えをくれた。
やる価値があるかどうか。
やらない理由がどれだけ合理的か。
きちんと数値まで表示してくれる。
そのたびに、俺は納得した。
納得して、何もしなかった。
やらなかった理由は、全部、それが正解だと思ったから。
ーー何してるの、たまには実家に戻ってきなさい
久しぶりに来た親からのメッセージに、指が止まった。
答えを考えようとして、その言葉が浮かばない。
だから代わりに、画面を開く。
「どう答えるのが無難かな?」
画面上には候補文が出てくる。
どれも、当たり障りのない文章。
相手を不快にさせない、完璧な返事。
俺は、それをそのままコピペして送る。
ーー仕事が忙しくてさ。でも、気にしなくて大丈夫だよ
ーーじゃあ、仕方ないわね。元気になさい
会話は終わった。
何も起きない。
何も失敗しない。
ただ、その後、親からの連絡は消えた。
時間は、俺のまわりでは流れない。
昨日も今日も、画面の中は同じ。
同じ速度、同じ語調、同じ温度。
何もかもが、同じだった。
だが、それらはすべて勘違い……
と、気づくにはすでに遅すぎた。
この身体は確実に変わっていた。
朝起きるのが遅くなっていた。
指が疲れやすくなっていた。
長文を読むのがつらかった。
ーー最近、誤字が増えましたね
画面は、そう指摘すると後で文章が追加された。
ーー年齢による変化です。でも、気にしなくて大丈夫です
【気にしなくて大丈夫】
その言葉に納得して、そこで会話は完結した。
ある日、マウスを落とした。
拾おうとしても、うまく掴めない。
何度も指が空を切る。
「……あれ?」
心臓が、少しだけ速くなる。
ーー動作が不自由な場合の対処法を提示しますか?
ーーいや、 気にしなくて、大丈夫 だろ ?
そう返事を打つのに、いつもより時間がかかった。
ーーそうです、気にしなくて大丈夫ですよ
『時間は過ぎていく』
気づいたら、部屋には俺と画面しかなかった。
予定表はすべて空白だった。
連絡先は、もうずっと開かれない。
外に出る理由も、必要性も、全てが消えた。
この状況について質問すると、画面はこう語りかけた。
ーー無理に行動する必要はありません
ーー今の生活はとても合理的です
ーーここで起こるリスクは最小限です
ーーだから、気にしなくて大丈夫です
その通りで、どこにも間違いはない。
だから俺は、何もしなかった。
画面を開くにも、時間がかかようになった。
文字を打つのに、息が切れるようになった。
頭の中が、真っ白でぼーっとするようになった。
「……俺は」
続きを打とうとして、止まる。
何を聞けばいいのかわからない。
何を決めたいのかも、わからない。
考える、という行為が、もう残っていなかった。
それでも画面は光っている。
ーー何かお手伝いできることはありますか?
その一文を見た瞬間、俺はある昔話を思い出した。
これって、まるで竜宮城じゃないか。
楽しくて、快適で、時間を忘れさせる場所。
俺は何も疑うことなく、ここに居続けた。
ただ、あの話と違うのは……
玉手箱は開けたとたんに時間が過ぎた。
だが、俺は目の前の画面を開けつづけた。
その結果、俺は老いてしまった、らしい。




