Act 4-2:ドラゴンハート
「ミイ!」
空はすでに、青く明るみ始めていた。
いつの間にか、夜が明けようとしている。
日の出が近い。
「やめろっやめてくれ!」
クラタの仲間で唯一の生き残りであるルフィンが、尻もちをつき、両手の運動だけで後ずさっているのが見えた。
かかとで土を蹴っているが、進まない。
瑠璃色の空を背に、ドラゴンが、地に降り立つ――ルフィンの下半身を足踏みにして。
ミイ(生きている!)の発した甲高い悲鳴ですら、ドラゴンの咆吼にさえぎられた。
ルフィンは肺をつぶされ、さけぶこともできない。
血が、口もとからこぼれ落ちただけだった。
ドラゴンと俺とのあいだに、ミイはいた。
ひざをつき、カチュターシャを守るように抱きしめている。
ドラゴンとの距離は、俺との距離よりも近い。
ドラゴンが首を伸ばし、ルフィンの胸を噛んだ。
彼の上半身が、ドラゴンの口内へと消えた。
ドラゴンの巨大な歯と歯のあいだから、ルフィンの両腕がばたついているのが見えた。
死にものぐるいでドラゴンの頭部を殴りつけているのが見えた。
すべては、無意味だった。
無力だった。
ドラゴンが首を持ち上げた。
ルフィンのからだは真っ二つに裂かれた。
ミイの悲鳴が聞こえる。
ドラゴンはルフィンの上半身を吐き捨てた。
彼の腹より上の部分は、血をまき散らしながら、俺の背後まで飛んで、船にぶつかり、地面に落ちた。
「ミイ!」
俺は船から離れ、駆け寄ろうとした。
真紅のドラゴンが顔を上げる。
その足もとには、残されたルフィンの下半身の残骸がある。
待て。
前回、襲ってきたドラゴンは、漆黒ではなかったか。
背後から咆吼――ふりかえると、べつのドラゴンが、ちょうど船の上に降り立ったところだった。
翼の起こす風圧で、砂や小石がはじけ飛んでいく。
黒い皮膚のエッジが、空のわずかな明かりを受け、にぶく乱反射している。
――またドラゴンの死体が消えましたって?
――それは最初のヤツだろ。こないだ降ってきたのは?
二匹のドラゴンの死体。
漆黒のドラゴンと真紅のドラゴンが、俺たちをはさんでいた。
「くそっ」
俺は前と後ろを交互に見る。
「最悪だ」
だが、躊躇はしない。
地を蹴って、走りだす。
「ミイ!」
彼女は、カチュターシャを抱いている。
傷ついた人を見捨てて動くはずはない。
そういう少女だ、彼女は。
だから、俺がオトリになる必要がある。
そんな俺の考えを見透かしたように。
真紅のドラゴンが跳躍し、ミイの真後ろに降り立った。
その口が大きく開いた。
すべてが、スローモーション。
ミイが髪をなびかせ、竜を、次いで、俺を見た。
ミイが手を伸ばす。
俺も手を伸ばす。
たがいに手を伸ばす。
牙が、ドラゴンの巨大な牙が、ミイの肩を背中からつらぬいた。
血が、俺の顔にかかった。
ミイと目が合った。
彼女の伸ばした腕が垂れた。
うそだ。
彼女のからだが、がくんと後方に引かれた。
ドラゴンが首をねじり、彼女をつらぬいた牙を持ち上げた。
血が、さらに出た。
うそだ。
ドラゴンが、地を離れる。
ミイをくわえたまま。
待て。
待てよ。
ミイ。
「待てええええええッ!」
俺はさけび走った。
背後からの気配――漆黒のドラゴンが爪を振り下ろしてくるが、サイドステップで避けた。
足を止めない。
真紅のドラゴンとの距離を詰めていく――浮上するドラゴンの尾に飛びかかり、右腕でつかんだ。
【類型:爪】
指先がかぎ爪状になる。
爪を皮膚の表面に食いこませる。
ドラゴンの皮膚はかたく、あまり深くは刺さらない。
直後、すさまじいいきおいで引っ張られた。
