騎士道精神と交渉術
月の神殿は倒壊……どころか粉砕され、丘の上には瓦礫の山だけが残されている。その隣では傷ついた竜がうずくまり、衛兵たちがおっかなびっくり様子を伺っている。
「ファセリア!! ごめん、ごめんにゃあああぁあ!!」
ようやく立ち上がったファセリアの元に、泣きながらニャミミが駆け寄ってきて、抱きついた。
「大丈夫にゃ!? 痛いとこないにゃ!? にゃっ、大変にゃ、ほっぺたケガしてるにゃん!」
言うなりぺろぺろとファセリアの頬の傷を舐めはじめる。
ファセリアはくすぐったいやら恥ずかしいやらで悶絶するが、ニャミミの腕にしっかりと捕えられて逃げられない。
「ちょっ、何するんですかニャミミさん! はっ、はしたないです、から……っ! いやっ、ちょ、だめっ……!」
「心配すんにゃぺろん、猫人族のぺろぺろにはチユのコーカがあるんにゃぺろぺろぺろ」
「あっ、ちょ、くす、くすぐった、あははははっ……!」
「あれ? 服のお腹のところも破けてるにゃ! ケガしてないか見てやるにゃ! どれどれにゃ〜」
「怪我してないです! お構いなく! ちょっ、ニャミ、ミ、さん……!」
「やっぱケガしてるじゃんにゃ〜。ほらほらファセリア、逃げちゃダメにゃ〜」
「ニャミミさんっ! 人が、人が見てますからっ……!」
「うにゃ?」
ファセリアの訴えにニャミミが振り返ると、その様子を魔術師の少年が真顔でガン見していた。
あまりにも迫真の表情だったのでニャミミは怯えて悲鳴を上げた。
「ひっ!! なんちゅー顔で見てるにゃ、リョウ!! 怖いにゃ!!」
「いや、すごく良かったから」
リョウはおもいっきり開き直った。
ファセリアの顔が真っ赤になり、ぷしゅーっと湯気が上がった(ような気がした)。
「良かったじゃ! ないでしょ!? なんで! とめて! くれないんですか! 変態! えっち! ばかリョウ様!」
文節ごとにべしべし叩かれながらも、リョウはほくほく笑顔を浮かべている。
ニャミミはいかにも心外といった様子で、
「うにゃ〜、こいつら、神聖なるイリョーコーイをなんと心得とるのかにゃ」
肩をすくめながら、あまりにも説得力のないことを言った。
「って、そんなことより!! 他の皆さんは!? タイデル様やロンド隊長はご無事ですか!?」
我に返ったファセリアが周囲を見回すと、すぐ背後で実に気まずそうに頬を掻いているタイデルと目が合った。
「や、やあ、ファセリア、マイエンジェル」
「た、タイデル様!? ずっといらしたんですか!?」
「……キミに治癒の奇跡をかけたの、ボクなんだけどね……」
「わああぁあ! ごめんなさいぃ! タイデル様、本当にご無事でよかった……でも、なんだってそんなところに無言でじっと立ってらっしゃるんですか」
「いや……すごく良かったから……」
「……」
ファセリアは無言でタイデルをじろりと睨んだ。
何故かタイデルもリョウと同様、つやつやした笑顔を見せている。
「皆、揃っているな」
そこにロンドが、奴隷の女性と子ども伴いやって来て声をかけた。
「混乱に乗じて、魔族どもは飛び去ったようだ。その際にこの子の兄君が連れさられてしまった」
なんともやるせない表情でロンドが言うと、小さな少女はふと顔を上げ、左右に首を振った。
「ちがうの。レミーおにいちゃんは、おそらからきたの」
「……?」
不思議そうな顔をしたロンドに、奴隷の女性が説明する。
「あの子は——レミーは、数ヶ月前に突然現れたんだそうです。それをこの子の両親が引き取って……。おそらく転移者なのでしょうけれど」
「転移者? あんな幼子が? なんとも不憫な」
「その上野盗に拐われて、奴隷商人に売られて……あの子が一体何をしたというのでしょう」
女性の目から涙がこぼれた。ロンドはふたりに歩み寄る。
「約束しよう。彼を取り戻せるよう全力を尽くす。それから、君たちの今後のことだが」
跪き、ふたりの手を取る。
「あいにく君たちの『所有者』であるところの、ゴードンという男はいなくなったんだ。いないのであれば失せ物を返すこともできん——というわけで、君たちはもう誰のものでもない」
その言葉の意味するところを理解して、女性は目を見開いた。
