飛べない猫は
四足歩行で塀を走り、屋根を飛び移り、ニャミミは港までの道のりを文字通りまっすぐ駆けた。
「ごきげんよう。まあ、貴猫とっても大きいのね! お名前は?」
屋根の上で日向ぼっこしていた黒猫がのんびりと挨拶してくる。ニャミミはぴたっと足を止めた。
「こんちにゃ! ニャミミはニャミミだにゃ。ファイルーンから来たにゃ」
「まあ、王都から? さぞかし素敵なところなんでしょうね」
「うにゃ〜、フツーにゃよ、フツー。この町だってサカナが美味いし、いい所にゃ」
「ニャミミさん、貴猫、この町の名産のカブトダイはもう召し上がりまして?」
「うにゃ!? 食べてないにゃ! うまそーだにゃ」
「ねえ、ところで最近生え替わりの時期でムズムズしませんこと?」
「この町、あったかくていいにゃ〜」
「先日わたくしの従僕がマタタビを持ってきたんですが、聞いてくださいな。これが混ざり物ばかりのとんだ粗悪品でして」
「あっ、フナムシ! フー!!」
「まあ、ニャミミさんの尻尾、ふわふわですのね」
あまりにもとりとめのない、とっちらかった会話。
月の神殿へ少しでも早く着くために9割ほどネコ化したニャミミであったが、残念なことに脳みその方もネコ並みになってしまっていた。
思いついたことはすぐやる。そして忘れる。それがネコ。
「ひなたぼっこ、気持ちいいにゃ〜」
「にゃ〜ですわねぇ」
「…………ぁぁぁぁぁぁ」
「ん? なんかこっち飛んで来るにゃ〜」
「ぁあぁぎゃああぁぁあああああああああああああ!!!!!!」
ぽかぽかの日向で寝そべったニャミミの頭上を、ドップラー効果と共にリョウとファセリアがすっ飛んで行く。
ニャミミはようやく本来の目的を思い出した。
「こ、こんなことしてる場合じゃないにゃ!! また今度にゃ!!」
「あらあら、さようなら」
黒猫婦人に見送られてニャミミはまた走り出した。
市街地を抜け、商業区に差し掛かる。月の神殿はもうすぐのはずだ。
その時、港の船着場で爆音と悲鳴が上がった。
係留されていた竜が一頭、大きな翼をはためかせ空へ舞い上がる。
竜は地上に向けて火球を吐き、また爆発が起こった。
竜と何かが戦っているのだ。
おそらく旅客であろう女子供の悲痛な叫び声が響く。
ニャミミは一瞬の迷いの後、そちらへ進路を変えた。
(ごめんにゃ、リョウ! すぐに片付けてそっち行くからにゃ!)
竜を使っているということはそれだけ危険な敵ということだ。街中で暴れられでもしたら大きな被害が出る。なんとか港にいるうちに鎮圧しなければならない。
商店の屋根を跳び港に降り立つ。
老若男女が逃げ惑う中をニャミミは遡行する。
船着場の貨客船が真っ二つに折れ、黒煙を上げながら沈んで行くのが見える。
その前に異形の巨人が立っている。
ニャミミの倍ほどの背丈で、どこぞの剣士のように粗末な腰布だけを纏っている。
筋肉質な身体には皮膚が無く、筋繊維が剥き出しになっている。身体の側面には合わせて6本の腕がそれぞれ独立して蠢いている。
太い首を取り囲むように生えている3つの頭部がおどろおどろしい咆哮を上げていた。
その足元には幾人もの兵士や市民の、無惨にひしゃげた骸が転がっている。
おぞましい姿の巨人に相対しているのは、優美な甲冑を纏った壮年の騎士——アルスタッド連邦エルラントの竜騎士団長、グレゴリーとその部下であった。
戦闘形態へ変異たニャミミが、両耳を立て、双眸を爛々と輝かせながら、音もなくその側へ駆け寄った。
「助太刀するにゃ!!」
「……女か。不要だ。引っ込んでいろ」
グレゴリーはちらりと横目でニャミミの姿を確認すると、吐き捨てるように言った。
あまりの言い草にニャミミは絶句して口をぱくぱくさせていたが、気を取り直しふたたび声をかける。
