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Act 4-1:約束の右手

 俺は目を覚まし、のどがカラカラであることを認識した。


 右手を伸ばそうとする。

 反応がない。

 ひじより先の感覚がない。

 遮断されている。


 ああそうか、と喪失を思いだす。


 ゆっくりと左手を伸ばし、転がったリュックサックをあさって、ペットボトルを一本、取り出した。

 封は開いていた。

 まえに、だれかが口をつけたものだ。

 かまわずキャップを回して開け、のろのろと口もとに運び、こぼれて頬から喉に伝い落ちるのも気にせず、ひたすら飲んだ。

 水の味はしなかった。

 力を入れている感覚はないのに、握力に制限がきかない。

 やわいプラスティックのボトルがゆがんでしまう。

 飲み干し、容器を放り捨てる。


 なにかしなければ、という焦燥感、強迫観念が襲ってきていた。


 突然の嘔吐感。

 俺は排他的に吐いた。


 ここはどこだろう。

 最初にいたT字路とはちがう。

 だれのすがたもない。


「ユウ?」


 声がした。


 クゥ・リ・オだった。

 よろよろと歩いている。


「くそ、頭が痛い……なにがあったんだ」


 クゥが頭部を押さえ、壁にもたれかかる。


「オマエひとりか? カチュは……」


 急速に俺は理解した。

 からだがうずく。

 このうずきは、危険だ。


「ミイをさがしてくれ」


 俺は声をしぼり出した。


「ほかのみんなも。見つけて、いっしょに逃げてくれ。できるかぎり、遠くへ」


 おれのからだは、すでに――信用ならない。


「ユウ……いったい?」

「あやつられてる」


 端的に言った。


「ネクサだ。あいつは、死体をあやつる。俺のからだは、死者のそれとかわらない。ただの容れもの。だから、あやつられてる。またハッキングされてる」


 血みどろ。

 思いだす。

 血と肉。


「俺は、お前を襲う。お前たちを襲う。ミイを襲ってしまう。だから」


 全身がふるえる。


「逃げてくれ。まだ支配が完全じゃない。いまのうちに」


 クゥは、壁から身を離し、二本の足で地に立った。


「できない」

「おねがいだ。ミイのためなんだ」

「正直なところ、あの娘に、そこまでの思い入れはない」


 クゥは両手を打ち鳴らした。


「救いたいのは、オマエだ。アタシは、オマエを取り戻したい」

「ムリだ。ムリなんだ。こうなったら――もう手遅れだ」

「やってみなけりゃ、わからない」

「カチュターシャを連れて逃げろ!」

「もちろん、そうするさ……オマエを助け出した、そのあとでな!」


 言うやいなや、クゥが地を蹴った。

 俺は――目を閉じた。


 目を、開けた。


 終わっていた。

 状況が変わっていた。


「ああ」


 俺は声を漏らした。

 両手が、ぶらりと垂れ下がる。

 血がついている。


 クゥが倒れている。

 弱かった。


 こうするために生まれた。

 こうするために作られた。


「ちがう、俺は――」


 ヒトに、なりたかったわけじゃない。

 ただ、彼女がくれた心をなくさないようにと、必死だった。


 俺はキノピオ・コンプレックスじゃない。

 人間になりたいだなんて、思ったことはない。

 自己表現も必要ない。

 他者との差異や確立したアイデンティティーを認識したいわけでもない。

 確たる自分などという厄介なシロモノなどほしくはない。

 生まれた意味や存在意義については、俺の場合、考えたくもない。


 ただ、参加したかった。

 どんなありかたでも、ミイのいる世界に、自分も関わりたかったのだ。

 そこに、関わりのなかに、あの子がくれた心は、きっとあるから。


「ごきげんようっす」


 声がした。

 目の前に、ヒツジの面があった。


「これで、親愛なる家族っすね。親愛なる我々。うれしいっす」

「……どうして、こんなことをする?」

「どうしてって……」


 ネクサは、しばし考えこむ。


「できたから。できるから」

「死者をあやつることに、なんの意味がある?」

「その問いは、つまるところ、こういうことっすか? 親愛なる私が生まれたことに、なんの意味がある?」

