第40話 舞台
シルウィード城の外縁空域。
浮遊車の噴射光が、城へ向かって次々と吸い込まれていく。
『前方の車両は東側停泊区へ。中央空中停泊区は満車――繰り返します――』
魔導放送の合間を縫って、銀黒の大型浮遊車が高度を落とした。
「また満車か。お嬢様、迂回になります」
「早く!」
後部座席の声が、苛立っている。
「鉱区の競売に間に合わなかったら、本当にまずいのよ!」
加速した車の脇を、さらに大きな車体が次々と追い抜いていく。純白の送迎車。黒い装甲の軍用車。他国の紋章を刻んだものまで。
運転手が、小さく口の中で呟いた。
「群島の公国まで……」
「当然でしょう」
後部の女が冷笑する。
「十年の免税よ」
城が、近づいてくる。その一角に、透明な天井の展示会場が見えた。ガラスの下で、無数の人影が蠢いていた。
◇
会場の中央で、巨大な立体映像が回転している。
鉱脈の構造図。魔導掘削機。精錬設備。そして、仄かな青を放つエネルギー結晶。
「現行の第三世代、鉱層精製技術です。従来型と比べ、出力効率は約七倍」
侍従の説明に、周囲がどよめいた。
「七倍だと……?」
「本当なら、都市のエネルギー供給が根本から変わるぞ」
少し離れた柱の影。人魚族の老人が、別の投影を睨んでいた。
「セリーヌ殿は……スティペロスと、工業で真っ向勝負に出る気か」
答える者はいない。ただ、その場の空気が、わずかに沈んだ。
◇
会場上層。喧騒が、足元に遠い。
「サンドラ様」
侍従が駆け寄った。
「開放中の三鉱区、第一次入札が完了しました。最高額はヘルメス商会と、東方連合です」
サンドラはグラスを揺らしたまま、答えなかった。視線は、ずっと下の人混みにある。
「次の入札を、開放しますか」
「まだよ。始まったばかり」
唇を、グラスにつける。
「鉱区を手にした後、彼らが欲しがるのは――開発、運輸、建設。そこが、私たちの領分」
ふと、その目が動いた。
人混みの中央。長身の男が、商会代表たちを商談室へ導いている。淡い金髪。蒼白い顔。穏やかな、赤い瞳。
サンドラの口元が、緩んだ。
「……動くのが、早いこと」
「ゲイノ商会へ、連絡を?」
「ええ。建設チームを、こちらへ回して」
侍従が下がる。
残されたグラスの中で、氷が小さく鳴った。
採掘。運輸。精錬。供給。
歯車は、もう噛み合い始めている。
◇
城館中央、大宴会場。
灯りが、一斉に落ちた。
数千人を呑んだ闇。咳払い一つ、聞こえない。
やがて――遠くから。
透き通った歌声が、闇を縫って流れてきた。
舞台の中央に、白い光が滲む。
銀白の長髪。黒い衣装。腰から鎖骨へ、荊棘の銀紋が這い、その上を光の粒子が呼吸していた。
ルーシー。
取り囲む踊り手たちは、歪んだ姿勢で凍りついている。人形のように。
低いビートが、鳴り始めた。
ドゥン。ドゥン。ドゥン。
心臓の音だ。闇の中で、一つずつ。
照明が、鼓動に合わせて瞬く。
ルーシーが、両腕を上げた。何かを抱くように。あるいは、堕ちていくように。
旋律に、息苦しさが混じる。
会場は、声もなく呑まれていた。
そして――。
ドォンッ。
純白の光が、闇を引き裂いた。
押し殺されていた音が、鎖を断つように炸裂する。
ルーシーの声が、突き抜けた。
高く。熱く。すべてを灼くように。
踊り手が一斉に弾ける。光が乱舞し、重低音が肺を打つ。
「L.U.N.A――ッ!!」
「ルーシー様ァ!!」
取り澄ましていた貴族たちが、立ち上がる。握ったグラスを、無意識に砕く者さえいた。
歓声が、天井を突き上げた。
◇
数層下、宴会棟の厨房。
そこは、別の世界だった。
光も、歓声もない。蒸気。刃の音。鍋の噴気。そして――厨房を震わせる、怒声。
「百人分の約束が、なんで三百超えてるのよ!」
レーナがじゃがいもの皮を剥きながら、声を潜めた。
「いつの間に増えたのよ、ほんと」
包丁は速い。皮が一本に繋がったまま、回収箱へ滑り落ちる。
横のネフリは、もっと速かった。袖を捲り、長い髪を後ろで束ねている。
「アナス総管から、銀貨千枚の補填が出るって」
「はっ。金の話をされると、余計に腹立つ」
レーナが口の端を歪めた。
「あの馬鹿が一言ねだれば、あと五百は引き出せたでしょうに」
軽い口調。だが、その奥に、彼を心配する別の色が滲んでいた。
ネフリは、答えない。
ただ、視線だけが横へ流れる。
まな板の前。エドが、肉を切っている。一定のリズム。揃った厚さ。
そのとき。
宴会場から、ひときわ大きな歓声が壁を抜けてきた。
刃が、一拍遅れた。
肉の厚みが、わずかに乱れる。
「おい、そこのガキ! 来い!!」
怒声が、厨房を叩いた。
全員の手が、止まる。
エドは包丁を置き、料理長の前へ駆けた。
「ここに立つと決めたなら、余所に気を取られるな」
低い。だが、隅まで届く声だった。
「すみません、少し気が――」
「言い訳は聞いてない」
掌が、調理台を打つ。重い音。なのに、積まれた皿は一枚も揺れなかった。
「口を開くのは『はい』だけだ。分かったか、ろくでなし」
エドの背筋が伸びた。
「はいっ!」
「戻れ!」
「はいっ!」
まな板に戻る。包丁を握り直す。
今度は、刃の音が揃っていた。
レーナとネフリが、目を見合わせる。
「……怖い」
レーナの口元が引きつった。ネフリは何も言わず、手元に目を戻す。
次の瞬間、料理長の声が再び厨房を貫いた。
「全員、よく聞きなさい! 宴会場が気になる奴は、今すぐ制服を脱いで向こうへ行け! 二度とこの厨房に入らなくていいから!」
皆の手が、止まる。
一拍。
「はいっ!!」
声が、揃った。
料理長が鼻を鳴らす。
「なら、気合を入れ直しなさい!」
鍋。刃。足音。
厨房が、また回り出した。
歌声は、まだ遠くで続いている。壁越しに、かすかに。
エドは俯いたまま、包丁を握っていた。
一刀。
一刀。
ただ、切り続けた。




