第39話 灯りの裏側
L.U.N.Aのアクリスタ到着まで、あと一時間を切っていた。
公都の大通りは、いつもの数倍の人で溢れている。街の上空には巨大な魔導立体映像。L.U.N.Aの公演映像が繰り返し流れていた。歓声。照明。少女たちの笑顔が、都市の空を彩る。
◇
シルウィード城、謁見の間。
浮遊車が停まり、数名の少女が降り立った。侍従が一斉に頭を下げる。
セリーヌが軽く人数を確認した。
「スレイアは?」
空気が、二秒ほど止まった。
アリシアとガレットの表情が同時にぎこちなくなる。シンシアはそっと目を逸らした。
「あの……」
ルーシーが、申し訳なさそうに口を開く。
「先日のお祭りではしゃぎすぎたみたいで。昨日戻ってからずっと寝ていて……どう起こしても起きなくて」
「しかも全然反応しないんです」
アリシアが付け加えた。
セリーヌは額を軽く押さえた。
「……あの馬鹿」
声に、本気の怒りはない。
「でも、サルタリスは今すごいことになってますよ?」
シンシアが明るく話題を変える。
「カジノ区は毎日満員。観光飛行船も全便予約済み。来客数が倍以上だって」
「スレイア様、今年の収益は桁が変わるかもって!」
セリーヌが軽く笑った。
「あの子も、ただ騒いでいるだけじゃないということね。――アナス。先に離宮へ案内して」
「はい」
アナスが一礼し、一行を連れて謁見の間を出た。
◇
浮遊車の中。
窓の外を、山腹の公都の街並みが流れていく。
ルーシーが、遠くの魔導広告を見つめていた。
「公都……だいぶ変わったわね」
「そうですか?」
「前に来た時は、武装した部隊ばかりだった。今は……スティペロスに似てきた気がする」
「もう戦時ではありませんから」
「そうね」
ルーシーが微笑む。
アリシアたちが、公都で変装して遊びに行く計画を立て始める。小さな笑い声。
しばらくして、ルーシーがふと言った。
「ねえ。エドは最近、どうしてる?」
アナスの呼吸が、一拍止まった。
「最近、あの子は連邦でずいぶん有名になっているの。知ってる?」
ルーシーの手が、膝の上でわずかに動いた。視線が落ちる。
「……知ってる。でも、あの子がそんなことをするとは思えない」
怒りでも、動揺でもない。静かな声だった。
ルーシーが顔を上げた。また、いつもの穏やかな笑み。
「それより、あの子が城でどう過ごしているか。そっちの方が知りたいわ」
アナスは静かにルーシーを見つめた。
それから、ふっと笑った。
「時間がある時に、ゆっくり話すわね」
◇
城館中央、大宴会場。
舞台に照明が灯り、音響調整の人形と担当者が忙しく動いている。
舞台の下では、執事も侍女も侍従も、仕事の手を止めては舞台の方をちらちら窺っていた。
「マジでこんな近くで……」
「信じられない……」
龍威の取り巻きの少年たちは、完全に目が釘付けになっていた。柵に身を乗り出している者もいる。
「うわぁ……ルーシー様、実物のほうが綺麗だ……」
「お前、よだれが垂れてるぞ!」
「うるさい、世界クラスのアイドルだぞ!!」
舞台の上で、ルーシーがマイクに手を添えた。
「三番の照明、もう少し左にお願いできますか? 皆さん、お疲れ様です」
横で、シンシアが手を振った。
「みんなお疲れ様〜」
少年たちが、浄化されたように固まる。
「うっ……お疲れ様って……」
「もう悔いはない……」
龍威が後方で、こめかみを押さえた。
「……馬鹿どもが」
その時。
視線を感じた。舞台裏の影から、こちらを見ている者がいる。
赤い髪。龍の角。腕を組んで壁にもたれている。
ガレット。
彼女は軽く頭を傾けた。こっちに来い、という仕草。
龍威は後ろの連中を確認した。完全にステージに没入している。
静かに、その場を離れた。
◇
舞台裏の通路。外の喧騒が、遠く聞こえる。
「ガラディオンにいればよかったものを、わざわざこんなところに来て。何を考えてるの?」
ガレットが淡々と言った。