「……! 兵士さま、それは……」
「ああ、故郷に帰るなり、どこかで新しい暮らしを始めるなりするといい。タイデル司祭、卿は魔族から市民を守った功労者だ。神殿は某が責任を持って再建させよう。その代わりと言ってはなんだが、引き続き彼女たちの面倒を見てやってはくれまいか」
ロンドが水を向けると、タイデルはさも当然といった様子で頷いた。
「元々そのつもりだったからね。やぶさかではないが……ただ、神殿がこうなってしまった以上、しばらくの間どこか身を寄せる場所が必要だな……」
「それでは、ぜひルーネリアの月の神殿にお越しください」
ファセリアが一歩歩み出て口を開く。
「ジーク様がきっと歓迎してくださいます。もちろん、おふたりもご一緒に。国もとへお送りするのにも、何かと準備が必要でしょうし、この町に留まるのはあまり居心地の良いものではないでしょうから」
「門衛には某から口を利いておく。問題なく町を出られるはずだ」
「ああ……皆様……なんとお礼を言っていいものか」
感極まった様子で女性はロンドの手を握ったまま泣き崩れた。その横できょとんとしている少女の頭を、ロンドはもう片方の手で優しく撫でる。
「何を言うんだ。これは……君たちの身に降りかかったこの事態は、全てこの町の責任だ——この町の忌むべき悪習のな。詫びるべきは我々だ。巻き込んでしまって本当にすまなかった」
ロンドは兜を脱ぎ、頭を下げる。女性は嗚咽して、言葉にならない声を上げた。
「だが、ようやくそれも終わらせることができるかもしれん。もう少しだ」
穏やかに微笑むロンドの瞳が、燃え盛る炎のような強烈な意志を宿して爛々と輝いた。
◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇
遥か上空を、大きな翼を広げて巨大な竜が滑空している。
さきほど墜落した竜よりさらに一回り大きい。
それは旋回しながら徐々にリョウたちのいる丘へと近づいて来ていた。
「……ようやくお出ましか、竜騎士団長様」
ロンドは竜を見上げ、これからすることになる交渉や言い訳・取引・その他諸々の面倒ごとに思いを馳せると、どうとでもなれ、と投げやりに微笑んだ。
タイデル司祭と元奴隷のふたりは、部下に付き添わせてすでに安全な場所へと避難させている。
その隣で、落ちて来た方の竜を眺めながらリョウがのんびりと口を開いた。
「きっと怒ってますよねえ。竜、こんなんなっちゃったし」
「大丈夫、大丈夫にゃ。大体竜が落っこちたのは不甲斐ないアルフレドのヤロウの責任にゃ。神殿の修繕費もあいつらに出させるにゃよ! ごたごた言うようだったらニャミミがガツンとかましてやるにゃ!」
空の旅がよほどお気に召さなかったようで、ぷんすか怒りながら、ニャミミは両手の金属の籠手をゴツンゴツンと打ち合わせている。その度に小さな火花がバチバチと飛んだ。
「ニャミミさん、落ち着いてください。そもそもの諸悪の根源は魔族なんですから……」
ファセリアの言葉を遮るように、少し離れた斜面に竜が降り立った。巨大な翼を羽ばたかせると強烈な風が起こって、一同の衣服や髪を激しくはためかせた。
しばらくして竜の背から、一人が華麗に飛び降り、もう一人がおずおずと降りてくる。
アルスタッド連邦エルラント竜騎士団団長グレゴリーと、その忠実なる部下アルフレドである。
悠然と歩くグレゴリーを尻目に、突然アルフレドが己の竜に向かって駆け出した。
「シンシア〜!! ごめん、ごめんよ! 僕のせいで怖い目にあわせてしまったね! おお、こんなに怪我をして……」
傷ついたその竜はゆっくりと首を持ち上げ、竜騎士アルフレドの方へ向ける。
「僕の可愛いシンシア! どうかこの不甲斐ない主人を許しておくれ!」
両手を広げ駆け寄るアルフレド。シンシアは大きな黒い瞳で主人をじっと見つめ……
ぷいっ。
「し、シンシアあああぁぁああ!!」
アルフレドが泣きながら縋り付くも、シンシアは目を閉じて顔を背けている。
「あ、嫌われたにゃ」
ニャミミがぼそっと呟いた。
そんな部下を冷ややかに一瞥してため息をつくと、グレゴリーはロンドの前で立ち止まった。
ロンドはわざとらしい位にきっちりとした敬礼をしつつ、