いまの右腕は、ナノマシンで構成されている。
だから――伸びる。
ドラゴンとつながったまま、俺は宙に浮き、空へと上昇していく。
とてつもないスピードだ。
風圧が顔面を直撃する。
足がばたつく。
あっという間に、雲を抜けた。
伸びる、伸びる、伸びていく――ナノマシンには際限がある、有限だ、よっていつかちぎれる、そうすれば振り落とされる。
――ぜったいに、手放すな。
シャツのはためく音が、けたたましく耳をつんざく。
「うおああああああああああ!」
全身全霊の力で、ナノマシンを自身のからだに引き戻す。
ドラゴンとの距離が縮まっていく。
その勢いを利用して。
【類型:鉄槌】
巨大な鉄の塊に包まれた左手で、ドラゴンの頑丈なからだを殴りつけた。
ドラゴンがうなった。
ミイを落とした。
「ミイ!」
ミイが墜ちていく。
空を、急速に。
怒れるドラゴンが、俺に襲いかかった。
その牙が、迫ってくる。
「がああッ!」
右腕を――いや、肉体の腕から伸びる、ナノマシンで構成された延長の腕を噛みちぎられた。
数万単位のナノマシンが根こそぎ奪われる。
頭の中で、大量のアラートが鳴り響いた。
ドラゴンのからだをつかんでいた腕を失い、俺は、空を墜ちていく。
頭上でドラゴンが、旋回しながら機械の腕を咀嚼し、呑みこんだ。
「ミイ!」
俺の意識は、彼女にフォーカスする。
追え。
それでなにができる?
まずは追え。
雲を突っきる。
水滴粒子のなか、風にあおられるミイのからだを見失わないよう、追跡する。
彼女の意識はない。
血が、俺の額まで飛んできて、はじける。
限界というものは、目の前に落ちているものじゃない。
ずっと遠くにある。
まだ、見えることはない。
あのむこうに見える地平線なんかより、もっと奥の奥の奥の奥だ。
そんなところまで、俺はたどり着いてなんかいない。
まだやれる!
【類型:触手】
命じると、からだが悲鳴をあげた。
さきほど、大量のナノマシンを失ったばかりなのだ。
足りていない。
物理的に不足している。
文字どおり、命が削られていく感覚。
かまいやしない。
俺は、ナノマシンを前方に吐き出し、触手として、ミイに伸ばした。
もうすこし、あとすこしだ……!
「いっ――けえぇぇッ!」
触手が、ミイに追いつく。
その足首をつかむ。
「届いた!」
ミイを引き寄せる。
気を失っている。
地面はまだ遠い。
だが迫っている。
彼女の出血はつづいている。
傷口をふさがないと。
肉体の損傷も心配だ。
傷口は、あまりに広い。
このままでは死ぬ。
ミイが死んでしまう。
イヤだ。
入射角のするどい陽光が降り注いだ。
朝陽が、山のむこうに見えている。
彼女を、助けたい。
助けろ、俺。
たのむよ。
なあ、iNOID。
かぎりを尽くせ。
ひらめきに似た、なにかがきた。
できる、という確信。
自分のなかで、なにかが【解除】される。
いま、絶対的に、必要な機能が。
【起動:修復形態】
俺は、抱き寄せたミイのからだに、ナノマシンを無数に放った。
彼女の傷口を埋め尽くすように、ナノマシンがうごめき、進入していく。
大量の情報が、俺のCPUへと流れこんでくる。
どこを修復すればいいのか、すべてわかる。
いつも自分の肉体に対して行っているように、あらゆるデータをもとに、彼女のからだを修復していく。
その間も、落下が止まるわけではない。
ぐんぐん地上は近づいてくる。
対象被害甚大、と情報が告げる。
うるさい、とにかく直せ――治せ。
傷口にナノマシンを固め、塞ぐ。
俺という本体から完全に切り離されたナノマシンは、俺からの命令が届かず、活動を停止する。
