第1話:漆黒の深淵を纏いし白銀の聖結晶 (核心に眠る緋き結晶)
「あー…やっぱり、定時で帰れる世界って最高……」
木漏れ日が柔らかく差し込む森の薬草園で、私——サオリは、摘み取ったばかりの『スッキリ草』の香りを嗅ぎながら、深く息を吐き出した。
前世の私は、某総合病院で夜勤と残業に追われるベテラン看護師だった。ナースコールは鳴り止まず、モンスター患者には追われ、睡眠時間は削られ……気づけば三十代半ばを過ぎたある冬の夜、当直室で仮眠を取っていたはずが、目が覚めたらこの異世界にいたのだ。
神様的なサムシングが気を利かせたのか、今の私は二十代前半の若い身体と、そこそこの『癒やしの魔法』を持って、辺境の小さな教会で気ままな一人暮らしをしている。
たぶん聖女。でも「穢れを払え」とか「魔王を倒せ」なんて無茶振りは一切なし。あんまり脅威ではないらしい。
なので、前世で磨いた観察眼とトリアージ能力、そしてちょっとした治癒魔法があれば、村人たちの肩こりを治したり、擦り傷に絆創膏を貼ってあげるだけで感謝され、食いっぱぐれることはない。
「よし、今日の仕事はこれでおしまい! お昼ごはんにしようっと」
薬草のカゴを抱え、ルンルン気分で教会の裏手へ向かおうとした、その時だった。
ガサガサッ、ドサッ。
草むらから、明らかに人間の大人ひとりが倒れ込む重い音がした。
「……ん?」
振り返ると、そこには漆黒のフルプレートアーマーに身を包んだ大男が、うつ伏せで倒れていた。背中には、身の丈ほどもあるゴツい大剣。兜からはみ出た銀髪が、血と泥で汚れている。
前世の職業病が速攻で発動した。
(意識レベル確認……応答なし。呼吸はある。バイタルは……脈拍、やや頻脈。出血箇所は右脇腹か)
私は即座に駆け寄り、慣れた手つきで男の身体を仰向けにした。
兜の隙間から覗く顔立ちは、ぞっとするほど整っていた。鋭い眉、高い鼻梁、引き締まった唇。だが、今は苦痛に歪んでいる。
「はいはい、大丈夫ですよー。今ラクにしてあげますからね」
私は溜息をつきつつ、右手に温かな光を宿した。
癒やしの魔法を脇腹の傷口に当てる。じわじわと肉体が再生し、出血が止まっていく。ついでに前世で培った「つぼ押し」の要領で、男の緊張した筋肉を解してやった。
「ふぅ……よし、処置完了。あとは水分補給と栄養補給ですね」
治癒魔法のおかげで命に別状はないはずだ。私が立ち上がろうとしたその時、ガシッと強い力で手首を掴まれた。
「……くっ……貴様……私に何をした……!?」
男が薄っすらと目を開けていた。その瞳は、吸い込まれそうなほど鮮やかな琥珀色だ。声は低く、威厳に満ちている。……が、目の焦点が微妙に合っていない。完全に迷走神経反射を起こしかけている顔だ。
「何をしたって、手当てですよ。あ、急に起き上がると貧血起こしますから、そのまま寝ててくださいね」
「戯言を……! 私は隣国の黒狼騎士団長、アラルド・フォン・ヴァルハイト……! 『冷血の暴君』と恐れられたこの私を、ただの魔法で救っただと……? 謀ったな……!」
名乗りが長い。
あと「冷血の暴君」って自分で言っちゃうタイプかw
「はいはい、アラルドさんね。血圧上がっちゃいますから、大声出さないでください。暴君だろうが何だろうが、うちの敷地で倒れられたら後味が悪いんで。ほら、お水どうぞ」
私は腰の水筒を外し、彼の口元に当ててやった。
アラルドと名乗った男は、警戒心露わに私を睨みつけていたが、喉の渇きには勝てなかったらしい。コクコクと水を飲み干すと、少しだけ顔色が戻った。
「……ふん。命拾いしたようだな。だが勘違いするなよ、女。私は借りを作らん。この礼はいずれ——」
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。
森の静寂を切り裂くように、盛大な腹の虫が鳴り響いた。
アラルドの顔が、みるみるうちに耳まで真っ赤に染まっていく。
威厳たっぷりのフルプレートアーマーを着た大男が、お腹を鳴らして赤面している。うん、可愛いところあるじゃないか。
「……今の音は、アレだ、蛙だ……」