「いや、そうじゃない」

「いや、そうっすよ。だって、親愛なる私は、そのために作られたんすよ。その存在理由を否定されたら、それはつまり、親愛なる私自身を否定されたことになるっす」

「作られた目的と、いまここにいる意味とは、べつだ」

「意味? 意味なんて、ないっすよ。作られた延長で、親愛なる私は、ここにいるだけっす。自分の意志じゃあない」


 ちがう。

 ちがうと、言いたかった。

 だが、彼女の思いは、俺のそれに、あまりに似ていて。言葉が、うまく出てこない。

 自分のなかで放置しっぱなしだった、もやもやと渦巻く闇を相手に、対話しているような気分だ。


死霊魔術師(ネクロマンサー)。それが――そんなものが、唯一無二、親愛なる私の名前っすよ。はっはは。悪い冗談みたいっすよね。おかしいっすよね? 笑えるっすよね? これが親愛なる私なんっす。さぞ、世界は祝福してくれるはずっすよね?」


 ネクサは杖を振り、ローブをはためかせ、笑った。


「親愛なる私は、死者をあやつらなければならない。そう生まれたんすから、そうするっす。なあに、コツはゲーム感覚でやることっすよ。最近は人も減って、退屈してたんすが。こないだの砦での攻防戦、アレは楽しかったっすねえ。やっぱドラゴンは反則だったっすか? ゲームバランス崩壊してたっすかねえ? 右腕はごめんなさいっす」


 こいつは、なにを、言っているんだ。


 理解できない。

 したくない。

 なにもかもが、なにもかもと、ずれている。


「それ、まだ死んでないっすよね?」


 ネクサが首をかしげた。

 俺の足もとに横たわるクゥを見ている。


「殺しといてくれるっすか? 親愛なるユウ」

「やめろ」

「えー? 親愛なるユウのたのみごとっすか? どうしても?」

「そうだ。……やめてくれ」

「はっはは。ダメっす」

「聞け、ネクサ。たしかに俺たちは、殺すために、作られた。けど、だからというだけで、殺しちゃ、いけない」

「ほんとうにそうしちゃならないなんてことは、この世にはないんすよ。あるとすれば、それはあくまで個人的見解っす」

「……たのむ。俺のことは連れて行ってくれてかまわない。彼女たちは助けてくれ」

「ついてきてくれるんすか? 親愛なる家族になってくれる?」

「ああ」

「じゃ、ちゃあんと殺してくれないと」


 ダメだ。

 あらがえない。


 俺は、これから、クゥを殺すのだろう。

 そして、その次は……。


 ――だいじょうぶ。ユウは強い。


 刹那。

 からだを動かし、ネクサにむかって走ろうとした。


 すさまじい重力がきた。

 その場にひざをつく。

 動けない。

 上から、なにかに押しつぶされているようだ。

 いや、俺のからだが、俺に抵抗しているのだ。


「やめてくださいっすよ。無粋っすよ。親愛なる家族に、なってくれたんじゃなかったっすか。安心してくれっす。親愛なるミイを手にかけたくないなら、気にしなくていいっす。ほかの親愛なる家族に襲わせてるっすから。親愛なる私は、いまも、そっちの状況を見ることができるっす。親愛なるユウの名を呼んでるっすよ。親愛なるカチュターシャを守ろうとしてるみたいっすね。けなげじゃないっすか。これ以上、駄々をこねるようなら、親愛なるユウに直接殺してもらうっすよ。いいんすか? 耐えられるんすか?」


 ……耐えられる、わけがなかった。


「親愛なるユウの記憶は見せてもらったっすよ。そういうこともできるんす。はっはは。はじめての夕陽、竜の物語、ロマンチックな要素てんこもりっすねー。それに見合った状況で、死んでもらうことにするっす、親愛なる彼女には。劇的演出ってヤツっすねー」


 これは悪夢だ。

 悪夢だ悪夢だ悪夢だ。


「親愛なるユウ、自分の目的を受け入れるっす」

「……目的?」

「殺すんすよね? いっぱい。手伝うっす。おともするっすよ」


 うれしそうに、ネクサはからだを揺らした。


「いっしょに、いーっぱい、殺すっす」

「殺、す」

「そうっすよ。まずは、そーいーつ。そいつから」


 俺は、じっとりと、クゥに近づく。

 気を失っている。

 暗い情動がうごめく。


 殺す……殺しつづける。

 それが目的。

 生まれた意味。

 存在理由。


起動(ブート)戦闘(コンバット)形態(モード)