「さっさとやっつけないとまたギセイが出るにゃ!」
「知るか。この町の治安維持はこの町の人間の仕事だ」
「きっ、騎士隊長ともあろーもんがそんな器のちっちゃいことでどーすんにゃ!?」
「まったく、たまの休暇に遠出してみればこの有様だ。大体ファイルーンの人間はまともに魔族避けの結界も張れんのか。仮にも英雄王の国だぞ。まったくもって嘆かわしい」
「た、隊長、まあその、そうおっしゃらず」
グレゴリーが実に不愉快そうにぐちぐちと愚痴をこぼしているのを、若い竜騎士が宥めている。
「アルバート、状況は?」
「は! 賊は魔族2体。もう1体は既にいずこかへ飛び去ったとのことです。乗組員と乗客は積荷と共に避難完了しています」
「先の闇市の襲撃といい、まさかこいつらの目当ては……しかし何故だ。一体何が起きている」
「……ちょっと待つにゃ。お前の積荷って、まさか」
「オマエラ」
「ナニヲ」
「ジャレテヤガル」
巨人は3つの頭の口を同時に開くと、凄まじい速度で突進した。
ニャミミとグレゴリーは左右に飛び退き、強烈な体当たりを躱し損ねた竜騎士アルバートだけが吹き飛ばされ、青果の露店に派手に突っ込んだ。
「あの見た目で急襲型とかサギにゃろ!! 怪力系じゃないのかにゃ!」
ニャミミはぎょっとして冷や汗をかきながら巨人を指差し、なぜかグレゴリーに文句をつけた。
「貴様がどうなろうと知ったことではないし、本来そんな義理すらもないわけだが、猫娘。もののついでに忠告だけはしておいてやる——」
グレゴリーがぐちぐち喋っている間に、巨人の6本のうち左右の2本が複雑な印を結び、頭のひとつが呪言を唱える。
巨人の掌から2本の漆黒の矢が現れ、放たれた。
飛来する矢をニャミミはなんなく躱したが、矢は向きを変え再度ニャミミを襲う。
ニャミミは並ぶ露店の間を走り、魚屋に逃げ込む。
矢は魚やら貝やらをぶちまけながら棚に突き刺さり、ようやく動きを止めた。
「——奴は魔術も使うぞ」
「オマエおっっっそいにゃ!!!! もう知ってるにゃ!!!! ウスノロ!!」
頭に乗っかったタコをひっぺがして放り投げながらニャミミは激怒した。
「まったく、たまに気を利かせてせっかく助言してやればこの言い草だ。だから女は嫌なんだ」
「はいはいそりゃどーもあんがとにゃ!!」
怒り心頭のニャミミが、その鬱憤を晴らすべく巨人に飛びかかる。
「やれやれ、品のない奴だ。所詮はネコか」
グレゴリーは腰の湾刀を抜きながらゆっくりと間合いを詰める。
巨人はニャミミの動きに反応して6本の腕を広げ、捕えようとするが、ニャミミは無数の拳撃を見舞いながらすばしっこく腕の間をすり抜け、身体を駆け上がった。
「オマエ、なかなか速いけどにゃ、誰に喧嘩売ってるのかわかってんのかにゃ?」
ニャミミは巨人の(6つある)耳元で悪い顔で笑うと、その頭のひとつを蹴り飛ばして距離を取った。
6本の腕を挙げ、無防備になった胴体をグレゴリーの湾刀が切り裂き、血飛沫を舞わせる。
「ネコ」
「ニゲル」
「ツカマエル」
攻撃が効いているのかいないのか、巨人は無機質に声を発しながらニャミミを追いかけようとする。
そこに頭上から飛竜が吐き出した火球が直撃して、爆音と共に巨人の身体は炎に包まれた。
うめき声を上げながら、巨人は苦しげに身を捩る。肉の焼ける嫌な匂いが辺りに充満した。
その隙を逃さず、ニャミミは一気に間合いを詰め、素早く8つの掌印を結ぶ。
「碝」「殲」「勠」「吼」「鎧」「刄」「討」「穸」
全身に漲った氣の力が両手に集中し、眩い白光を放つ。
『發氣蓮杖』
ニャミミは跳躍し、巨人の腹に氣を纏った諸手突きを見舞った。
反発し合う陰と陽の氣が爆発を起こし、光の奔流が周囲の景色を白飛びさせる。
空中で技を放ったニャミミの身体は吹き飛ばされ、ふたたび露店に背中から突っ込んだ。
