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Act 4-2:ドラゴンハート

「ミイ!」


 空はすでに、青く明るみ始めていた。

 いつの間にか、夜が明けようとしている。

 日の出が近い。


「やめろっやめてくれ!」


 クラタの仲間で唯一の生き残りであるルフィンが、尻もちをつき、両手の運動だけで後ずさっているのが見えた。

 かかとで土を蹴っているが、進まない。


 瑠璃色の空を背に、ドラゴンが、地に降り立つ――ルフィンの下半身を足踏みにして。


 ミイ(生きている!)の発した甲高い悲鳴ですら、ドラゴンの咆吼にさえぎられた。


 ルフィンは肺をつぶされ、さけぶこともできない。

 血が、口もとからこぼれ落ちただけだった。


 ドラゴンと俺とのあいだに、ミイはいた。

 ひざをつき、カチュターシャを守るように抱きしめている。

 ドラゴンとの距離は、俺との距離よりも近い。


 ドラゴンが首を伸ばし、ルフィンの胸を噛んだ。

 彼の上半身が、ドラゴンの口内へと消えた。

 ドラゴンの巨大な歯と歯のあいだから、ルフィンの両腕がばたついているのが見えた。

 死にものぐるいでドラゴンの頭部を殴りつけているのが見えた。


 すべては、無意味だった。

 無力だった。


 ドラゴンが首を持ち上げた。

 ルフィンのからだは真っ二つに裂かれた。


 ミイの悲鳴が聞こえる。


 ドラゴンはルフィンの上半身を吐き捨てた。

 彼の腹より上の部分は、血をまき散らしながら、俺の背後まで飛んで、船にぶつかり、地面に落ちた。


「ミイ!」


 俺は船から離れ、駆け寄ろうとした。


 真紅のドラゴンが顔を上げる。

 その足もとには、残されたルフィンの下半身の残骸がある。


 待て。


 前回、襲ってきたドラゴンは、漆黒ではなかったか。


 背後から咆吼――ふりかえると、べつのドラゴンが、ちょうど船の上に降り立ったところだった。

 翼の起こす風圧で、砂や小石がはじけ飛んでいく。

 黒い皮膚のエッジが、空のわずかな明かりを受け、にぶく乱反射している。


 ――またドラゴンの死体が消えましたって?

 ――それは最初のヤツだろ。こないだ降ってきたのは?


 二匹のドラゴンの死体。


 漆黒のドラゴンと真紅のドラゴンが、俺たちをはさんでいた。


「くそっ」


 俺は前と後ろを交互に見る。


「最悪だ」


 だが、躊躇はしない。

 地を蹴って、走りだす。


「ミイ!」


 彼女は、カチュターシャを抱いている。

 傷ついた人を見捨てて動くはずはない。

 そういう少女だ、彼女は。

 だから、俺がオトリになる必要がある。


 そんな俺の考えを見透かしたように。


 真紅のドラゴンが跳躍し、ミイの真後ろに降り立った。

 その口が大きく開いた。


 すべてが、スローモーション。


 ミイが髪をなびかせ、竜を、次いで、俺を見た。


 ミイが手を伸ばす。

 俺も手を伸ばす。

 たがいに手を伸ばす。


 牙が、ドラゴンの巨大な牙が、ミイの肩を背中からつらぬいた。


 血が、俺の顔にかかった。


 ミイと目が合った。

 彼女の伸ばした腕が垂れた。


 うそだ。


 彼女のからだが、がくんと後方に引かれた。

 ドラゴンが首をねじり、彼女をつらぬいた牙を持ち上げた。

 血が、さらに出た。


 うそだ。


 ドラゴンが、地を離れる。

 ミイをくわえたまま。


 待て。

 待てよ。


 ミイ。


「待てええええええッ!」


 俺はさけび走った。


 背後からの気配――漆黒のドラゴンが爪を振り下ろしてくるが、サイドステップで避けた。

 足を止めない。

 真紅のドラゴンとの距離を詰めていく――浮上するドラゴンの尾に飛びかかり、右腕でつかんだ。


類型(タイプ)(アロー)


