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Act 5-3:ナノテクの暴走

 その部屋は、あまりに奇妙だった。


 なにもない。

 机も、椅子も、ロッカーも、機械類も、なにひとつとして。

 まるで独房だ。


 その部屋の角に、人影がうずくまっていた。


 黒ずくめのローブ、シルエットには、見おぼえがある。

 警戒心を高めながら、そっと近づいていく。


 死霊魔術師(ネクロマンサー)は微動だにしない。

 様子が、変だった。


 俺は手を伸ばし、彼女の肩に置いた。

 抵抗感がない。

 意を決すると、腕を引き、彼女をふりかえらせた。

 首ががくんともたげ、こちらをむく。


 大量の虫のようなものが、ネクサの顔面を走り抜けた。


 わっと声を上げ、俺は身を離した。


 その両目が、ばっと開かれる。

 眼球が、青黒く染まっていた。


「親愛なる……ユウっすか?」


 声に、ウィウィウィという、機械音のような響きが混ざった。

 俺は恐慌のあまり、返答できない。


「そこに……いるっすね」


 ぐらりと、ネクサが首をねじる。


「あ、ああ……頭のなかでさえずってる……虫の羽音が」


 青黒い渦が、一瞬、彼女の全身をめぐり、耳や鼻、口、毛穴という毛穴に消えていった。


 こいつは――これは――。


転移(シフト)形態(モード)――」


 つぶやく。


 ネクサの身に起きていること。

 俺は、この能力を知っている。


 ナノマシンの群れに寄生されている。


 悪寒が走り、俺はよろめき、後ずさった。


「親愛なる……ユウ……」


 ミキシングに失敗したような声で、ネクサは言う。

 その異常に白い肌に、発疹のような無数の黒ずんだ斑点が、一瞬、浮かび上がり、消えた。


「助けて……助けてっす……」


 ひどい。

 ひどすぎた。


「こんなのはイヤ……イヤっす……イヤだぁ……」


 ――もう眠らせて。おだやかな死を。


「ネクサ」


 名を呼んだことに、意味はなかった。

 ただ、そばにいることを伝えてやらねば、という気持ちが先行した。


「ああ……」


 彼女の口から、わずかながら、おだやかな色が漏れる。


「会いたかった……会えて、よかったっす」


 その右腕が伸びてきて、俺をつかんだ。


 救いを求めての動作だったのかもしれない。

 だが、黒い渦が俺に向かって流れてきた瞬間、脳内アラートがけたたましく鳴り響き、俺はその手を払ってしまった。

 ネクサを呑みこんだナノマシンは、俺にも進入を試みたのだ。


「作られて、この世界に祝福なんて、求めてなかった、っすけど」


 がくがくとネクサの肉体が揺れる。

 天井をあおいだ顔から、言葉があふれる。


「親愛なる、ユウ、あなたに、会えた」


 ネクサは、手にした杖で、いきなり俺を殴りつけた。


 俺は無様に吹っ飛び、壁で後頭部を打った。


 彼女は、あやつられている。

 あのナノ粒子生命体に。


「もう、作られ、た理由に、いま、ここにい、る無意味に、おびえ、る必要もな、い」


 ほほえんだ少女の顔を。

 俺は、可憐だと、そう、思ってしまった。


起動(ブート)戦闘(コンバット)形態(モード)

類型(タイプ)(ブレード)