 わかりやすく、命令がくだった。

 やるべきことがハッキリしているというのは、こんなにも安心できるものなのか。

 安定するものなのか。


「あっは」


 口から、息が漏れた。


 腕を振り上げ、クゥの頭をつぶした。


 血みどろ。

 血と肉。


 何度も。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も、満たされるまでつぶしつづけた。


 赤、赤、赤、赤、敵、赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤――。


 得体の知れない、歓喜がこみ上げてくる。

 うれしい。

 うれしいうれしいうれしい。


 俺は荒く息をつき、クゥの残骸を見た。


 ……彼女の頭部は、無傷だった。


 意味がわからなかった。

 俺は、もう一度、しっかりと彼女を見た。


 彼女は生きている。

 息をしている。

 傷ひとつない。


 俺は、見た。

 俺の、右腕……。


「あ、そっか。右腕はないんすもんね。うまく命令できなかったっす」


 右腕で、クゥを攻撃しているつもりになっていたのか。


 歓喜の正体は、コレだ。


 ふと、俺は理解した。

 自分自身の意思に気がついた。


 もちろん、俺はクゥを殺したくなどない。

 実際、彼女を殺さずにすんだ。


 まるで、なくなった右腕に守られたみたいだ。

 そこにたしかに宿った、なにかに。


 俺はまだ、完全に支配されたわけではない。

 あのときのハッキングとおなじだ。

 まだ、異物として排斥が可能なはず。

 俺がほんとうに望むなら、選ぶことができる。


 ――きみの権限は、きみがもっている。


 俺は、さきほどまで見ていた夢を思いだした。

 夢ではない、記憶だ。

 ミイに隠しつづけた、ほんとうにあったこと。

 過去に、記憶に、価値はないのだろうか。


 意味はある。


 所長が命をくれた。

 ミイが心をくれた。


 だったら俺は、そのすべてを守り抜く。

 否定されるわけにはいかない。


 思いだす。

 体験を、経験を、人生を、俺を、思いだす。


 兵器という目的的にいうなら、俺は失敗作だ。

 けど所長は、そんな俺の生を「よかった」と言った。

 なにが、「よかった」のか。

 どうして、「よかった」のか。


 そこに、意味なんてさがすのは、そもそもまちがっているのではないか。

 それは、ただ、そうなのだ。

 ただ「よかった」のだ。


 なら俺は、それに全力で応えなきゃならない。

 全身全霊で、全存在をかけて、否定概念に挑まなけりゃならない。


 俺は、顔を上げる。

 ネクサをにらみつける。

 ヒツジの面の奥の奥をにらみつける。


 さあ、いま。

 このまま、自由にさせておいて、いいのか。


 自分の拳が、指が、脚が、なにもかもが凶器と化していくのを、他人ごとのようにながめながら、しかしふつふつと、心の奥底からわきあがってくる、さけびがあった。


 それは、俺の声だった。


 こんなことをしている場合ではない、そうだろう、ユウ。

(なんの話だ? なんの話をしている?)

 ずっと昔、誓ったろう。

(だから、なんの――)

 聞こえないか、あの声が!

(あの声……?)