手術に用いられる糸なんかとおなじで、傷が自然治癒により治れば、自然と異物として吐き出されるだろう。
ミイのまぶたがふるえる。
「ミイ、聞こえるか」
風の音に負けぬよう、俺は耳もとで言う。
「俺の声に耳をすませ、そうだ、そうだよ、ミイ、聴きつづけろ」
ナノマシンに上半身を包まれたミイは、苦しそうにうめく。
「スマートなやりかたじゃなくてゴメンな、いつものことかもしれないけど」
彼女のからだは華奢だ。
どこかにいってしまいそうだ。
風の圧力が、俺たちを引きはがそうとする。
そんなことはさせるか。
「俺たちは家族だ」
ずっと、いっしょに生きてきたんだ。
「お前が大切だ、ミイ」
修復はつづいている。
効果がある。
脈を感じる。
吐息を、命を感じる。
「お前を、失えない。失いたくない」
たのむよ、神さま。
俺の命を、どれだけ使ったってかまいやしない。
「がんばれ、まけるな、がんばれ……」
風の音。
――せいぜい祈ってろ。
「ミイ」
俺は祈る。
「目を覚ませ」
雲を抜ける。
地上の緑が見える。
「……ユウ」
彼女はわずかにまぶたを開き、俺を見ていた。
「見て……ほら、新しい太陽が」
朝陽が、のぼってきていた。
空中にいる俺たちを照らしている。
「空から見るのは、はじめてだね……」
――いろいろな場所で、生まれてくる太陽を、いっぱい見よう。
「記録更新だねえ?」
俺は、涙をこらえた。
彼女を強く抱きしめた。
「ユウ兄、ボロボロじゃん……なに、がんばってんの」
ミイがつぶやく。
「なにを、がんばっちゃってんだか」
内容に反して、声にとがめる色はない。
「そんながんばらなくったって、ユウ兄、あなたは――」
「がんばるさ。ミイが応援してくれるしな」
「……ユウ兄の、バカ」
「俺は超高性能iNOIDだからな、自分で選んでバカできるんだ」
ドラゴンのすがたが見えた。
「つかまってろよ、ミイ」
俺は、すばやく触手を伸ばす。
ドラゴンの尻尾をとらえ、つかむ。
ドラゴンのからだが、ぐん、と落下する俺に引っ張られる。
憤怒の雄叫びが、ここまで聞こえてくる。
ドラゴンは飛翔を保とうとし、俺たちの落下速度がやわらぐ。
地面は近い。
踏ん張る。
ナノマシンを下半身へと集結させる。
そして。
衝撃。
俺たちは、地上に降り立った。
彼女をお姫さま抱っこした状態で、両足で、着地する。
やや離れたところで、俺の触手に引っぱられた漆黒のドラゴンが、地面にたたきつけられる。
朝陽にキラキラと砂埃が舞い、ドラゴンが暴れる。
俺は、ミイのからだの修復がほぼ終わっていることを確認すると、ナノマシンを彼女の体内から撤退させた。
一部は右肘の先端に集め、右手を再生させる。
「ユウ」
ふりむいた。
クゥ・リ・オが立っていた。
「だいじょうぶなのか」
「ヒューマンよりは頑丈にできている、問題ない」
そう言いながらも、負傷箇所を手でかばうようにしている。
「すまない、ユウ。戦闘では、いまのアタシじゃ、あまり力になれない」
「わかってる。ミイとカチュターシャをたのむ」
「当然だ。すまない」
「お前を傷つけたのは俺だ、なにをあやまる」
「戦士として生まれたアタシが、戦いの足手まといだなんて」
「守る、というのも、戦士の役目だろ」
「……ちがいない」
「行ってくる」
俺は走る。
ドラゴンを、あるいは、それらを操っているネクサを倒す。
そうでなければ、ここでみんな、死ぬだけだ。
戦わなければ、死んでいくだけだ。
「はっはは」
巨大な船の上に、ネクサが腰かけていた。
俺は足を止める。