 指先がかぎ爪状になる。

 爪を皮膚の表面に食いこませる。

 ドラゴンの皮膚はかたく、あまり深くは刺さらない。


 直後、すさまじいいきおいで引っ張られた。


 いまの右腕は、ナノマシンで構成されている。

 だから――伸びる。


 ドラゴンとつながったまま、俺は宙に浮き、空へと上昇していく。

 とてつもないスピードだ。

 風圧が顔面を直撃する。

 足がばたつく。

 あっという間に、雲を抜けた。


 伸びる、伸びる、伸びていく――ナノマシンには際限がある、有限だ、よっていつかちぎれる、そうすれば振り落とされる。


 ――ぜったいに、手放すな。


 シャツのはためく音が、けたたましく耳をつんざく。


「うおああああああああああ!」


 全身全霊の力で、ナノマシンを自身のからだに引き戻す。

 ドラゴンとの距離が縮まっていく。

 その勢いを利用して。


類型(タイプ)鉄槌(ハンマー)


 巨大な鉄の塊に包まれた左手で、ドラゴンの頑丈なからだを殴りつけた。


 ドラゴンがうなった。

 ミイを落とした。


「ミイ!」


 ミイが墜ちていく。

 空を、急速に。


 怒れるドラゴンが、俺に襲いかかった。

 その牙が、迫ってくる。


「がああッ!」


 右腕を――いや、肉体の腕から伸びる、ナノマシンで構成された延長の腕を噛みちぎられた。

 数万単位のナノマシンが根こそぎ奪われる。

 頭の中で、大量のアラートが鳴り響いた。


 ドラゴンのからだをつかんでいた腕を失い、俺は、空を墜ちていく。


 頭上でドラゴンが、旋回しながら機械の腕を咀嚼し、呑みこんだ。


「ミイ!」


 俺の意識は、彼女にフォーカスする。

 追え。

 それでなにができる?

 まずは追え。


 雲を突っきる。

 水滴粒子のなか、風にあおられるミイのからだを見失わないよう、追跡する。

 彼女の意識はない。

 血が、俺の額まで飛んできて、はじける。


 限界というものは、目の前に落ちているものじゃない。

 ずっと遠くにある。

 まだ、見えることはない。

 あのむこうに見える地平線なんかより、もっと奥の奥の奥の奥だ。

 そんなところまで、俺はたどり着いてなんかいない。

 まだやれる!


類型(タイプ)触手(テンタクル)


 命じると、からだが悲鳴をあげた。

 さきほど、大量のナノマシンを失ったばかりなのだ。

 足りていない。

 物理的に不足している。

 文字どおり、命が削られていく感覚。


 かまいやしない。


 俺は、ナノマシンを前方に吐き出し、触手として、ミイに伸ばした。


 もうすこし、あとすこしだ……!


「いっ――けえぇぇッ!」


 触手が、ミイに追いつく。

 その足首をつかむ。


「届いた!」


 ミイを引き寄せる。

 気を失っている。

 地面はまだ遠い。

 だが迫っている。


 彼女の出血はつづいている。

 傷口をふさがないと。

 肉体の損傷も心配だ。

 傷口は、あまりに広い。

 このままでは死ぬ。

 ミイが死んでしまう。


 イヤだ。


 入射角のするどい陽光が降り注いだ。

 朝陽が、山のむこうに見えている。


 彼女を、助けたい。

 助けろ、俺。

 たのむよ。

 なあ、iNOID。


 かぎりを尽くせ。


 ひらめきに似た、なにかがきた。


 できる、という確信。

 自分のなかで、なにかが【解除(アンロック)】される。

 いま、絶対的に、必要な機能が。


起動(ブート)修復(リペア)形態(モード)


