神殺し
「畜生、どうなっていやがる!!」
社の外に新たな魔獣の姿を認めたディーンは、呪詛の言葉を吐き捨てると剣を握る手に力を込めた。
戦士は焦燥に苛立っていた。
ニャミミが離脱し、ファセリアが頭数に入れられない現状、これほど巨大で素早い獣を相手取るには単純に前衛の頭数が足りない。
ディーンは生来の一匹狼である。これまでの闘いでは自らの身が守れればよく、後衛を守りながらの闘いには不慣れであった。
社の入り口付近にはジークとファセリア、そして瀕死のリョウがいる。
魔獣をそちらに向かわせるわけにはいかない。
考えるより先に脚が動き、ディーンは駆け出していた。
後ろでリリーの制止する声が聞こえる。
「おおおおおぉぉぉおおお!!」
気合いの雄叫びと共に剣を叩きつける。
魔獣の硬い毛皮により刀身はすっかり鈍ってしまっている。
焦りが力みとなり、僅かに剣の軌道を狂わせる。
魔獣の脚に斬りつけると、硬い骨に弾かれ、ディーンは体勢を崩した。
そこに、魔獣が両脚を振り下ろし、踏みつけてくる。
迷いが戦士の動きに僅かな遅れを生む。
ディーンは受け身を取りながら転がり、なんとかそこから逃れた。
立ち上がり両手で剣を握ろうとするが、左腕に力が入らない。
攻撃を躱し損ね、肩が外れてしまっていた。
魔獣の顎が眼前に迫る。
鋭い歯が並び、喉の奥には炎がちらちらと燃えているのが見えた。
ディーンは右手で剣を突き出し、それを防ごうとする。
魔獣は口を閉じ、その刀身をいとも容易く噛み砕いた。
ディーンは魔獣の顔を蹴り付け、なんとか間合いを取る。
その瞬間、地面から巨大な氷柱が伸び、魔獣の腹を背中まで貫いた。
間髪入れずもう一本が魔獣の左脇腹から右肩を貫通し、さらにもう一本が下顎から脳天を貫く。
魔獣は赤い血を滴らせながら痙攣し、やがて動かなくなった。
ディーンは安堵し、肩で息をしながら、社の中のリリーを労おうと視線を向けた。
「貸しができたわね、筋肉バカ」
リリーはいつものように勝気に笑っている。
「今回ばかりは、そのようだな」
疲労の色を滲ませながらディーンは苦笑いを浮かべる。
「あとは頼んだわよ……バカ」
リリーはそう言い残し、糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。
「おい、耳長!!」
ディーンは叫んで、半妖精の少女に駆け寄ろうとする。
その脚が止まった。
荒い息をしながら、ゆっくりと振り向く。両目が大きく見開かれる。
怒りか、興奮か、それとも恐怖か。その身体がわなわなと打ち震えている。
氷柱に貫かれた魔獣の亡骸の先、森の方から、炎の鬣を持つ黒狼が悠然と歩いてくる。
「……お前は、何なんだ」
ディーンは思わずそう口走った。
戦士の感覚が告げていた。
新たに現れたそれは、仲間や援軍などではなく、その横で串刺しになっている骸とまったく同一のものだ。奇妙な話だが、ディーンはそれに一切疑いを持たなかった。
「これはおかしな事を訊くな、漂流者よ」
意外なことに、魔獣はそれに答えた。
「俺は古きもの。炎を指して、地割れを指して、雪崩を指して、それが何者かとは訊くまい。俺は俺という存在以外の何者でもない」
「何が目的だ」
「それに対する答えも同じだ、異世界の飛沫よ。炎に、地割れに、雪崩に、目的などあるものか」
「お前は、不死なのか」
「生と死とは入り混じり不可分なもの。俺は生きてもいるし、死んでもいる、と言えば分かるか、神の理に囚われし者」
魔物は嘲笑するように言い、体勢を低くした。
「ではそろそろ俺に喰われろ、人間の戦士」
ディーンは折れた剣を握り、魔獣を睨む。
さしもの歴戦の勇士ディーンも、今やはっきりと己に迫る死を意識せざるを得なかった。
「ファセリア!! いけない!! やめなさい!!」
社からジークの叫ぶ声が響いた。
同時に、魂まで凍えるような怖気を感じ、ディーンは眼前に魔獣がいるのにも関わらず、とっさに背後を振り向いた。
礼拝堂の中心に、純白の貫頭衣姿の少女がぽつりと立っている。