 うわぁん、うわぁん、うわぁん、


 心臓が跳ね上がった。


 心の奥底によみがえる、いまもどこかで、おなじ光景がくりかえされている。


 家族を失い、置き去りにされた、あいつ。

 独りぼっちで、泣いている、あいつ。


 約束。

 誓い。

 身と心を結びつけ、過去と未来をつなげる、きざまれた決意。


 フラッシュバック。

 記憶の奔流。


 絶対に守り抜くと誓った。


 あまりに一瞬、断片的情報の洪水で、ほとんど、まともにつかみ取ることもできなかったが。

 それでも、自分がいますべきことは、はっきりとした。


 ああそうか。


 俺は、理解した。


 これが、意志ってヤツか。


 最初に右腕、次いで、からだ全体が動かなくなった。

 今度は、みずからの意思で。


「ん?」


 ネクサが怪訝そうな声を出す。

 杖をかざす。


「俺は、iNOID」


 声に出す。


「ヒトではない」


 からだ全体に命令を送り、行動を制する。


「モノでもない」


 言葉にする。


「モノなんかじゃない」


 意志があるなら、このからだは、からっぽじゃない。

 ならば、好きになどさせない。

 全神経が、全細胞が、全器官が、抵抗を始める。


「……なんでっすか」


 とまどった声。

 教えてやろうか、と腹の底から力をふりしぼる。


「生まれた意味なんて知らない。でも、生きる理由なら、ある」


 息を吸う。


「俺は生きたい。守るために」


 ネクサは息を呑んだ。

 らしくない動揺した声で、命令をくりかえす。


「……起動(ブート)戦闘(コンバット)形態(モード)!」


 からだの制御が、再度、取り上げられそうになる。


 負けるか。


 左手が、震え、自分の胸をつかんだ。

 そこに心臓を、心をさがそうとするように。


 おのれのからだに、おのれの命令を下す。

 からだの内側で、二つの命令信号が競り合う。


 あいつが泣いている、だから行かなくては。

【起動:戦闘形態】

 あいつが泣いている、行かなくてはならない。

【起動:戦闘形態】

 あいつが泣いている、行くんだ、行って助けるんだ、絶対に。

【起動:戦闘形態!】


「俺は、ミイを助ける!」


 声を張り上げた。

 ひじから先の欠けた右腕を、前に突きだす。


「この手で守ると、あいつに誓ったんだ!」


 からだを縛っていた拘束が、ぱっと解けた。

 全身の力が、伸ばした右腕へと集結していく。

 血管をたどり、腕にむかって、ひじの先にむかって、流れていく、移動していく。


 俺は、かつての自分の声を聞いていた。


 ――この右手はさ、お前のためにあるんだ。


「俺のからだなんて、どうなったってかまわない。けど、この右手は――あいつがくれた心は、これだけは、あいつのものなんだって」


 腕に群がるナノマシンは、集まり、かたまり、手のかたちに整っていく。


「あいつのために使うんだ、この命は――この、手は」


 黒くかたい右手。

 ナノマシンが集結し構成された新しい右腕を顔の前に持ち上げ、幾度か拳の握り開きをくりかえしてみる。


 これまで、武器として変化させるのは、いつも左手だった。

 右手が変わってしまうことを、おそれていた。

 できるのに、しなかった。


 だが、いまは。


 鋼鉄の右腕。

 漆黒でメタリック。

 心とともに。


 悪くない。


 呆然と面を外すネクサと目が合う。

 口端を吊り上げ、笑ってみせる。


I(アイ) got(ガット) control(コントロール)


 ネクサは動かない。

 ただ、俺を見つめている。

 ひどく、悲しそうに見えた。


「……行かないでくれっす」


 懇願。

 小さな、ほんとうに小さな声だった。


 同情しているひまも、余地もない。


 俺はクゥを抱え上げ、反対方向に駆けだした。


 ワービーストの戦士は、生きていた。

 だいじょうぶ、息をしている。

 それほど重傷ではない。

 気を失っているだけだ。


 ――夕陽、竜。


 俺の記憶を読んだというネクサから、それらのキーワードが出てきた。


 ミイは、船の外にいる。

 カチュターシャとともに。

 おそらくは、ドラゴンに襲われる。

 襲われようとしている。

 あるいは、すでに襲われている。


「急がないと」


 はやるが、現在地がわからない。

 どっちに向かえばいいのか。


 角を曲がる。

 直進する。

 角を曲がる。

 いくつもの扉――いずれも、横のパネルが赤くともり、電子キーロックがかかっていることを示している。


 やがて、行き止まりにぶち当たった。


「ちくしょう!」


 壁を殴りつける。

 背中のクゥがうめく。


「クゥ」


 呼びかけるが、返事はない。


「だいじょうぶだ、カチュターシャは見つける」


 周囲を見渡す。


「くそっ、どこか――」


 一つ、緑色に光るパネルの扉があった。


 入ってみると、そこには、所狭しと、モニターやコンピュータがならんでいる。


「制御室か……?」


 俺はコンピュータに近寄った。

 扉の開閉を、ここでコントロールできるかもしれない。


 端末に右手を押しつけ、ハッキングを試みる。

 あまり時間はかからない。

 電子音がして、モニターにロック解除をしめす文字と、各扉の位置が図面で表示された。


 引き返す。


 頭のなかにインストールした地図を参照しながら、脳内のコンパスを頼りに、走る。

 いまや、すべてのスライド式扉が開いた状態になっている。


「こっちか!」


 ようやく、正解のルートを発見した。


 通路の奥に、四角く縁取られた淡い明かりが見えてくる。

 いつかのように。


 出口を見つけ、俺は飛び出した。

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