 俺は、抱き寄せたミイのからだに、ナノマシンを無数に放った。

 彼女の傷口を埋め尽くすように、ナノマシンがうごめき、進入していく。

 大量の情報が、俺のCPUへと流れこんでくる。

 どこを修復すればいいのか、すべてわかる。

 いつも自分の肉体に対して行っているように、あらゆるデータをもとに、彼女のからだを修復していく。


 その間も、落下が止まるわけではない。

 ぐんぐん地上は近づいてくる。


 対象被害甚大、と情報が告げる。

 うるさい、とにかく直せ――治せ。


 傷口にナノマシンを固め、塞ぐ。

 俺という本体から完全に切り離されたナノマシンは、俺からの命令が届かず、活動を停止する。

 手術に用いられる糸なんかとおなじで、傷が自然治癒により治れば、自然と異物として吐き出されるだろう。


 ミイのまぶたがふるえる。


「ミイ、聞こえるか」


 風の音に負けぬよう、俺は耳もとで言う。


「俺の声に耳をすませ、そうだ、そうだよ、ミイ、聴きつづけろ」


 ナノマシンに上半身を包まれたミイは、苦しそうにうめく。


「スマートなやりかたじゃなくてゴメンな、いつものことかもしれないけど」


 彼女のからだは華奢だ。

 どこかにいってしまいそうだ。

 風の圧力が、俺たちを引きはがそうとする。

 そんなことはさせるか。


「俺たちは家族だ」


 ずっと、いっしょに生きてきたんだ。


「お前が大切だ、ミイ」


 修復はつづいている。

 効果がある。

 脈を感じる。

 吐息を、命を感じる。


「お前を、失えない。失いたくない」


 たのむよ、神さま。

 俺の命を、どれだけ使ったってかまいやしない。


「がんばれ、まけるな、がんばれ……」


 風の音。


 ――せいぜい祈ってろ。


「ミイ」


 俺は祈る。


「目を覚ませ」


 雲を抜ける。

 地上の緑が見える。


「……ユウ」


 彼女はわずかにまぶたを開き、俺を見ていた。


「見て……ほら、新しい太陽が」


 朝陽が、のぼってきていた。

 空中にいる俺たちを照らしている。


「空から見るのは、はじめてだね……」


 ――いろいろな場所で、生まれてくる太陽を、いっぱい見よう。


「記録更新だねえ?」


 俺は、涙をこらえた。

 彼女を強く抱きしめた。


「ユウ兄、ボロボロじゃん……なに、がんばってんの」


 ミイがつぶやく。


「なにを、がんばっちゃってんだか」


 内容に反して、声にとがめる色はない。


「そんながんばらなくったって、ユウ兄、あなたは――」

「がんばるさ。ミイが応援してくれるしな」

「……ユウ兄の、バカ」

「俺は超高性能iNOIDだからな、自分で選んでバカできるんだ」


 ドラゴンのすがたが見えた。


「つかまってろよ、ミイ」


 俺は、すばやく触手を伸ばす。

 ドラゴンの尻尾をとらえ、つかむ。

 ドラゴンのからだが、ぐん、と落下する俺に引っ張られる。

 憤怒の雄叫びが、ここまで聞こえてくる。

 ドラゴンは飛翔を保とうとし、俺たちの落下速度がやわらぐ。


 地面は近い。

 踏ん張る。

 ナノマシンを下半身へと集結させる。

 そして。


 衝撃。


 俺たちは、地上に降り立った。

 彼女をお姫さま抱っこした状態で、両足で、着地する。


 やや離れたところで、俺の触手に引っぱられた漆黒のドラゴンが、地面にたたきつけられる。

 朝陽にキラキラと砂埃が舞い、ドラゴンが暴れる。


 俺は、ミイのからだの修復がほぼ終わっていることを確認すると、ナノマシンを彼女の体内から撤退させた。

 一部は右肘の先端に集め、右手を再生させる。


「ユウ」


 ふりむいた。

 クゥ・リ・オが立っていた。


「だいじょうぶなのか」

「ヒューマンよりは頑丈にできている、問題ない」


 そう言いながらも、負傷箇所を手でかばうようにしている。


「すまない、ユウ。戦闘では、いまのアタシじゃ、あまり力になれない」

「わかってる。ミイとカチュターシャをたのむ」

「当然だ。すまない」

「お前を傷つけたのは俺だ、なにをあやまる」

「戦士として生まれたアタシが、戦いの足手まといだなんて」

「守る、というのも、戦士の役目だろ」