太陽を背にした彼女の表情は見えない。
「はっはは。はっはは」
彼女は笑っている。
なにが、おかしいのか。
世界のすべてか。
俺か。
彼女自身か。
「いっしょにくるっす、親愛なるユウ。これが最後っすよ」
ネクサが、遠く手を伸ばす。
俺は、その手を見ない。
彼女の顔を見つめたまま。
「俺は、お前とはいっしょにいけない。いっしょになれない」
いや、こんな言いかたはフェアじゃない。
俺は、ハッキリと告げる。
「俺は、お前が嫌いだ」
「――理由は?」
しかしネクサは、すこしまえに見せたような動揺は顔に出さず、問う。
「俺に、あまりにも似ているから」
「はっはは。同族嫌悪っすか」
「その単語で正しい。俺の記憶から、いろいろと学んだらしいな」
「はっははー」
ネクサは空をあおいだ。
「殺すっす」
宣言する。
「親愛なるユウを殺すっす。そうすれば、いっしょにいてくれるっす。親愛なる家族になれるっす。これは初恋なんすよ、親愛なるユウ。ぜったいに殺してやるっす」
「ネクサ」
「なんすか」
「殺し合おう。――存在をかけて」
「はっはは」
ネクサは、さも楽しそうに笑う。
俺にそう言ってもらえるのが、ほんとうにうれしい、とでもいうように。
「もちろんっす。約束しましょうそうしましょう。あくまで正々堂々と。ここからさき、つまらない小細工はなしっす」
「いいだろう」
「自信満々っすねえ。けど、親愛なる私の剣は……コレっすよ?」
直後、上空から飛来した漆黒のドラゴンが、地面すれすれをかすめ、俺の下半身をくわえた。
そのまま空へ急上昇する。
「ぐっ――!」
腹に食いこもうとする牙を、間一髪、ナノマシンで構成した鎖かたびらで食いとめる。
ドラゴンは、俺を連れ、ぐんぐん昇っていく。
あっという間に、空。
なにもない空中で、ドラゴンと対峙している。
だが、心細さも、不安も感じない。
そんなものたちはすべて、風に押し流されてしまった。
あとに残るのは、静かで、ほんとうに小さな、決意だけ。
――がんばれ。
嵐は去った。
空が青い。朝陽がまぶしい。
――まけるな。
世界は広い。
まだまだ、行っていない場所がたくさんある。
――がんばれ。
右手で胸もとをまさぐりつかむ。
熱い。
まるで胸に炎を抱えているみたいだ。
焼け落ちていく施設を思う。
白衣を染めあげる血の色を思う。
沈んでいく夕陽を思う。
花火に赤く照らされる彼女の寂しげな横顔を思う。
――だいじに、してね。
彼女には、蒼穹が似合う。
どこまでも晴れた笑顔が似合う。
どくどくと、胸の熱が暴れだす。
青の炎が、内側にある。
いま、知った。
これが命なんだ。
これが心なんだ。
これが意志なんだ。
これが、俺なんだ。
行け。
俺は力をふりしぼり、上体を起こして、ドラゴンと正面からむかい合った。
漆黒のドラゴンは、俺の下半身をくわえたまま、空から地上へと降下していく。
次の獲物は、ふたたびミイだ。
ミイをさがしている。
俺の目前で殺すために。
「そうは、させない……!」
俺は渾身の力で、右手をドラゴンの頭部にたたきつけた。
ドラゴンの硬質な肌とぶつかり合い、ナノマシンがいくつか削り取られ、剥がれ落ちる。
もう一度。
拳を振り上げ、振り下ろす。
ナノマシンがさらに砕け散る。
ドラゴンの表皮とナノマシン、黒の破片が、青空に散らばっていく。
ドラゴンが首を振り、俺を食いちぎろうとする。
重力が、遠心力が、ありとあらゆる圧力が全身を襲い、意識が乱れる。
耳もとで、ごうごうと風が鳴っている。
髪が、やかましく、はためく。
「まだだっ!」
もう一度……!