派手な音と共に陳列棚が割れ、色とりどりの野菜と果物が宙に舞う。
「うう、うにゃにゃ……とっさに空中で打ってみたけど、やっぱムリがあるにゃ〜」
腰をさすりながら上体を起こす。
するとすぐ側で男の声がして、手が差し伸べられた。
「なあ、あれ、あんたがやったのか? とんでもない威力だな……」
巨人の最初の突進で吹き飛ばされたアルバートだ。どうやらたいした怪我はなかったらしい。
「あ〜、お兄ちゃん無事だったにゃ? よかったにゃん」
ニャミミはその手を取り、立ち上がる。
巨人は先ほどまでと同じ場所に立っていた。
しかし、その腹は大きく抉れ、ほとんど背骨だけで上半身を支えてぎしぎしと揺れている。
「ネ、ネコ……」
「ネコ……」
「ツ……カマエ……ル……」
巨人の3つの頭は血をごぼごぼと吐き出しながら、うわごとのように繰り返している。
「しぶとい奴だ。頭を潰すか。それとも、心臓か」
グレゴリーが巨人にとどめを差すべくつかつかと歩み寄る。
『謌代′逶滉クサ鬲皮嚊蟶昴?繝ォ繝?繝?繝シ繝ォ讒倅サ贋ク?螟ェ蛻?縺ョ蜉帙r謌代↓荳弱∴縺溘∪縺』
その瞬間、巨人の口からこの世ならざる響きの呪言が紡がれた。
赤い光に包まれた巨人の上半身が見る見る膨れ上がる。
「……!?」
グレゴリーが警戒し身構えた瞬間、巨人の上半身は己の脊椎と腸を引きちぎりながら、猛烈な速度でニャミミ達に飛びかかった。
ニャミミは反射的に竜騎士を突き飛ばし、自らも避けようと跳躍する。
しかし、巨人の腕が素早く伸び、ニャミミの身体は鷲掴みに捕えられてしまった。
「にゃっ……! 油断したにゃ……!」
ニャミミの口から苦しげな声が漏れる。
「死に損ないが」
グレゴリーが素早く近付き、跳躍しながら巨人の頭に切り付ける。
騎士団長の湾刀は頭の1つを見事に切り飛ばした。
それでも巨人の動きは止まらない。余った4つの手で印を結び、4本の漆黒の矢を召喚する。
4本の矢が意思を持ったようにグレゴリーに襲いかかる。
グレゴリーは身を躱し湾刀で弾くが、矢はその度に向きを変え、幾度も飛来する。
ついに躱し損ねた1本の矢が、グレゴリーの肩口に深々と突き刺さった。
「団長!!」
竜騎士の叫びと共に竜が舞い降り、両脚の鉤爪で巨人を引き裂こうとする。
「アルフレド!! 迂闊に近付くな!!」
グレゴリーは矢を弾きながらそれを制止しようとした。
巨人の2つの頭が、同時に竜を見上げた。
次の瞬間、巨人はニャミミを捕らえたまま跳び上がり、竜の脚にしがみついた。
動揺した竜は甲高い鳴き声を上げ、それを振り解こうと派手に暴れる。竜騎士がなんとか竜を宥めようと悪戦苦闘しているが、まるで制御が効かない。
竜は巨人の上半身をぶら下げたまま、どんどん上空へ舞い上がっていく。
「にゃにゃにゃ!? ちょ、たっ、高い、高いにゃああああああぁ!!」
ニャミミは思わず悲鳴を上げた。
すでに灯台の高さも優に超え、鳶の飛ぶ高度に迫ろうとしている。いくら猫人族とはいえ、この高度から落ちれば当然無事では済まない。
「ちょっと!! 竜騎士様!! なんとかしてにゃ!! 死にたくないにゃああぁぁ!!」
涙目で竜の背に向かって助けを求める。
が、竜の背には無人の鞍が載っており、千切れた革のベルトだけがブラブラと揺れていた。
竜騎士アルフレドは、落馬ならぬ落竜していた。
「う、うそにゃろ……? そんな、それじゃあ……」
竜の翼の羽ばたきが、徐々に弱くなっているような気がした。
それはそうだ。こんな巨人の上半身などぶら下げていたら過積載もいいところだろう。
——つまり。
「お、お、落ちるにゃあああああぁぁぁあ!!!! いやぁぁあぁあああ!!!!」
力尽きた竜はニャミミの悲鳴と共に、錐揉みしながら落下していった。