「……ちがいない」

「行ってくる」


 俺は走る。

 ドラゴンを、あるいは、それらを操っているネクサを倒す。

 そうでなければ、ここでみんな、死ぬだけだ。

 戦わなければ、死んでいくだけだ。


「はっはは」


 巨大な船の上に、ネクサが腰かけていた。

 俺は足を止める。

 太陽を背にした彼女の表情は見えない。


「はっはは。はっはは」


 彼女は笑っている。

 なにが、おかしいのか。

 世界のすべてか。

 俺か。

 彼女自身か。


「いっしょにくるっす、親愛なるユウ。これが最後っすよ」


 ネクサが、遠く手を伸ばす。

 俺は、その手を見ない。

 彼女の顔を見つめたまま。


「俺は、お前とはいっしょにいけない。いっしょになれない」


 いや、こんな言いかたはフェアじゃない。

 俺は、ハッキリと告げる。


「俺は、お前が嫌いだ」

「――理由は?」


 しかしネクサは、すこしまえに見せたような動揺は顔に出さず、問う。


「俺に、あまりにも似ているから」

「はっはは。同族嫌悪っすか」

「その単語で正しい。俺の記憶から、いろいろと学んだらしいな」

「はっははー」


 ネクサは空をあおいだ。


「殺すっす」


 宣言する。


「親愛なるユウを殺すっす。そうすれば、いっしょにいてくれるっす。親愛なる家族になれるっす。これは初恋なんすよ、親愛なるユウ。ぜったいに殺してやるっす」

「ネクサ」

「なんすか」

「殺し合おう。――存在をかけて」

「はっはは」


 ネクサは、さも楽しそうに笑う。

 俺にそう言ってもらえるのが、ほんとうにうれしい、とでもいうように。


「もちろんっす。約束しましょうそうしましょう。あくまで正々堂々と。ここからさき、つまらない小細工はなしっす」

「いいだろう」

「自信満々っすねえ。けど、親愛なる私の剣は……コレっすよ?」


 直後、上空から飛来した漆黒のドラゴンが、地面すれすれをかすめ、俺の下半身をくわえた。

 そのまま空へ急上昇する。


「ぐっ――!」


 腹に食いこもうとする牙を、間一髪、ナノマシンで構成した鎖かたびらで食いとめる。


 ドラゴンは、俺を連れ、ぐんぐん昇っていく。

 あっという間に、空。

 なにもない空中で、ドラゴンと対峙している。

 だが、心細さも、不安も感じない。

 そんなものたちはすべて、風に押し流されてしまった。

 あとに残るのは、静かで、ほんとうに小さな、決意だけ。


 ――がんばれ。


 嵐は去った。

 空が青い。朝陽がまぶしい。


 ――まけるな。


 世界は広い。

 まだまだ、行っていない場所がたくさんある。


 ――がんばれ。


 右手で胸もとをまさぐりつかむ。

 熱い。

 まるで胸に炎を抱えているみたいだ。


 焼け落ちていく施設を思う。

 白衣を染めあげる血の色を思う。

 沈んでいく夕陽を思う。

 花火に赤く照らされる彼女の寂しげな横顔を思う。


 ――だいじに、してね。


 彼女には、蒼穹が似合う。

 どこまでも晴れた笑顔が似合う。


 どくどくと、胸の熱が暴れだす。

 青の炎が、内側にある。


 いま、知った。


 これが命なんだ。

 これが心なんだ。

 これが意志なんだ。

 これが、俺なんだ。


 行け。


 俺は力をふりしぼり、上体を起こして、ドラゴンと正面からむかい合った。


 漆黒のドラゴンは、俺の下半身をくわえたまま、空から地上へと降下していく。

 次の獲物は、ふたたびミイだ。

 ミイをさがしている。

 俺の目前で殺すために。


「そうは、させない……!」


 俺は渾身の力で、右手をドラゴンの頭部にたたきつけた。

 ドラゴンの硬質な肌とぶつかり合い、ナノマシンがいくつか削り取られ、剥がれ落ちる。


 もう一度。

 拳を振り上げ、振り下ろす。

 ナノマシンがさらに砕け散る。

 ドラゴンの表皮とナノマシン、黒の破片が、青空に散らばっていく。


 ドラゴンが首を振り、俺を食いちぎろうとする。

 重力が、遠心力が、ありとあらゆる圧力が全身を襲い、意識が乱れる。

 耳もとで、ごうごうと風が鳴っている。

 髪が、やかましく、はためく。


「まだだっ!」


 もう一度……!