「無理がありすぎますね。ちょうどお昼にしようと思ってたんです。冷やご飯と、昨日の残りの味噌汁くらいしかありませんけど、食べます?」
「断る! 敵国の料理など……くっ、毒でも入っていたらどうする!」
「入ってたら、さっき助けた意味がないでしょうが。ほら、立ち上がれます?」
私は呆れながら、彼を教会の縁側に連れて行った。
◇
数分後。
アラルドの目の前には、竹の葉に包まれた「大きなおにぎり2個(お米っぽい穀類。具:梅干しっぽい酸っぱいやつと昆布らしき草)」と、具だくさんの味噌(のような調味料)汁、そして自家製の浅漬けが並べられていた。
異世界に来て一番感動したのは、この地方に米と味噌に酷似した穀物・調味料が存在していたことだ。前世の和食恋しさに、私は完璧な「おふくろの味」を再現していたのである。コレも神様的サムシングの配慮かしら。
「……何だ、この黒い紙のようなものが巻きついた白い塊は。毒物か?」
「海苔です。美味しいから食べてみてください。あと、熱いから気をつけて」
アラルドは疑いの目を崩さないまま、恐る恐るおにぎりを掴んだ。
そして、覚悟を決めたようにガブリと一口かぶりつく。
(モグ……モグ……)
アラルドの動きがピタリと止まった。
「……? アラルドさん?」
次の瞬間、彼の琥珀色の瞳がカッと見開かれた。「な……なんだこの食べ物は……!? 噛んだ瞬間に口の中に広がる、絶妙な塩加減と米の甘み! そしてこの黒き海苔の香ばしさと、中に潜む酸っぱい果実……! まさに……
【封印されし白銀の聖結晶
〜漆黒の深淵(海苔)を纏いし魔導核〜】
ではないか! 旨味の波が、私の脳髄をダイレクトに揺さぶっていく……!?」
語彙力の暴風雨が吹き荒れた。
「あ、梅干しですね。疲労回復に効くんですよ」
「さらにこの茶色いスープ! 根菜の甘みと発酵した豆の深いコク……これぞ
【大地の霊脈(発酵豆)より湧き出でし 創世の混沌スープ(カオス・ブロス)】!
傷ついた私の胃壁を優しく包み込んでいく……! まるで……まるで、母の温もりに抱かれているかのような……っ!?」
「……語彙力高いわね…」
冷血の暴君はどこへ行ったのか。アラルドは凄まじい勢いでおにぎりを口に押し込み、味噌汁をズズッと啜り、浅漬けをバリバリと音を立てて完食した。
「ふぅ……」
全てを食べ終えたアラルドは、満足感に満ちた顔で天を仰いでいた。
「どうです? お腹膨らみました?」
「……フッ、悪くない毒だった。私の勝ちだ」
「勝ち負けじゃないです。じゃ、元気になったなら気をつけて帰ってくださいねー。長居されると近所迷惑なんで」
私は空になった食器を下げようとした。
すると、アラルドがガタッと立ち上がり、私の肩を両手で掴んだ。顔が近い。めちゃくちゃ男前な顔が目の前にある。
「女! 名を何という!」
「サオリですけど……」
「サオリか! 覚えておく! 私は明日も、貴様の命を狙いにここへ来る!!」
「えっ、物騒な予告やめてもらっていいですか?」
「この『冷血の暴君』アラルド・フォン・ヴァルハイトの命を狙う刺客など、返り討ちにしてくれるわ! だから明日も……その、あの白い塊と茶色いスープを用意しておけ! いいな!?」
ツンデレの方向性が迷子になっている。
要するに「明日もお昼ごはん食べに来ていい?」ということらしい。
「はいはい。じゃあ明日来るなら、途中の道で『すずらん草』摘んできてください。薬の材料にするんで」
「な……私を駒のように使う気か!? 貴様、命が惜しくないのか!?」
「はーい、お気をつけてー」
手を振って見送ると、アラルドは「くっ……覚えていろよ!」と捨て台詞を残し、マントを翻して森の奥へと消えて行った。
私は差し込む日差しを浴びながら、ポリポリと浅漬けをかじる。
「……なんか、騒がしいのが来ちゃったなぁ。まあ、定時退勤は死守するけど」
これが、私と「自称・暴君」の、実にゆるくておかしな日々の始まりだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
ブクマや感想、リアクション、評価をいただけると励みになります。よろしくお願いしますm(_ _)m