社の天井に開いた大穴から、カーテンを下ろしたように白銀の光線が降り注いでいる。
今夜は満月だった。
巨大な月が煌々と、凍てつくような冷たい輝きでファセリアを照らしているのだ。
ファセリアは倒れているリョウに顔を向け、ふっと息を吹きかけた。
続いて、足元に伏しているリリーと、正面のディーンに。
「これは……神の癒しか」
ディーンが呻くように呟いた。
外れた肩も、いくつもの傷や火傷も、そして折れた剣さえも、全てが無かったかのように元通りになっていた。
おそらく、リョウとリリーも同様なのだろう。それでも、助かったという心持ちにはまるでなれなかった。
「ファセリア!! やめるんだ!! 君の身体が、魂が持たない!!」
ジークが駆け寄り、懇願するようにその手を取ろうとする。
ファセリアが一瞥すると、ジークは見えない壁に衝突したように動きを止め、ぶるぶると震えながらその場に跪いた。
「ゆるさない」
ファセリアの口から言葉が漏れた。
幼子のような声であるのにも関わらず、屍肉に群がる鴉のような、どこまでも不吉な響き。
それが波動となって、周囲の景色を歪めながら円形に広がっていった。
ディーンは吐き気と同時に明確な恐怖を覚え、堪らず膝を着いた。全身が総毛立ち、がたがたと震えている。
「神官殿!! これは、何だ!? 一体何が起きている!?」
「ああ、ファセリアは、彼女は……」
ジークは跪いたまま両手を組み、涙を流している。
「女神様を、月の女神ラクタリス様をその身に降ろしたのです」
「これがか!? こんな恐ろしいものが女神だというのか!?」
ファセリアはゆっくりと魔獣に歩み寄っていく。
「面白い。こんな小童が神降ろしとは!」
魔獣は唸り声を上げながら身を低くして迎撃の体勢をとった。鬣が赤く燃え上がり、瘴気が渦を巻いて立ち昇る。
「月の女神が司るものは、魂の安寧と救済、そしてもうひとつ、月の裏側にあるもの」
ジーク侍祭は顔に脂汗を浮かべながら、苦しげに告げた。
「……狂気です」
少女の手に、禍々しい装飾の施された漆黒の大鎌が現れる。
「ゆるさない」
降り注ぐ月光が少女の顔にくっきりと影を落とし、禍々しい笑みを形作った。
◇◇◇◇◇◇
少女の身体が宙を舞い、回転しながら大鎌を振るう。
魔獣は後方に飛びすさり、着地と同時に炎を吐く。
少女はその身を炎に焼かれながら、構わず前進し、大きく開かれた魔獣の下顎に斬りつける。
魔獣は悲鳴を上げて飛び退いた。
鋭い歯の生えた巨狼の下顎が、ごとりと落ちる。
「無様ね、神殺し。あなたこそまだ子犬じゃない」
焼け焦げた顔を引き攣らせながら少女が哄笑する。その身体と衣服が、見る見る再生してゆく。
「今はまだあなたの出る幕ではないでしょう。混沌の淵で大人しく眠っていれば良いものを……それとも誰かに呼ばれた?」
笑いながら少女が襲いかかる。
大鎌ごと縦に回転して、魔獣の背を抉りながら後方へ抜け、長い尾を斬り落とす。
魔獣は後ろ脚を蹴り上げ、その爪先が少女の脚を掠める。
あらぬ方向へ曲がった己の脚をちらりと一瞥すると、少女は掌を魔獣に翳した。
少女の掌から白銀の光線が放たれ、振り向こうとした魔獣の脇腹を貫いた。続けて何十何百もの光線が魔獣の全身を針のように貫き、大地に縫い留めた。
「伏せがお上手ね、ワンちゃん」
少女の折れた脚がみしみしと嫌な音を立てながら元の形に戻る。
「ご褒美に、ゆっくり可愛がってあげる」
少女は月光の下、高らかに笑った。
◇◇◇◇◇◇
ディーンはその凄惨な光景を見つめながら生唾を呑んだ。
少女の手にした鎌が、身動きの取れない魔獣を切り刻んでいる。
「ねえ、神殺し。あなたって死なないんでしょう? ねえ、それって、何度でも殺せるってことよね? 何度殺してもいいってことよね? ねえ、ねえ、ねえ?」
返り血を浴びながら、少女は恍惚の笑みを浮かべ、大鎌を振るう。
少女の細い腕は大鎌の重量と無理な動きに耐えきれず、その度に折れては治ることを繰り返している。
