【log: <TITLE> One of my father. And his daughter. </TITLE>】 ③
俺は血みどろだった。
壊れたロッカーから拝借した研究者の私服が、すでに血にまみれ重くなっている。
弟の血であり、妹たちの血だ。
彼らは、解放した。
ホームが、燃えている。
炎が広がっている。
終わっていく。
生存者のすがたはない。
壁や天井から血がしたたる。
臭気がたちのぼっている。
「ミイ!」
俺は走り回った。
彼女をさがした。
生まれてはじめての自分の役目。
自分の意志。
「ミイ!」
俺は、彼女を見つけた。
ミイは、ふるえていた。
居住スペースの一室に隠れ、クローゼットのなかで小さくからだを丸め、おびえきっていた。
見つけることができて、よかった。
「ミイ」
俺は話しかけた。
「俺だよ。ユウだ」
「……ユウ?」
ミイは顔を上げた。
「ユウ!」
胸に飛びこんでくる。
服についた血が、彼女の顔を汚す。
彼女の青いワンピースにも、わずかに染みが付着してしまった。
着替えておくべきだった、と後悔したが、捜索を最優先していたのだ、そこまで考えることができなかった。
「みんな、みんなおかしくなっちゃって、みんながっ」
「ああ」
俺は、彼女を抱きしめた。
「ここを出よう。ここにいちゃ、いけない」
「パパ! パパをさがさなきゃ!」
――娘を、あの子を助けてくれ。連れて、逃げてくれ。
「……さきに、逃げてるよ。俺たちも、急がなきゃ」
胸が痛んだが、いまは必要なことだった。
「ほんとう? パパ、ぶじなの?」
「ミイを心配してる。いまも、きっと。ここにいると死んでしまう。死んじゃいけない。お父さんが悲しむ」
ウソでは、なかった。
「その子、名前は?」
彼女が腕に抱えていた人形を指差し、たずねる。
「ライナス」
「そっか。ライナスのこと、ちゃんと守ってやらないとな」
「あたしが?」
「そうだよ」
俺は、かがんでミイを見た。
そして、
「ミイ、ほら」
両手の指で、唇の両端をつり上げてみせる。
「万事おっけぃ! だろ?」
笑う。
ひきつっていただろうか。
そうかもしれない。
慣れないことはするものじゃない。
そんな俺の必死の形相を見たせいか、ミイが吹き出した。
そして、笑った。
俺は手を伸ばした。
その手を、ミイが取る。
「行こう」
俺は歩き出した。
ミイの手を引いて。
ごうごうと燃え盛る炎を逃れるため、俺は何度か彼女を抱え上げ、お姫さま抱っこをした。
そうして向かう、ホームの外へ。
外の、世界へ。
曲がり角の先。
長い長い廊下があった。
その先に、四角く切り取られた光が見えた。
赤い光。
外の世界の光。
空気が変わる。
風が吹いている。
一瞬、状況を忘れ、俺は立ち尽くした。
喜びがあった。
不安があった。
恐れがあった。
期待があった。
ホームへのセンチメンタルな想い、外への羨望、すべてが一体となって風に乗り、俺の全身をつらぬいていた。
開いた世界。
まるでからっぽに見える。
あまりにもおおきくて、あんなところでは、かたちを保ってなどいられない。
呑みこまれてしまう。
せまいガラスのなかが、お似合いだ、俺には。
「だいじょうぶ」
となりで、声がした。
ミイの手の体温が、俺に伝わる。
「だいじょうぶだよ、ユウはつよい」
「あ――」
俺は、頬に熱いものが流れたのを感じながら、一歩、踏み出す。
「ほら、だいじょうぶだから」
歩いていく。
「がんばれ」
さらに一歩。
「まけるな」
もう一歩。
「がんばれ」
あと一歩。
俺は、よろよろと、外に歩み出た。
まぶしい。
焼けてしまいそうだ。
溶けてしまいそうだ。
世界は、そのくらい広く、光にあふれていた。
情報に満ちていた。
そこは、どこかの断崖絶壁だった。
空が視界を埋め尽くす。
地平線のむこうまで、ずっと広がっている。
どっちを向いても、終わりがない。
すべてがあまりに遠く、届かないものだらけだ。
確固たるものは地面だけ、だがそれも前方は途切れている。
俺はふらふらとその場に立つ。
ミイは手を放し、そんな俺を見ている。
はじめての夕陽だった。
「タイヨーがしにかけてる……」
ぼそっと、ミイが言った。
「死にかけてる?」
「うん。でも、またうまれるんだ。みたことある? ヤマやウミがママなの」
爆発は、まだつづいていた。
焼け落ちていくホームを背に、ふたたび彼女は俺の手を握った。
青いワンピースが風に揺れている。
血に赤く濡れた俺とはまったく異なる存在に思える。
炎が、ごうごうと空に舞い上がる。
「タマシイって、てんにのぼるとき、あんなかんじなのかなー?」
ミイは、ちぎれて風に舞う火の粉を見上げ、言った。
「さあ……俺にはないものだし、わからないな」
え、とミイが俺を見た。
「タマシイがないの?」
「ああ、そうだな。ついでに、たぶん心もない」
「ココロも?」
「そうさ、俺にはきっと、そんなたいそうな代物なんてない」
「おはなし、できてるのに?」
「疑似的なんだ、なにもかも。学習して、模倣して、できあがったのが俺だ。まがいもので、ニセモノだ。ほんとうのところは、からっぽさ」
「そうなんだ……」
彼女の顔が、悲しげにゆがむ。
そんな顔をさせてしまったことに、後悔の念が押し寄せてくる。
小さな女の子相手に、変にグチったりして、バカみたいだ。
あやまって話題を変えようかと口を開きかけたとき。
「そうだ!」
彼女は、いいこと思いついた! というように、満面の笑みを浮かべた。
「じゃあね、あたしのぶん、わけてあげる!」
「え?」
「はい、どうぞ」
彼女は両手で、俺の右手を包んだ。
「だいじに、してね」
夕陽と炎が、それらの熱と光が、俺たちを両側から照らした。
彼女のほうが、ずっとつらいはずなのに。
しばらく、言葉もなく、立ちつくしていた。
そう思う。
俺は、声を出して泣いている自分に気づいた。
彼女の両手に包まれた右手を、宝もののように胸に抱き寄せながら、声をかぎりに泣いた。
思う。
このとき、ほんとうに生まれたのだ、俺のほんとうは。
ミイから、いや、ミイとのあいだに、生まれたのだ。
だから、この日がバースデイだ。
「ミイ」
俺は右手を包まれたまま、かがみこみ、彼女とむかい合った。
「いろいろな場所を、見に行こう」
左手を伸ばし、俺の右手を包みこむミイの両手に添える。
「これから」
俺は、笑う。
作られて――生まれて、はじめて。
指も使わずに。
俺は、へたくそに、笑う。
「いろいろな場所で、生まれてくる太陽を、いっぱい見よう」
焼け落ちていくホーム。
沈んでいく夕陽。
俺とミイは、ここから、始まった。