まったく同じ部位を、寸分の狂いなく、打った。
ドラゴンのウロコがはじけ飛んだ。
拳が、ドラゴンの肌を破り、肉にめりこんだ。
ドラゴンが悲鳴を上げ、墜落した。
接地し、土をえぐりながら不時着する。
衝撃で、ドラゴンの牙が腹部に食いこむ。
ナノマシンの防護でも衝撃を防ぎきれない。
なにかが潰れる。
肉体損傷状態深刻危険、とアラートがやかましく騒ぎ立てる。
うるさい。
やるべきことを、やれ。
さきほどのひらめきに似た、気づきがきた。
できる、ということを知る。
自分のからだの機能を知る――というよりは、思いだす。
行け。
おそれるな。行け。
人でないことをおそれるな。
自分を見失うのではないかなんて小さなおそれを抱くな。
――行ってくれ。
――行って、あの子を救ってくれ。守ってやってくれ。
――生きなさい。
父の、言葉が。
明確な、意味をもって。
【起動:転移形態】
ミイのからだを修復するために彼女の体内へと潜りこんだときと、おなじように。
ナノマシンが、ドラゴンの開いた傷口に集まっていく。
だが、ミイのときのように、一部のナノマシンを送り出すわけではない。
俺のすべてをそそぎこんでいく。
そうして。
俺は、俺という精神を積んだナノマシンの群れは、漆黒のドラゴンの体内へと移動した。
俺の思考ごと。
俺の意識ごと。
俺の意思ごと。
俺の、心ごと。
このまま消えてしまうのではないかという不安。
だいじょうぶだ。
俺に、魂、なんて高尚なものがあるかどうか知らないが、からだを離れても、俺は俺だ。
心は、ちゃんと、そこにある。
おそろしい。
だいじょうぶだ。
俺は、戦いかたを知っている。
あらゆる恐怖に対抗する方法を知っている。
ミイが教えてくれた。
――万事おっけぃ。
ドラゴンの全身に、俺を送りこむ。
血管を巡り、活動をやめた心臓へと到達する。
動け。
疑似的にでもいい。
そうすれば、きっとネクサの支配は止まる。
この黒きドラゴンは、死亡してから、そこまでの時間が経過していない。
その情報を、肉体の状態から得る。
まだ壊死していない。
血は、乾ききっていない。
心臓が煮えたぎり、動きさえすれば、それは流れだす。
動け。
俺は、ドラゴンの肉体に働きかける。
ネクサとおなじことをしようとしている。
それはわかっている。
自分のエゴのために、このドラゴンの肉体を利用する心積もりだ。
だが、揺るがない。
俺は、ミイを救うためなら、なんだってする。
死体だって利用する。
そういう存在だ。
すまない。
ドラゴンの器官という器官を、再起動していく。
可能なかぎりの修復を施し、強制的にではあるが、活動をうながしていく。
すべて終わったら、俺から、そしてネクサから、かならず解放する。
約束する。
心臓が、わずかにはずむ。
それをきっかけに、ドクドクと脈打ち始める。
血が流れる。
巡っていく。
活動停止していた肉体を、たたき起こしていく。
力を貸してくれ。
そのときだった。
全身に送りだしたナノマシンが、同時に、ひとつの情報を取得した。
――止められるか?
それは声のかたちをしていた。
ドラゴンの肉体が発した、声という情報。
いや、声、というよりは、意志のかたまり、残響のようでもあった。
だれだ? そこにいるのか?