 まったく同じ部位を、寸分の狂いなく、打った。


 ドラゴンのウロコがはじけ飛んだ。

 拳が、ドラゴンの肌を破り、肉にめりこんだ。


 ドラゴンが悲鳴を上げ、墜落した。

 接地し、土をえぐりながら不時着する。

 衝撃で、ドラゴンの牙が腹部に食いこむ。

 ナノマシンの防護でも衝撃を防ぎきれない。

 なにかが潰れる。

 肉体損傷状態深刻危険、とアラートがやかましく騒ぎ立てる。

 うるさい。

 やるべきことを、やれ。


 さきほどのひらめきに似た、気づきがきた。

 できる、ということを知る。

 自分のからだの機能を知る――というよりは、思いだす。


 行け。

 おそれるな。行け。


 人でないことをおそれるな。

 自分を見失うのではないかなんて小さなおそれを抱くな。


 ――行ってくれ。

 ――行って、あの子を救ってくれ。守ってやってくれ。

 ――生きなさい。


 父の、言葉が。

 明確な、意味をもって。


起動(ブート)転移(シフト)形態(モード)


 ミイのからだを修復するために彼女の体内へと潜りこんだときと、おなじように。

 ナノマシンが、ドラゴンの開いた傷口に集まっていく。

 だが、ミイのときのように、一部のナノマシンを送り出すわけではない。

 俺のすべてをそそぎこんでいく。


 そうして。


 俺は、俺という精神を積んだナノマシンの群れは、漆黒のドラゴンの体内へと移動した。

 俺の思考ごと。

 俺の意識ごと。

 俺の意思ごと。

 俺の、心ごと。


 このまま消えてしまうのではないかという不安。


 だいじょうぶだ。

 俺に、魂、なんて高尚なものがあるかどうか知らないが、からだを離れても、俺は俺だ。

 心は、ちゃんと、そこにある。


 おそろしい。


 だいじょうぶだ。

 俺は、戦いかたを知っている。

 あらゆる恐怖に対抗する方法を知っている。

 ミイが教えてくれた。


 ――万事おっけぃ。


 ドラゴンの全身に、俺を送りこむ。

 血管を巡り、活動をやめた心臓へと到達する。


 動け。


 疑似的にでもいい。

 そうすれば、きっとネクサの支配は止まる。


 この黒きドラゴンは、死亡してから、そこまでの時間が経過していない。

 その情報を、肉体の状態から得る。

 まだ壊死していない。

 血は、乾ききっていない。

 心臓が煮えたぎり、動きさえすれば、それは流れだす。


 動け。


 俺は、ドラゴンの肉体に働きかける。


 ネクサとおなじことをしようとしている。

 それはわかっている。

 自分のエゴのために、このドラゴンの肉体を利用する心積もりだ。


 だが、揺るがない。

 俺は、ミイを救うためなら、なんだってする。

 死体だって利用する。

 そういう存在だ。


 すまない。


 ドラゴンの器官という器官を、再起動していく。

 可能なかぎりの修復を施し、強制的にではあるが、活動をうながしていく。


 すべて終わったら、俺から、そしてネクサから、かならず解放する。

 約束する。


 心臓が、わずかにはずむ。

 それをきっかけに、ドクドクと脈打ち始める。

 血が流れる。

 巡っていく。

 活動停止していた肉体を、たたき起こしていく。


 力を貸してくれ。


 そのときだった。

 全身に送りだしたナノマシンが、同時に、ひとつの情報を取得した。


 ――止められるか?


