港湾都市ゼパルマ
ディーンは、この歴戦の兵としては大変に珍しい事に、両目を大きく見開き、ぽかんと大口を開け、その光景の前に呆然と立ちすくんでいた。
ゼパルマの港の大きな桟橋には大小様々な商船や漁船、軍船や旅客船が停留しており、老若男女に人間に亜人、多種多様な人々が行き交っている。
抜けるような青空の下、活気に溢れ、彩に満ちたその光景は、ディーンの故郷の裏ぶれ荒んだ港とは全く異なるものであったが、異世界の戦士の目を釘付けにしたものはそれではなかった。
「み、耳長。あれは一体何だ!? 生きているのか?」
「え? ああ、アルスタッド連邦の騎士団ね。最近行き来が多くて、なんかきな臭い感じなのよねぇ」
リリーはそんなディーンの様子に無頓着にのんびりと感想を述べた。
「いや待て、そうじゃない。あのデカブツは何なのかと訊いている!」
海に向かい伸びているいくつもの桟橋のひとつに、今まさに翼を持つ巨大な竜が舞い降りるところであった。
竜は周囲の海面を波打たせながら静かに着陸すると、大きな翼を綺麗に折りたたみ、その場にうずくまった。
その後ろにさらに2頭、一回り小さな竜が降りてくる。
「ああ、飛竜のことにゃ? 確かにでっかい竜にゃ。お偉いさんかにゃ」
「あの紋章は見たことがあります。エルラントの騎士団長ですね」
ニャミミとファセリアが口々に補足するも、まるで耳に入っていない様子で、ディーンはふらふらと飛竜に近づいていく。
胴体だけで漁船ほどの大きさがある。そこから長い首が伸び、角の生えた巨大なトカゲのような頭には白色の兜を着けている。
全身は鈍い金属光沢の銅色の鱗に包まれ、首の根本には無数のベルトの付いた革の鞍がちょこんと載っている。
その姿はディーンの世界に言い伝えられている伝説の生物、竜に他ならなかった。
近づいてくるディーンに気付き、竜は僅かに首を持ち上げ、その威容に反して愛らしい漆黒の瞳でディーンをじっと見つめた。
桟橋を封鎖していた数人の兵士たちがその動きを察知して、ディーンを警戒するような素振りを見せた。
「びっくりしました? 僕も最初にあれを見た時は感動したんですよ! ドラゴンですよドラゴン! まあ正確にはああいう前脚が翼になったタイプはワイバーンってことになるんでしょうけど。しかも竜騎士があれに乗るんですから! まさに異世界の醍醐味ですよねえ」
リョウが歩み寄って来て嬉しそうにぺらぺら早口で言う。
ディーンのこの反応が見たくて、飛竜のことは黙っていたのだ。
飛竜の背から降りた男が、兜を脱ぎながら桟橋をゆっくりと歩いて来る。
曲線が多用された優美な甲冑に身を包んだ、壮年の男だった。赤毛の巻き髪は肩まで伸び、口髭と顎髭は綺麗に整えられている。遠目から見ても整った顔立ちで、いつのまにか周りを取り囲んでいる見物人の女たちから歓声が上がった。
「アルスタッド連邦は、この海の西にある島国です。いくつかの島にそれぞれ国があって、長年戦争状態にあったんですが、今は名目上は統一されています。相変わらず仲は悪いみたいですけどね。竜自体はこの国にもいますが、ああして騎竜として使えるのはあの国だけなんです。その方法は秘法中の秘法だそうで……実に興味深いですねぇ」
「魔術師殿。俺は決めたぞ」
ディーンは取り憑かれたように飛竜から目を逸らさず、興奮した口調で言った。
「俺はいつか必ずあれを手に入れる。竜を駆り、空を飛ぶぞ」
見物人たちの前を通り過ぎて、騎士が馬車に乗り込んで行く。
ディーンはそちらには目もくれず、ずっと飛竜の姿を見つめていた。
◇◇◇◇◇◇
「おお、聖女ファセリア! ボクのココロに差す一筋の月の輝き、純白のツバサ広げるボクだけの女神様!」
港の近く、切り立った崖の上に建つ小さな神殿が、ここゼパルマのラクタリス神殿であった。
両手を広げ、熱烈に出迎えた痩身の男はこの神殿の司祭タイデルである。
「お元気そうでなによりです、タイデル様。急な訪問になってしまって申し訳ありません」
答えたファセリアはいつものように慈愛に満ちた微笑みを——浮かべてはおらず、眉間に皺を寄せ、唇の端を僅かに吊り上げてぴくぴくと痙攣させている。
「そんなことでその小さな胸を痛めないでおくれ! ファセリアのためならボクは、セカイなんて壊したって構わない——ああ、前もって知らせてくれていたら、傷ついたツバサを広げキミを迎えに飛んで行ったのに!」