俺は呼びかける。
はたして、応えが、ある。
――止められるか?
声はくりかえした。
だれだ、という問いは愚問だった。
これは、この肉体の持ち主の、心の名残――。
俺は、俺が首を切り落とした少女が、最期に父へ向けて言葉を発していたことを思いだした。
――止められるか?
彼女を、という響きがあった。
切実な響き。
瞬間、ひとつの気づきが訪れた。
……そうか。
つがい、だったのか。
鮮烈なイメージが降りてくる。
漆黒のドラゴンと真紅のドラゴンは、二匹でひとつの影となって、空を舞う。
黒と赤、入り交じって、黄昏の色。
ああ、止める。
俺は彼に答える。
止めよう。
そして俺たちは――俺は、ドラゴンの大きく燃えるような目を開き、真紅のドラゴンをさがし、飛び立った。
俺の、人間のかたちをしたからだ、その抜け殻は、地上に置き去りにした。
いま、ミイを救うためには、不要のものだった。
ネクサにあやつられてしまうとしても、すくなくとも、俺の心はここにある。
敵をさがす。
どこまでも白い雲のなか。
空の青がまぶしい。
真横の雲を突き破り、真紅のドラゴンがこちらの首に噛みついてきた。
するどい牙のならんだあごを、すんでのところで避けると、俺は漆黒のドラゴンの肉体をひるがえし、その尾で、敵の顔面を打った。
真紅のドラゴンが悲鳴を上げる。
俺も、その悲鳴を打ち消すようにして吼えた。
全身が燃えるように熱い。
そうだ、怒れ。
命を燃やせ。
燃やしつづけろ。
彼女を救え!
漆黒のドラゴンが咆吼した。
暗雲が似合いそうな、血と肉が舞う戦い。
なのに、空は青と白でできている。
陽光を浴びて、敵の全身を覆っている紅色の鱗がきらめいた。
一瞬、目をしかめる。
直後、爪が俺の右目を襲った。
爪は、まるで発泡スチロールでもけずるように、漆黒のドラゴンの顔面をそいだ。
眼球が、ごそりとえぐりとられた。
視界が半分になる。
右半分が見えない。
敵を見失う。
右の前脚に衝撃があった。
骨ごと砕かれたのだと理解した。
からだを反転させ、敵と向き合おうとするが、右の翼にかぶりつかれたらしく、ろくに動けない。
まるで溺れているかのように、じたばたともがいた。
うまい具合に、右の後ろ脚が、敵を蹴飛ばした。
振り向くと、敵の脇腹が、裂けて割れていた。
右目を失い、右足は折れ、右翼が傷ついている。
バランスが悪い。
空中での位置を把握できず、敵との距離を測れない。
真紅のドラゴンの動きは、すばやく、荒々しい。
死者であるがゆえ、傷にひるむようすもなく、ふたたび滑空し、迫ってくる。
俺は爪を振り下ろす。
しかし、真紅のドラゴンはそれを避け、回避動作とひとつながりで、俺のあごを打った。
牙が数本、欠けた。
一瞬、意識が遠くなりかけた。
(ユウ兄……ごめんね)
ミイの声がして、俺はなんとか意識を保つことができた。
ミイ?
そこにいるのか?
呼びかけてみる。
幻聴というには、あまりにリアルな声だった。
(いつも、あたしのことばかり優先してくれて……)
俺の声が届いた様子はない。
それでも、ミイからの想いは、次から次へと届く。
彼女の傷口を、ナノマシンを固めることで、塞いだ。
あの、彼女のからだに残してきたナノマシンが、わずかながら、俺という本体との通信を可能にしているのだろうか?