 それは声のかたちをしていた。

 ドラゴンの肉体が発した、声という情報。

 いや、声、というよりは、意志のかたまり、残響のようでもあった。


 だれだ? そこにいるのか?


 俺は呼びかける。

 はたして、応えが、ある。


 ――止められるか?


 声はくりかえした。


 だれだ、という問いは愚問だった。

 これは、この肉体の持ち主の、心の名残――。

 俺は、俺が首を切り落とした少女が、最期に父へ向けて言葉を発していたことを思いだした。


 ――止められるか?


 彼女を、という響きがあった。

 切実な響き。

 瞬間、ひとつの気づきが訪れた。


 ……そうか。

 つがい、だったのか。


 鮮烈なイメージが降りてくる。

 漆黒のドラゴンと真紅のドラゴンは、二匹でひとつの影となって、空を舞う。

 黒と赤、入り交じって、黄昏の色。


 ああ、止める。


 俺は彼に答える。


 止めよう。


 そして俺たちは――俺は、ドラゴンの大きく燃えるような目を開き、真紅のドラゴンをさがし、飛び立った。

 俺の、人間のかたちをしたからだ、その抜け殻は、地上に置き去りにした。

 いま、ミイを救うためには、不要のものだった。

 ネクサにあやつられてしまうとしても、すくなくとも、俺の心はここにある。


 敵をさがす。

 どこまでも白い雲のなか。

 空の青がまぶしい。


 真横の雲を突き破り、真紅のドラゴンがこちらの首に噛みついてきた。

 するどい牙のならんだあごを、すんでのところで避けると、俺は漆黒のドラゴンの肉体をひるがえし、その尾で、敵の顔面を打った。


 真紅のドラゴンが悲鳴を上げる。

 俺も、その悲鳴を打ち消すようにして吼えた。


 全身が燃えるように熱い。

 そうだ、怒れ。

 命を燃やせ。

 燃やしつづけろ。


 彼女を救え!


 漆黒のドラゴンが咆吼した。


 暗雲が似合いそうな、血と肉が舞う戦い。

 なのに、空は青と白でできている。

 陽光を浴びて、敵の全身を覆っている紅色の鱗がきらめいた。


 一瞬、目をしかめる。


 直後、爪が俺の右目を襲った。

 爪は、まるで発泡スチロールでもけずるように、漆黒のドラゴンの顔面をそいだ。

 眼球が、ごそりとえぐりとられた。


 視界が半分になる。

 右半分が見えない。

 敵を見失う。


 右の前脚に衝撃があった。

 骨ごと砕かれたのだと理解した。


 からだを反転させ、敵と向き合おうとするが、右の翼にかぶりつかれたらしく、ろくに動けない。

 まるで溺れているかのように、じたばたともがいた。

 うまい具合に、右の後ろ脚が、敵を蹴飛ばした。

 振り向くと、敵の脇腹が、裂けて割れていた。


 右目を失い、右足は折れ、右翼が傷ついている。

 バランスが悪い。

 空中での位置を把握できず、敵との距離を測れない。


 真紅のドラゴンの動きは、すばやく、荒々しい。

 死者であるがゆえ、傷にひるむようすもなく、ふたたび滑空し、迫ってくる。


 俺は爪を振り下ろす。

 しかし、真紅のドラゴンはそれを避け、回避動作とひとつながりで、俺のあごを打った。

 牙が数本、欠けた。

 一瞬、意識が遠くなりかけた。


(ユウ兄……ごめんね)


 ミイの声がして、俺はなんとか意識を保つことができた。


 ミイ?

 そこにいるのか?


 呼びかけてみる。

 幻聴というには、あまりにリアルな声だった。


(いつも、あたしのことばかり優先してくれて……)


 俺の声が届いた様子はない。

 それでも、ミイからの想いは、次から次へと届く。


 彼女の傷口を、ナノマシンを固めることで、塞いだ。

 あの、彼女のからだに残してきたナノマシンが、わずかながら、俺という本体との通信を可能にしているのだろうか?


