第百六話 想い人
振り向いて欲しかった。
水星はこれで第三十四代目。十星の中で最も若く、未熟だった。
なのに、水星はしてしまったのだ。恋を。
「君が新しい水星?よろしく、『火星』こと佐藤拓だ。」
恋をした二人が釣り合っていることは、ほとんどの場合でない。だが、不釣り合いという言葉では済まないほど、自他ともに認めるほど、好きになどならなければと思うほど、不釣り合いだった。天秤に乗せたら水星は吹き飛んでしまうほどだ。
恋愛感情が幻であれば良かったのに。こんな気持ち、なければ良かったのに。しかし、その気持ちは皮肉なことに、幻ではなかった。好きなものを共有し、下らない雑談に花を咲かせた。
だから、火星に想い人がいる事に気がついてしまった時に、心は死んでしまった。
水星は人間だった。人間離れした十星の中で、一人だけ、心が弱い人間のままだった。
想い人のいる火星を狙ったとして、異世界警官達からは、噂話や陰口をされた。水星は人間だった。
「誰もが平等に愛を持っていて良いはずなのに……!!幸せに……なぜ対価が必要なんだ……!!」
水星は涙を流して、金星に泣きついた。
そして数日後、十星の半数が死ぬ、十星暗殺事件が起こる。水星は現場に居なかった、もう半数だった。
死者蘇生をすれば済む話だった。だが、火星の遺書らしき置き手紙を見て、全員がその判断を止めた。
『もう死にたい』
強い筆圧でそう書かれた遺書の下部には『Mars』ときちんと書かれていた。その結果、死者蘇生は何度も予定を見送られた。
だが、十星の命が長くないことが知らされた。朝霧悠率いる、異世界警察と戦争をする計画が立てられ、様々な議論が進んだが、死者蘇生についてだけ、議論の進みが遅かった。
「十星の半数を失った状態で戦うなど有り得ん。死者蘇生するべきじゃろう。」
「でも火星君はそれを望んでないんでしょ?火星君以外を生き返らせちゃえば?」
「金星、奴は十星の中で二番目の戦力だ。相手戦力に対するなら火星は不可欠だ。」
「火星さんも生き返らせた方が良い。」
突然水星がそう口にしたので、全員の視線が水星に集まった。水星が火星を好きだったことは誰もが知っている。なぜ想い人を生き返らせて苦しめるような真似をするのだろうか。
「この世に未練がなく、死にたいのならばそもそも遺書なんて残すわけがないだろう。自殺者が遺書を残すのはほとんどの場合、“未練があっても、自殺するしかない場合”だ。火星さんは違う。自殺以外の選択肢も数多ある。これは……生き返らせて欲しいというささやかなメッセージなのではないか。」
「水星、夢を見るでない。火星がそんなロマンチックな男だと思うか。」
「はい。」
水星の自信ある返答に木星はしかめっ面になった。
水星のこの時の判断の善悪の有無はともかく、この言葉が理由で火星が生き返らせられたのは確かだった。
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〖貴様に……貴様に何がわかる!!!〗
水星は激怒してそう叫んだ。辺りを魚群が暴れ回り、水星の体から止まることなく水が噴き出していた。
〖あぁそうだよ!!怖いのさ!!私は……あの人が死んでしまうのが怖いんだよ!!何が悪い!!〗
「一つ教えてあげましょう。」
溢れ出す水を避けて高所に登ると、アタスマは話し始めた。
「世の男性諸君が浮気する理由を教えてあげましょうか。愛や恋愛感情というのは、消耗品なんです。愛情を注いでいくほど、それは減っていく。無くなれば他のものへ愛情が向くのは当然のことです。」
〖ならば坂本慎一が浮気をしても当然だとでも言いたいのか!?ふざけた女だ!!〗
「いいえ、違います。」
水星は眉をひそめて不快感をしめした。何が言いたいのか分からない、曖昧な表現に苛立ったのだろう。
「先程も言った通り、愛は幻です。存在しないのです。なければ消耗することもないでしょう。永遠の愛とは、“存在しない”からこそ“存在する”のです。」
〖幻だと言うのなら、永遠の愛が突然なくなってもおかしくないという事だぞ、下らん!!〗
「極端な話、元々無いものを減らすことなど出来ないでしょう。同じ、幻も消すことができません。ま、最も貴女には縁のない話でしょうが。」
〖最早会話も意味をなさん。殺してやる。〗
瞬間、小魚から巨大魚まで、全ての魚が水のない宙に浮かび、空へ泳いでいった。
〖暴れろ、『集合体』。〗
合わさった魚達は、ひとつの巨大な怪物となって空を泳ぎ始めた。規則正しく、群れからはみ出さぬ魚達は、進行方向を一斉に変えると、アタスマに一気に向かってきた。
「『湾曲』!!」
軌道を変更しようと、アタスマは攻撃を放ったが、そのうちの1匹の軌道が変化しただけだった。
矢の雨のように降り注いでくる魚群は、アタスマの肉体を貫き、命令通り暴れ回った。
〖全くもって下らないな、アタスマ・メルシー。恋に溺れ、魚に溺れて死んでしまえ!!〗
第百六話 終
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