「これは、グレゴリー閣下!! ご無事でありましたか!!」
思いっきり腹から声を出してハキハキと言った。
グレゴリーはロンドを上から下までじろりと見て、ふんと鼻を鳴らした。
「衛兵隊か。港で騒乱があったことは知っていよう。貴殿はこんな所で何をしている?」
「はっ、ご覧の通り、この神殿も魔族の襲撃を受けておりましたので、その鎮圧を……っと、失礼、神殿を破壊したのは貴国の竜のほうでありました! いやはや、竜の力というのは凄まじいものですなあ! はっはは」
初手からイヤミ。
ロンドはにこやかに笑っているがまるで目が笑っていない。
リョウたちは冷や冷やしながらその様子を見ている。
「国賓が襲撃を受けておるのだ。何を置いても駆け付けるのが貴殿の責務では?」
「いやいや、天下に名高いアルスタッドの竜騎士様がいらっしゃるのです。余計な助太刀など不要でありましょう! 何より、騎士道を重んじるアルスタッド騎士のこと、民草を差し置いての救援など望むはずもありませぬものなあ! 結果、見事に魔族を撃退なされた! いや、感服いたしました、グレゴリー閣下!」
満面の笑み(目は笑ってない)のロンドに顔を近づけ、グレゴリーは目を細める。
「……貴殿の所属と名は?」
「はっ! ゼパルマ港湾地区衛兵隊長、ロンドであります! お見知り置きを!」
「しっかりと覚えておこう。今回の件、貴殿の処遇を含め、ロアーズ侯とじっくり話し合わなければならんからな」
静かだが怒りに満ちた声。ロンドの顔がぴくぴくと引きつった。
「わ、わあ! まさか、騎士にでも推挙してくださるのですか!?」
グレゴリーはさらにロンドに顔近付けた顔をゆっくり斜めに傾けながら、口の端を歪めて微笑んだ。
「……そう、思うかね?」
ねっとり。
ロンドも負けじと作り笑いを浮かべながら、用意しておいた台詞を棒読みで喋り始めた。
「あっ、そうだ、そうだ! このたび閣下は『買い物』のため、遠路はるばるやっていらしたとか! その『商品』のほうも襲撃の折に紛失されたと聞いております! いやはや災難でしたなあ!」
グレゴリーの動きがぴたりと止まった。
沈黙の後、ロンドの耳元でささやく。
「……貴殿、何を知っている?」
「はて、何、と申されますと? 閣下がゼパルマに来られるたび足繁く通われている店のことですかな? それともその店の商品のこと? はたまたウミガメ屋の小悪党ゴードンのことですかな?」
ロンドの言葉で、グレゴリーの端正な顔面から一気に脂汗が吹き出した。テカテカした顔面をぷるぷる震わせ、目を見開き、ようやくガサガサな声を絞り出す。
「…………何が望みだ?」
「何を申されます、望みなど! このたび、グレゴリー閣下は周遊にいらした際、偶然にも魔族の襲撃に居合わせ、あくまでも騎士道精神にのっとり、あくまでも善意でゼパルマ市民をお守り下さった……その際、不幸にも竜が傷つき、神殿を倒壊させてしまったが、それはやむを得ない損害であった。我々ゼパルマ市民は勇猛なるグレゴリー閣下と竜騎士団の尽力に感謝の意を表する……というだけの話、ではないですか?」
「き、貴様、警護の不備から国賓が襲われ、竜にも被害が出ておるのだぞ! 竜一頭の価値は砦一つに匹敵する! それを……!」
ぎらぎらと目を血走らせながら、小声で抗議するグレゴリー。ロンドはにやりと妖艶な笑みを浮かべ、囁いた。
「実は、ゴードンが何者かに殺害されましてね。某の立場上、顧客名簿の一人一人にきっちりたっぷり事情聴取をしなければならないのですが……」
「そっ、そうであった!! 我らアルスタッド竜騎士団は、あくまでも騎士道精神にのっとり、微力ながら、魔族の撃退に力添えしたのであった!! なに、こちらの被害など微々たるもの、むしろ巻き込んでしまった神殿の再建に向け、個人的にぜひとも寄進などさせていただきたいなあ!」
「おお、なんたる寛大さ! 見よ! これこそ誉高きアルスタッド竜騎士団であるぞ! 勇猛なるグレゴリー閣下、ここにあり!!」
「な、なんだこれ……」
「……ま、まあ、丸くおさまったみたいですし……」
三文芝居を続ける二人を遠巻きに見ながら、リョウとファセリアは困惑し苦笑を浮かべるのであった。