(あたしは、なにひとつ、ユウ兄にあげれてないのに)


 そんなことはない。

 そんなことはないだろう。


 俺は思わず、あきれかえった。


 俺は、すべてを彼女からもらったんだ。

 ちょっとやそっとで返せるはずもない、たくさんのすべてを、彼女からもらったんだ。


 俺は。


 ああ――そうだった。


 見失いかけていた、単純なことを思いだした。


 俺は、ドラゴンではない。


類型(タイプ)(ブレード)


 漆黒のドラゴンの砕けた右腕が、剣のかたちへと変化する。


 俺の名前はユウ。

 iNOIDだ。


 ――止められるか?


 ああ。翼を貸してくれ。


 弾丸のように、まっすぐ、飛んだ。

 疾風となる。

 雲のすきま、青の群れが見える。


 すれちがいざま、真紅のドラゴンの首に、刃を斬りこんだ。

 のど笛が破裂する。

 その瞳ごと、大きく開いた口ごと、そこから漏れだす唸りごと、首をはねとばした。


 あっけない幕切れ。


 バランスをくずし、漆黒のドラゴンは紅色のドラゴンと重なり合うようにして、地上に落下した。

 かたい土にたたきつけられる。


 終わった。


 地面に横たわったまま、静けさに身を浸す。


 ――ありがとう。


 声は言う。


 ――ありがとう。


 それきり、なにも聞こえなくなった。


 行ってしまった。

 真紅とともに。


 ――さあ行け。最後に飛ぶ力くらいは残していく。


 わずかな、意思の残響。


 ありがとう。


 俺は身を起こし、翼を動かす。

 羽ばたく。


 浮上していく途中で、真紅のドラゴンの肉体が朽ち果て、塵となってくずれていくのが見えた。

 風に乗って、漆黒の竜のまわりをふわりと一巻きし、空へと還っていく。


 俺は飛ぶ。


 空から、彼女を見つけた。

 ミイ。

 ひざまずき、俺のからだを抱いている。


 風をぶつけぬよう、ゆっくりと着地する。


 彼女は俺を見上げている。

 俺が、俺だと気づいている。

 こんなすがたになっているというのに、俺がユウだと確信している。

 彼女の瞳が、俺を見つめている。


 アイ・アム・ユウ。


 俺は、首を下げ、彼女に顔を近づけた。

 彼女の両腕が伸びてきて、俺を迎え入れる。

 彼女は、竜の頭を、強く抱きしめた。

 その唇が、そっと額に押しつけられる。

 ドラゴンの鱗越しでも、その感触を感じることができた。


「わかるよ。ユウ兄」


 ミイは言った。


「ありがとう。おかえり」


 彼女は俺からそっと離れた。

 そして、ひざに乗せた、俺のもともとのからだを見る。


 俺は、さらに首を下げ、自分のからだに、ドラゴンの頭を寄せた。


起動(ブート)転移(シフト)形態(モード)