「なにこのきもいやつ」
屋台で買ったリンゴをもしゃもしゃ頬張りながら、リリーがタイデルを無造作に指さす。
「こ、こちらはこの神殿の司祭であられるタイデル様です。以前から、その、何かとお世話に」
ファセリアは社交辞令丸出しでがちがちに固い笑みを浮かべた。
タイデル司祭は歌劇のように大袈裟な身振り手振りを交えながら、ファセリアの前にひざまずき、その手を取る。
「美しいキミのために、この胸を切り裂いて真紅の心臓を捧げよう——それでこの愛を証明できるのならば」
「いえ大丈夫です……」
「おうおうおう! あんちゃん、誰の許可を得てウチのファセリアさんの手ぇ握ってくれとんねん!?」
低い背を精一杯伸ばし、頑張ってタイデルを見下ろしながらリョウがその手をがしっと掴んだ。
「なんだねキミは? ああ、おおかたファセリアの優しさを勘違いした虫けらといったところか。キミごときが血より濃いキズナで結ばれたボクとファセリアの仲を引き裂けるとでも?」
「は、はあ!? 僕なんかファセリアさんを身を挺して守護って泣かれちゃったりしたんですが? そんな友達以上恋人未満の間柄なんですが!?」
「なっ、何を!? ボクとファセリアはラクタリス様への信仰を共にする同士、魂の盟友、いやさこれはもういっそ精神的恋愛と言っても差し支えないんだが!?」
「やかましい軟弱ナルシスト坊主! お前みたいなオタク野郎、僕のファセリアさんが相手にするもんか! うぎぎぎぎ」
「黙れガリ勉悪魔崇拝者! くっさい穴ぐらでドドメ色の鍋でもグツグツ煮込んでろ! ぐぬぬぬぬ」
髪を引っ張ったり顔をひっかいたり、ジメジメした争いを始める2人。
「うわ〜……陰キャ同士のケンカ、見てらんないにゃん」
そのあまりの醜悪さにニャミミは目をそらした。
「ちょっとオタサーの姫、なんとかしなさいよ」
「誰がオタサーの姫ですか!! 知りませんよ!!」
リリーがからかうとファセリアは過去イチの大声で突っ込んだ。
「……まあ、やらせておけ。すぐ終わるだろう」
ディーンまでもがうんざりした様子で肩をすくめた。
◇◇◇◇◇◇
「そうか……それは、その……」
ディーンがエスメラルダ姫の特徴を伝えると、タイデル司祭は明らかな困惑の表情を浮かべ、一行を見回した。
「……心苦しいのだが、そのことについてボクからは話せない。ただ、それらしい女性は確かにここへ来た。ほんの5日ほど前のことだ」
「なんだと、本当か!? それで彼女はどこに!?」
「わ、わからない。まだ街にいるのか、出て行ったのか……」
ディーンが勢い込んで肩を鷲掴みにすると、タイデルは怯えた表情で震えながら答えた。
「その女は何をしに来たんだ!?」
「……すまない」
司祭は声を震わせながら目を逸らした。
「タイデル様。何かご事情があるのは承知いたしました。もしかすると貴方は、どなたかを庇っていらっしゃるのではないですか?」
ファセリアの言葉に、タイデルはいかにも苦しげな表情をした。
「私も、ここにいらっしゃる皆さんも、ここで聞いたことは決して口外しないことをお約束いたします。ご心配でしたら、私に『制約』を掛けていただいても構いません。どうか、お力添えいただけませんか」
「……! そんな、ボクがキミにそんなこと、できるはずがないだろう」
タイデルの顔色が変わる。
「力を持った聖職者は、対象者との合意の元でその言動に制約をかけることが出来るんです。誓いを守るための神の加護の力が得られる反面、制約を破ると重い罰が下されます。目が見えなくなるとか耳が聞こえなくなるとか、結構えげつない罰です」
リョウが小声でディーンに説明する。
「ならば俺にその制約とやらを掛けてくれ。話を聞くのも俺1人で構わん。それでどうだ」
ディーンは真剣な目でタイデルを見つめ、静かな口調で語りかける。
タイデルはディーンの青い瞳をしばらく見つめ、とうとう決心したようにうなずいた。
「……わかりました。そこまで仰るなら、貴方を信用します。ファセリアの冒険仲間の皆さんを」
タイデルはゆっくりと皆を見回す。
「ただし魔術師、おめーはダメだ」
「て、てっっっめえこのヒョロガリモヤシ!! 今なんか和解する流れだっただろうがよおおおぉぉ!!」
「知ったことか裏生り瓢箪!! ボクはオマエが嫌いだ! 普通に嫌いだ! とっとと帰れ!」