 腕を変化させ、一歩、歩み出る。


 ネクサと目が合う。

 ――決して、ためらわない。


 その首を、刃ではね飛ばした。


「ありが、とう」


 のどに残っていた空気とともに、そんな言葉が流れた。


 血の吹き出る首のつけ根の真上に、黒い渦が一瞬、わき上がった。

 夏場、電柱の近くで目にする蚊柱を思わせた。

 あの群れのなかに顔をつっこんでしまったときの感覚を思い出し、総毛立った。


 ネクサの肉体が、その場にくずれ落ちる――

 ――かと思うと、そのまま人間離れした姿勢で起き上がった。

 切断した首もとからあふれる青黒い渦が、床に伸びて、落ちた首を拾い上げた。


 首を両足のあいだにぶら下げた格好のまま、かつてネクサだった肉体が歩み寄ってくる。

 口が開き、ガラガラと音を発した。


 俺は左手で胸を押さえた。

 死者を停止させるのとは、まったく異なる感覚。

 ネクサは、まだ生きていた。

 その命を、俺は終わらせたのだ。


 目の前の存在を見る。


 コイツは、なんだ。

 なんなんだ、コイツは。


 この船が、いつからここに存在するのかわからない。

 だが、いまになって、コイツがあらわれたのは、どうしてだ。


 ひょっとすると。

 俺はあのとき、制御室にハッキングして、船内すべての扉のロックを解除した。

 その行為が、結果として、船内の、どこかの区画に物理的あるいは電子的に閉じこめられていたコイツを、解放してしまったのではないか。


 大量のiNOIDの抜け殻を思い出す。


 推論。

 この船がいつからここにあるにしろ、あのiNOIDたちは、生き延びることを最優先し、肉体を捨て、ナノ粒子生命体の群れ(スウォーム)となった。

 食物庫の食料や機器類を分解し、腐食させ、養分や資源を摂取し、これまで生きながらえてきたのだ。

 そして、俺があらゆるロックを解除したことで、一定区画から晴れて自由の身、外に出てきて新たなエサを得た。

 ネクサだ。


 もともと、この船がもし戦争のためにやってきた船だとするなら、iNOIDたちは、戦いのために作られたはず。

 その攻撃性は、まだ持っているかもしれない。

 いまだ船内にとどまっているのは、人体を持たないいま、外の環境に警戒しているためだろう。

 いくばくかにも知能は残っているのか、群れとしての本能がゆえか。


 もし連中が、外の世界に解き放たれてしまったら?

 もう手がつけられない。

 どこまでも広がっていき、疫病のごとく蔓延し、汚染のない安全な場所は、やがて消え失せるだろう。


「そんなものが、成れの果てなのか……」


 お前たちの。

 俺の、同類の。


(ユウ兄!)


 ミイの声が頭にこだました。


 まただ。

 彼女の傷口をナノマシンで修復して以来、離れていても、彼女の声が聞こえることがある。


(ユウ兄……)


 その声は切迫していて、悲痛に満ちている。


 ぎくしゃくと歩く、かつてネクサだったものから離れると、俺は走りだした。


「ユウ兄!」


 ミイがホールのほうから走ってきて、俺に抱きついた。


「ミイ、だいじょうぶか! ケガはしてないな!?」


 ふるふると、ミイがうなずく。


「なにがあった?」

「クゥさんが――カチュターシャさんが」


 言いかけたミイの背後から、それはあらわれた。


 青黒く波打つ大量のナノマシン。

 そのなかに呑まれ、一体化してしまっているカチュターシャとクゥのすがたが、そこにあった。

 カチュターシャの両手両足が、四本足の役割を果たしている。

 クゥは、上半身だけが露出していて、俺たちを見ている。


「なにが、あった」


 聞かずとも、わかっているが、口にせずにはいられない。


「カチュターシャさんのからだが――急に起き上がって――アレ、が――」


 やはり、すでに寄生されていたのか。


 本来、彼女は死んでいた。

 そして、蘇生させられていたのだ。

 俺が、あのドラゴンを蘇生したのとおなじように。


 理由はわかっている。

 死体よりも、生きた生物からのほうが、継続的に養分を摂取できるからだ。


「逃げるぞ!」


 俺は手を引き、後ろに走りだした。

 そっちの方角には、ネクサに寄生していた群れ(スウォーム)がいる。

 ちょうど、部屋から出てこようとするところだった。


「ミイ、止まれ!」


 さけんで、俺だけ前に出る。


類型(タイプ)鉄槌(ハンマー)


 ――すまないな、ネクサ。


 巨大な鉄塊と化した右手で、ネクサの肉体ごと、ナノマシンをたたく。

 あまりの衝撃にネクサの肉体がはじけ、血が、赤い霧となって周囲に乱舞した。

 ナノマシンのひとつひとつがくだけ、血と入り交じって、壁や床に飛び散った。


「いまだ、走れ!」


 ミイは俺の指示に従い、霧散した怪物の横を走り抜ける。

 ちらっとふりかえると、ネクサの下半身だけを残した化け物は、よろよろと歩いていたが、その後ろからやってきた巨大なクゥたちの群れに呑まれ、一体化した。


「さっきのって、もしかして――」

「気にするな。いまは」


 頭のなかに地図を浮かべる。

 くそ、こっちの通路は、出口とは反対方向にしかつながっていない。

 奥へ進むしかない。


「待てよ」


 俺はT字路で方向転換し、さらに進む。


「どこへ向かってるの!?」

「制御室だ、あそこに行けば、もしかして!」


 あのスウォームの動きは遅かった。

 距離はかなり稼げたはずだ。

 そのあいだに、やるべきことがある。

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