 帰っていく。

 黒い渦となって、ドラゴンの肉体から、もとのからだへ。


 俺は、目を開けた。

 見下ろすミイの顔と、その後ろに広がる青空、そして、朽ちていく漆黒のドラゴンが、頭上に見えた。


 おだやかに、くずれていくドラゴン。


 俺は、右手を持ち上げる。

 黒い手袋をしているみたいな、硬質な腕。

 帰ってきた。


「はっはは。負けちゃったっすねえ」


 俺は首を動かす。

 ネクサのすがたは見えない。


「ユ、ユウ……」


 そのかわり、クゥ・リ・オが見えた。

 そして、彼女を後ろから羽交い締めにして、首に矢を突きつける、カチュターシャが見えた。


「カチュ、どうしたんだ、やめてくれ。やめてくれよ」


 クゥが訴える。


 カチュターシャの目に、生気はなかった。

 その肌は、どこか青白かった。

 ギクシャクと、動いていた。

 まるで、なにかにあやつられているみたいだった。


「死者は、あやつれる。親愛なる私の、唯一の特技っすよ」


 カチュターシャが言った。

 カチュターシャの口が動いて、そう言った。


「ウソだ」


 クゥが言う。


「カチュは死んでない」

「それなら、こんな状況にはなってないっすよ。おかしいっすねぇ?」

「意識を失ってるだけだ。オマエは、それにつけこんで――」

「いやまあ、解釈はおまかせするっすけど」


 カチュターシャのからだが、首をかしげる。


「とにかく、このまま親愛なるクゥを殺すことができるのは、事実っす」

「クゥを、放せ」


 俺は声を上げた。

 腕を伸ばし、ミイを後ろに下がらせる。


「ええー? 親愛なるカチュターシャは、親愛なるクゥを連れて行きたがってると思うっすよ? ひとりは孤独っすから。じゃあ、代わりに親愛なるユウが来てくれるっすか?」

「俺は行けない」

「はっはは。ブレないっすねぇ、親愛なるユウは。すっごく、ワガママだ」

「聞こえなかったのか。クゥを放せ」


 俺は、身を起こそうとして、失敗した。


「あまり動かないほうがいいっすよ。死ぬっすよ?」

「それを望んでいたんだろ、お前は」

「いや、それもいいんすけど、どうも親愛なるユウは、生きて動いてるほうが刺激的みたいっす。考えたんすよね。どれだけ死者をあやつっても、孤独は癒えなかった。あたりまえすぎる結論かもしれないっすけど、それはつまり、そこに意思がなかったからっす。すべてが思い通りで、刺激がない。殺し合わせたりしてゲームはできるっすけど、それも飽きる。けど、親愛なるユウ、はっはは、親愛なるユウとの殺し合いは、これまでにない、最高に刺激的だったっす。これを、つづけられるだけつづけたい」

「どうして、そんなふうにしか生きられない」

「……親愛なる私はね。親愛なるユウがほしいんだと思ってたっす。でも、ちがうんすね。親愛なる私は、親愛なるユウに嫉妬してた」

「俺に? なぜ」

「親愛なるミイといっしょにいる」

「どういう意味だ」

「親愛なる私には、そういう人はあらわれなかったっすから。……とうとう、あらわれなかったんすよ。はっはは」


 カチュターシャのからだは、空をあおいだ。


「あは、なあんだ、そうだったんだ。それだけの、ことだったんだ。壮大なつもりだったけれど、つまらないものっすね、案外」

「お前を理解することはできる」


 俺は言う。


「状況設定さえ異なれば。俺たちは、友だちになれたかもな」

「友だち? はっはは、そんなものじゃ、到底、足りやしないっすよ。この孤独に追いつきはしないっすよ。親愛なる私のなかの奥の奥、とことんのとこに、親愛なる私はっすね、親愛なるユウを置いておきたかったんすから」


 カチュターシャの肉体が、クゥを突き飛ばした。

 クゥは地面に倒れながらも、すかさず振り向く。

 だがすでに、カチュターシャは遠ざかっている。


「ではでは」


 カチュターシャの声が言う。


「さよなら、親愛なるユウ。また、会えるといいな」

「待て!」


 クゥがさけぶ。さけんでいる。


「行くな、カチュ! 行かないでくれ! 返してくれ! 彼女を返せ!」


 返事はない。

 もうすがたも見えない。


 俺は立ち上がろうとして、そのままくずれ落ちる。

 からだが言うことを聞かない。


 まだナノマシンがからだになじんでいないのか。

 あるいは、ムリをさせすぎたのか。

 そういえば、たくさんのナノマシンを失ったし、はじめての試行錯誤もくりかえした。

 ドラゴンに噛まれたことで、損壊もしている。

 修復しなければ。


 もうろうとする。

 まるで人間みたいに。


 ミイが俺の顔をのぞきこむ。

 その後ろに、大きく広がる群青が見える。

 彼女の色だ。

 キレイで、自由で、広くて、まっすぐで。


「ゆ、ユウ兄!」


 どうしたんだよ。

 そんなあわてた声、だすなよ。


「いいい、いま、救急車を呼ぶから!」


 思わず笑う。


「落ち着けって。この世界に、そんなもの、あるわけないだろ」


 俺は夢心地で、そう言った。


「しっかりして、しっかり、ユウ、おねがい――」


 彼女の声が好きだ。


 そんなことを思って。

 俺の意識は途切れる。

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