「ここも悪くない。長老どもの顔を毎日見なくて済む」
ガレットが目を細めた。
「長老の顔が嫌? それとも――」
一歩、近づく。
「私と顔を合わせるのが、怖い?」
龍威の呼吸が、一瞬止まった。
脳裏に、古い光景が閃く。
荘厳な大広間。沈黙する龍人たち。玉座の女。
幼い自分が、火のような赤い長槍を受け取り、ガレットの前に立つ。
『これで――俺に資格はあるか?』
ガレットが長い髪を指で払う。
『戦場で証明してから、もう一度来なさい』
記憶が、途切れた。
龍威は長く息を吐いた。
「……若かっただけだ。用がないなら、戻る」
背を向ける。
ガレットが、足で軽く地面を踏んだ。
「臆病者……」
小さく呟いた。
「ルーシーのあの弟より、よっぽど度胸がないわ」
遠ざかっていた龍威の足が、一瞬だけ緩んだ。
「……だろうな」
低い声。それだけ残して、通路を曲がった。
◇
宴会場の外縁。
ルーシーが中央でスタッフと話している。だが、その視線が時折ふらりと周囲を流れていた。
何かを――誰かを、探している。
龍威は眉をわずかに寄せた。
(あの馬鹿……俺と同じか)
◇
二階の回廊。暗がりに、小さな影。
エドの鳶色の目が、舞台を見つめていた。
あの笑顔。あの声。眩しい照明の中で輝いている姿。
エドの身体が、微かに震えていた。
灯りが、目に刺さる。
その光の中に、別の映像が重なった。
地面に散ったガーネットの粉。折れた銀の翼。踏みつけるヒール。
拳が、壁に叩きつけられた。
痛みは、感じなかった。
下唇を噛み締めている。血の味がした。
それでも、目を逸らせなかった。
◇
夜。
宴会棟の厨房は、とうに人が引けていた。だが、角の灯りだけが点いている。
包丁が野菜を刻む音。一定のリズム。だが、静かすぎる。
料理長が調理台の端に腰を預け、果物を囓りながら、宙に浮かぶ投影を眺めていた。
投影の中で、スレイアが派手な衣装で酒瓶を振り回し、大勢を巻き込んで歌っている。
「ふふ……相変わらず、滅茶苦茶ね」
視線を横へ移す。
エドが黙々とじゃがいもの皮を剥いている。洗い、切り、並べる。何かに追い立てられるように。
料理長はしばらく見ていた。
「あの子に会うのを、楽しみにしてたんじゃなかったの?」
エドの手が、止まらない。
「……明日が本番なので。材料の準備を」
「ふん」
料理長が、はっきりと笑った。
「逃げるなら逃げなさい。言い訳を探すのは、やめなさい」
包丁の音が、一拍だけ止まった。
「……そうかもしれません」
エドが、低く言った。手が、また動き出す。
厨房に沈黙が落ちる。投影のスレイアの歌声だけが流れていた。
料理長が果物を食べ終えた。種が掌の上で淡い青の光に分解され、消える。
腰を上げた。
「勤勉な子は嫌いじゃない。でもね」
ぱちん。
指を鳴らした。
エドの手の中の包丁が、青い粒子に変わり、消えた。
エドが空になった手を見つめる。振り返る。
料理長が、静かに立っていた。
「心がぐちゃぐちゃの奴が作った料理は、不味いのよ」
エドが口を開きかけた。
「明日もこの状態なら、二度と私の厨房に入らなくていい。客に不味い料理を出す気はないから」
長い沈黙。
「……はい」
声は、とても小さかった。
エドはエプロンを外し、静かに厨房を出ていった。
扉が閉まる。
投影の中で、スレイアがまだ笑っている。
料理長は、小さく溜息をついた。
◇
宿舎。浴室。
水が、落ちている。
エドは頭を垂れたまま、動かなかった。
水滴が髪から顎を伝い、足元に落ちていく。
――『逃げるなら逃げなさい。言い訳を探すのは、やめなさい』
手が、ゆっくりと上がった。
胸の上に、置かれる。
空洞。
そこに、何かがあったはずなのに。
今は、何もない。
水を止めた。
静寂。
水滴だけが、ぽたり、ぽたりと落ちている。
エドは顔を上げた。
曇った鏡の中に、自分がいた。
目が合った。
長い間、動かなかった。




