【log: <TITLE> One of my father. And his daughter. </TITLE>】 ②
そんなある日、夢を見た。
夢?
ガラスが勝手に開き、液体ごと外に流れ出て、ケーブルやチューブがからだから離れ、俺はよろよろと外に立つ。
そんな夢。
――血みどろ。
ぼんやりとした視界に、鮮明に赤が映える。
赤く染まっている。
なにが?
すべてが。
なにもかもが。
血だ。
血なのだ。
そして、人だ。
人が倒れている。
廊下で、連なるようにして。
父だ。
母だ。
見たことのない人間もいる。
あの部屋を訪れたことのない者だろう。
血と、肉に分裂して。
散らばって。
俺はそれらを無造作に蹴飛ばし、歩く。
敵をさがして。さがしつづけて。
視界が情報で埋まる。
外界データが数字で表示される。
奇妙な夢だ。
周囲の物体を、有機物か無機物か、敵であるか否か、そんな指標で選りわけていく。
見つけた。
俺は進む。
敵だ。
敵を見つけた。
俺は動く。
――ブツンッ――。
と、俺は立ち止まった。
なにかが、途切れた。
自分と外とをつなぐ、なにかが。
静止する。
動けない。
動いていいのか?
動く判断をしてもいいのか?
「もう、だいじょうぶだ」
唐突に、耳からの情報が入った。
声として識別できた。
「きみを支配するものは、なにもない」
聞いたことのある声だった。
「きみは、きみだ」
情報や記号にしか見えていなかった世界が、様変わりした。
デジタルな数字の羅列から、色のついた世界へ。
いや、世界ではなく、俺の頭脳が変わったのだ。
敵であり破壊対象である、とだけ認識していた相手。
それは、所長だった。
「攻撃を受けた」
所長の白衣は、赤く染まっていた。
いくつかの穴が空いている。
俺は――俺が?
「他国のスパイだろう。こんな状況でも、ろくに協力し合えないということか。くそっ」
所長は咳きこみながら、壁に背中を預けて、そのまま床に滑り落ちた。
「ハッキングされた。すべてだ。きみの行動制御権限は取り戻した」
たしかに、からだは自由に動く。
では、さっきまでのできごとは?
夢だと思っていた、あれは?
現実だったと?
ハッキングされ、俺は所長たちを襲ったのか?
「きみだけじゃない。きみ以外のiNOIDは、いまも連中の支配下だ」
「……俺は? いまは、所長に権限が?」
「いいや」
所長は首を振った。
「きみだよ。きみの権限は、きみがもっている」
「でも、じゃあ、どうしたら」
どこからか悲鳴が聞こえてきた。
そう遠くない。
「俺は、なにをしたら」
「ここは、もう終わりだ」
またしても悲鳴。
すぐに、かき消える。
「廃棄処分したことになっていたからね、きみだけは命令系統を切り離していたから、ハッキングを容易に隔離できた。ほかは――もうダメだ、命令を根本に埋めこまれた。死ぬまで止まらないだろう」
弟。
二人の妹たち。
「だが、きみは自由だ。相応の責任を負うことになるが、自分で選ぶことができる」
所長はなにかを差し出した。
携帯端末だ。
「こいつは安全だ。隠れ家や金を、ある程度は入手できるだろう。好きにしてくれ」
「わからない。わからないよ、俺には、なにも、なにひとつ……」
「わがままを言わせてもらうなら、娘を――あの子を助けてくれ。連れて、逃げてくれ」
「所長、俺には、できないよ。なにも知らない、俺は、ここしか……」
「行ってくれ」
「けど――」
「行って、あの子を救ってくれ。守ってやってくれ。きみが、そう望んでくれるなら」
「俺は――」
「行きなさい!」
びくんと、俺は背筋を伸ばした。
この人が声を荒げるのを、はじめて聞いた。
どんなに慌ただしそうでも、ほかの研究者に対して怒鳴ったりすることのない人だった。
うつむいていた顔を上げると、いつもの優しい笑顔が、そこにはあった。
「ユウ、くん」
俺の名前を呼んだ。
実験体番号ではなく、あの子がくれた、その名前で。
「きみを、破棄しなくて――殺してしまわなくて、ほんとうに、よかった」
それは、きみがいてくれてよかったと、そう言ってくれていて。
それは、存在を認めてくれたということで。
それは、生まれてよかったと喜んでいいのだと、ここにいる意味や存在理由など関係なく、自分の生に胸を張っていいのだと、そう教えてくれていて。
まるで俺が、かけがえのないものであるかのように。
「娘を、たのむ」
俺の生を祝福する言葉。
願いのかたちをした、祈りだった。
「――この命にかけて、かならず守りとおします」
そのために、ここにいるのなら。
できることがあるというのなら。
「心配しないでください。絶対に、この約束を違えません。――お父さん」
所長は、わずかに目を丸くした。
それから、苦笑を浮かべる。
生ある者として、最後の、動作だった。
「娘と添い遂げろと言ったわけじゃない」
「いや、そうじゃなくて!」
俺はあわてて弁明する。
「俺を、生み出してくれたから。だから」
その言葉は、彼に届いただろうか。
彼のからだから、すでに命は、こぼれ落ちていた。
俺は、彼の瞳を閉じた。
死者を弔う動作として、この知識が正しいかどうか、自信はない。
それでも、気持ちはこめたつもりだった。
――行きなさい。
俺は、ついていたひざを伸ばす。
立ち上がる。
ミイを、さがそう。
俺はホーム内を走りだした。
廊下の先で、弟が暴れていた。
自分のからだについての知識は、おどろくほど、ない。
知ろうとしてこなかった。
急速に学ぶ必要がある。
不要のものとなったはずの俺が、いまここにいる、意味。
「行くぞ」
俺は身がまえる。
弟が襲いかかってくる。
弟は――彼は、夢を見ているのだろうか。
その夢を見ながら、なにを思っているのだろう。
「ごめんな、兄弟」