「あーもう、話がすすまにゃいにゃ〜!」
……しばらくお待ちください。
(結局ファセリアにお願いされて、渋々リョウも一緒に話を聞けることになった)
◇◇◇◇◇◇
「くれぐれも、ここで見聞きしたことは内密に。よろしいですね」
神官たちの居室の奥、物置のような扉の前でタイデルが振り返り、念を押す。一同が黙ってうなずくと、司祭はゆっくりとその扉を開けた。
その小部屋には神殿の質素な貫頭衣を着た二十歳位の女性と、まだ小さな少年、その妹らしき少女が怯えた目でこちらを見ていた。
「心配しないで、大丈夫です。あなたたちを連れて来た女性の知り合いかもしれない方が、話を聞きたいそうなんです。少しだけ話をしてあげてくれませんか」
タイデルは先程までとまるで違う穏やかな口調で、女性たちの不安を和らげるように優しく語りかける。
そしてディーンたちを振り返り、静かに言う。
「彼女たちは、奴隷……いえ、正確にはこれから奴隷となる、奴隷商の商品だった方たち、です」
タイデルの目は真剣そのもので、憐憫と怒り、そして彼女達への思いやりが感じ取れた。
「この街の闇市の、奴隷商のことはご存知ですか?」
「……何らかの事情で売られた人間や、孤児なんかが集められて競売にかけられるのよね。それを金持ちの商人やら貴族が買う……人間の愚かさと醜悪さの集大成ね」
リリーは軽蔑しきった顔と声色で、嫌悪感を顕にした。
「それは、表向きの話ですね。確かに以前はそうでした。戦災孤児や、貧しい村で口減らしのためにやむなく売られた子供なんかが主な商品だったんです。ですが、太平の世が長く続いて事情が変わってきた。商品の入荷ができなくなってきたんです。奴隷は闇市の目玉商品で、貴族や、海外のお偉いさんにも顧客がいる。となると元締めは困るわけです。すると今度は」
「攫って来るのだろう。よくある話だ。悪い子供は攫われて、曲芸団や剣闘場に売られるぞと、ガキの頃よく脅されたもんだ」
「そうです。人を攫って商品にするということが起きています。そして、ここからが問題なのですが、ひとたび商品として売られ、奴隷になってしまえば、その人は完全に買い手の所有物になる——法的にもそうなってしまうんです。いくら攫われたんだと言った所で、聞き入れられない。第三者が助け出せば、窃盗の罪に問われる」
「何よそれは!! めちゃくちゃじゃない!!」
リリーが凄い剣幕で突っかかると、タイデルは諦観に似た自虐的な表情を浮かべた。
「まさしく貴女の仰る通り、人類の汚点に他なりませんよ、美しきひと。以前ファイルーン王がこの制度に梃入れしようとした時には、貴族達から猛反発に合い、結局頓挫したのだとか」
「でも、それじゃあどうやってこのひとたちは……?」
「数日前、闇市で騒ぎがあって、私たちはその隙に逃げ出すことができたんです。どうも、何者かに襲撃を受けたようでした」
それまで黙って話を聞いていた女性が口を開いた。
「闇市を襲撃? その筋の人間を敵に回してか? まともじゃないな」
裏社会の人間の執念深さをディーンはよく知っている。彼らは何よりも体面や面子を重んじ、それを潰されたとなればどこまでも相手を追う。
「大掛かりな攻撃で、あちこちから火が上がっていました。その間に、私たちと一緒に馬車で連れてこられた女性の方が牢を破って、私たちを連れ出してくれたんです。その後はこの神殿まで送り届けて下さいました」
「!! それだ!! その女は、緑色の目をした、金髪の背の高い女か!? エスメラルダと名乗ってはいなかったか!?」
「ええ、確かにそんなお姿でした。ただ、お名前までは……」
「あるゔぃー」
女性が口ごもると、隣にいた少年がおもむろに口を開いた。
「ん? どうした、坊主」
ディーンの問いかけに、少年は曇りのない大きな目を向け、答える。
「おねえさん。あるゔぃーっていう名前」
「……アルヴィーだと?」
「偽名かもしれません。当たってみる価値はありますよ!」
リョウの言葉にディーンは大きくうなずいた。
「それで、その女はそれからどうした? どこへ行った?」
「あの方は、まだ助けなければならない人がいるからと、闇市の方へ戻って行きました。ご無事だといいのですが……」
ディーンの問いに答えると、女性はいかにも心配そうに目を閉じ、祈るように胸の前で手を組んだ。