四肢の末端から、耳、目玉、鼻。
致命傷を避けるように、魔獣の身体は少しずつ削り取られてゆく。
血と骨片と肉片が飛び散り、辺りはまさに血の海となった。
「女神様!! どうかもうお止し下さい!! このままではファセリアが……!!」
決死の覚悟で発したジークの叫びも、彼女の耳には届かないようだった。
「あの娘は、女神に憑かれたということか」
魔獣と少女を見つめたまま、ディーンが訊いた。
「神とは多面的な存在なのです。どんな神にも、正の側面と負の側面がある。ファセリアは負の感情をもって神を降ろしてしまった」
「まるでこの世の全てのものを殺して周りそうな殺気だぞ」
「いえ、神の存在は大きすぎて、依代となった人間の肉体と魂が負荷に耐えられないのです。このままでは……」
「ファセリアが壊れる、か」
とはいえ、あの狂気の女神を月に返す方法など見当もつかない。そして万が一それが出来たとしても、またあの魔獣とやり合わなければならないのだ。
「戦士殿。リリーさんと彼を連れて逃げて下さい。そして、冒険者の酒場に救援を……」
高らかに狼の遠吠えが響いて、ジークの言葉は中断させられた。
寂寥感と気高さを感じさせるそれは、明らかに魔獣のものではなかった。
気がつくと、社の周囲を獣の影が取り囲んでいる。闇の中に緑色の眼光が無数に浮かび上がっていた。
少女もそれに気付いたようで、ぴたりと動きを止め、首を捻って後方を振り向いた。
茂みの中から何者かが歩み出てくる。
それは銀色の毛並みの狼の頭部を持った獣人だった。
異国風の服装の上に朱塗りの板片鎧を着け、大振りの曲刀を帯びている。
見た目こそ変わっているが、その鎧と太刀、そして立ち振る舞いには見覚えがあった。
「無礼をお許し下され、ラクタリス様。我々は月狼の一族、拙者はその頭領、カシワギと申す」
跪いた獣人を、少女はさも詰まらなさそうに一瞥し、ふんと鼻を鳴らした。
「よりによって月狼の眷属か……そうか、この社は」
「いかにも我が主、月狼を祀ったもの。斯様な荒事はお控えいただきたく存じます」
周りを取り囲んだ獣たちがゆっくりと歩み出て来る。
銀色の毛皮に身を包んだ狼の群れは、地に伏している魔獣を油断なく睨んでいた。
◇◇◇◇◇◇
「うにゃ〜、なんとか間に合ったんらにゃ〜」
ディーンはぎょっとして足元を見た。
いつの間にかそこにニャミミがへたり込み、ぜえぜえと荒い息をしていた。
「チョーキョリソーは苦手なんにゃ、くったくたのへろへろにゃ~」
「ニャミミ!? そうか、彼らはお前が」
相変わらずの気の抜けるような声を聞き、ディーンは安堵している自分に気付いた。
「月の神殿のそばのお社って言われてピンと来たにゃん。この辺は狼人族のナワバリにゃから、カシワギに出張ってもらってナシつけてもらおーと思ったんにゃにゃ。よりにもよってあんなモノと当たるなんて、さすがディーン、持ってるにゃ」
「そうだ、何なんだあの魔獣は。あんな化け物がそこら中にいるのか、この世界は」
苦情じみたディーンの言葉に、ニャミミは目を糸のように細めて笑った。
「にゃにゃにゃ、ジョーダンきついにゃ! あれはガルムっていう魔獣にゃ。別名『神殺し』。この世の終わりの戦争で、神々を噛み殺すオオカミ……いや、ダジャレじゃないにゃ! 真面目な話にゃ!」
ニャミミは自分で突っ込んで恥ずかしそうにしている。
ディーンは死を覚悟した先程までとのあまりのギャップに、疲れたような呆れたような、なんともいえない表情をした。
「しかし、そんなものが何故ここに? 世界が終わるのか」
「うんにゃ、たまに現世に迷い込んだり、誰かに召喚されたりすることがあるんにゃよ。あれは死者の魂を取り込んで際限なくデカくなるにゃ、今の姿はほんの子犬ってとこにゃ」
「……あれで、子犬だと?」
ディーン達はその子犬に危うく全滅させられる所だったのだ。
「まあ、不運にも野良犬ならぬ野良狼に噛まれたと思うことにゃ、あれは戦って倒すとか、そういう類のものではないのにゃよ」