(あたしは、なにひとつ、ユウ兄にあげれてないのに)
そんなことはない。
そんなことはないだろう。
俺は思わず、あきれかえった。
俺は、すべてを彼女からもらったんだ。
ちょっとやそっとで返せるはずもない、たくさんのすべてを、彼女からもらったんだ。
俺は。
ああ――そうだった。
見失いかけていた、単純なことを思いだした。
俺は、ドラゴンではない。
【類型:刃】
漆黒のドラゴンの砕けた右腕が、剣のかたちへと変化する。
俺の名前はユウ。
iNOIDだ。
――止められるか?
ああ。翼を貸してくれ。
弾丸のように、まっすぐ、飛んだ。
疾風となる。
雲のすきま、青の群れが見える。
すれちがいざま、真紅のドラゴンの首に、刃を斬りこんだ。
のど笛が破裂する。
その瞳ごと、大きく開いた口ごと、そこから漏れだす唸りごと、首をはねとばした。
あっけない幕切れ。
バランスをくずし、漆黒のドラゴンは紅色のドラゴンと重なり合うようにして、地上に落下した。
かたい土にたたきつけられる。
終わった。
地面に横たわったまま、静けさに身を浸す。
――ありがとう。
声は言う。
――ありがとう。
それきり、なにも聞こえなくなった。
行ってしまった。
真紅とともに。
――さあ行け。最後に飛ぶ力くらいは残していく。
わずかな、意思の残響。
ありがとう。
俺は身を起こし、翼を動かす。
羽ばたく。
浮上していく途中で、真紅のドラゴンの肉体が朽ち果て、塵となってくずれていくのが見えた。
風に乗って、漆黒の竜のまわりをふわりと一巻きし、空へと還っていく。
俺は飛ぶ。
空から、彼女を見つけた。
ミイ。
ひざまずき、俺のからだを抱いている。
風をぶつけぬよう、ゆっくりと着地する。
彼女は俺を見上げている。
俺が、俺だと気づいている。
こんなすがたになっているというのに、俺がユウだと確信している。
彼女の瞳が、俺を見つめている。
アイ・アム・ユウ。
俺は、首を下げ、彼女に顔を近づけた。
彼女の両腕が伸びてきて、俺を迎え入れる。
彼女は、竜の頭を、強く抱きしめた。
その唇が、そっと額に押しつけられる。
ドラゴンの鱗越しでも、その感触を感じることができた。
「わかるよ。ユウ兄」
ミイは言った。
「ありがとう。おかえり」
彼女は俺からそっと離れた。
そして、ひざに乗せた、俺のもともとのからだを見る。
俺は、さらに首を下げ、自分のからだに、ドラゴンの頭を寄せた。
【起動:転移形態】
帰っていく。
黒い渦となって、ドラゴンの肉体から、もとのからだへ。
俺は、目を開けた。
見下ろすミイの顔と、その後ろに広がる青空、そして、朽ちていく漆黒のドラゴンが、頭上に見えた。
おだやかに、くずれていくドラゴン。
俺は、右手を持ち上げる。
黒い手袋をしているみたいな、硬質な腕。
帰ってきた。
「はっはは。負けちゃったっすねえ」
俺は首を動かす。
ネクサのすがたは見えない。
「ユ、ユウ……」
そのかわり、クゥ・リ・オが見えた。
そして、彼女を後ろから羽交い締めにして、首に矢を突きつける、カチュターシャが見えた。
「カチュ、どうしたんだ、やめてくれ。やめてくれよ」
クゥが訴える。
カチュターシャの目に、生気はなかった。
その肌は、どこか青白かった。
ギクシャクと、動いていた。
まるで、なにかにあやつられているみたいだった。
「死者は、あやつれる。親愛なる私の、唯一の特技っすよ」
カチュターシャが言った。
カチュターシャの口が動いて、そう言った。
「ウソだ」
クゥが言う。
「カチュは死んでない」
「それなら、こんな状況にはなってないっすよ。おかしいっすねぇ?」
「意識を失ってるだけだ。オマエは、それにつけこんで――」
「いやまあ、解釈はおまかせするっすけど」
カチュターシャのからだが、首をかしげる。
「とにかく、このまま親愛なるクゥを殺すことができるのは、事実っす」
「クゥを、放せ」
俺は声を上げた。
腕を伸ばし、ミイを後ろに下がらせる。
「ええー? 親愛なるカチュターシャは、親愛なるクゥを連れて行きたがってると思うっすよ? ひとりは孤独っすから。じゃあ、代わりに親愛なるユウが来てくれるっすか?」
「俺は行けない」
「はっはは。ブレないっすねぇ、親愛なるユウは。すっごく、ワガママだ」
「聞こえなかったのか。クゥを放せ」
俺は、身を起こそうとして、失敗した。
「あまり動かないほうがいいっすよ。死ぬっすよ?」
「それを望んでいたんだろ、お前は」
「いや、それもいいんすけど、どうも親愛なるユウは、生きて動いてるほうが刺激的みたいっす。考えたんすよね。どれだけ死者をあやつっても、孤独は癒えなかった。あたりまえすぎる結論かもしれないっすけど、それはつまり、そこに意思がなかったからっす。すべてが思い通りで、刺激がない。殺し合わせたりしてゲームはできるっすけど、それも飽きる。けど、親愛なるユウ、はっはは、親愛なるユウとの殺し合いは、これまでにない、最高に刺激的だったっす。これを、つづけられるだけつづけたい」
「どうして、そんなふうにしか生きられない」
「……親愛なる私はね。親愛なるユウがほしいんだと思ってたっす。でも、ちがうんすね。親愛なる私は、親愛なるユウに嫉妬してた」
「俺に? なぜ」
「親愛なるミイといっしょにいる」
「どういう意味だ」
「親愛なる私には、そういう人はあらわれなかったっすから。……とうとう、あらわれなかったんすよ。はっはは」
カチュターシャのからだは、空をあおいだ。
「あは、なあんだ、そうだったんだ。それだけの、ことだったんだ。壮大なつもりだったけれど、つまらないものっすね、案外」
「お前を理解することはできる」
俺は言う。
「状況設定さえ異なれば。俺たちは、友だちになれたかもな」
「友だち? はっはは、そんなものじゃ、到底、足りやしないっすよ。この孤独に追いつきはしないっすよ。親愛なる私のなかの奥の奥、とことんのとこに、親愛なる私はっすね、親愛なるユウを置いておきたかったんすから」
カチュターシャの肉体が、クゥを突き飛ばした。
クゥは地面に倒れながらも、すかさず振り向く。
だがすでに、カチュターシャは遠ざかっている。
「ではでは」
カチュターシャの声が言う。
「さよなら、親愛なるユウ。また、会えるといいな」
「待て!」
クゥがさけぶ。さけんでいる。
「行くな、カチュ! 行かないでくれ! 返してくれ! 彼女を返せ!」
返事はない。
もうすがたも見えない。
俺は立ち上がろうとして、そのままくずれ落ちる。
からだが言うことを聞かない。
まだナノマシンがからだになじんでいないのか。
あるいは、ムリをさせすぎたのか。
そういえば、たくさんのナノマシンを失ったし、はじめての試行錯誤もくりかえした。
ドラゴンに噛まれたことで、損壊もしている。
修復しなければ。
もうろうとする。
まるで人間みたいに。
ミイが俺の顔をのぞきこむ。
その後ろに、大きく広がる群青が見える。
彼女の色だ。
キレイで、自由で、広くて、まっすぐで。
「ゆ、ユウ兄!」
どうしたんだよ。
そんなあわてた声、だすなよ。
「いいい、いま、救急車を呼ぶから!」
思わず笑う。
「落ち着けって。この世界に、そんなもの、あるわけないだろ」
俺は夢心地で、そう言った。
「しっかりして、しっかり、ユウ、おねがい――」
彼女の声が好きだ。
そんなことを思って。
俺の意識は途切れる。




