第38話 嵐のあと
夜。
セリーヌの執務室。柔らかな照明の下、複数の投影が宙に浮かんでいた。
サンドラの映像。
そして――あの街道での騒乱の映像だ。
轟音。ガラスの砕ける音。赤黒い残影。
エドとエレナが交錯する瞬間。
セリーヌは片手で頬杖をつき、静かに見つめていた。
『……今回の件につきまして』
投影越しのサンドラが先に口を開いた。
『エレナの監督が行き届かず、このような事態を招いてしまいました。深くお詫び申し上げます』
セリーヌはすぐには応えなかった。画面の中の、エドの瞳が赤く変わっていく瞬間を見つめている。
やがて、軽く息を吐いた。
「L.U.N.Aがまもなく公都に到着する。アクリスタにこれだけ注目が集まっている時期に、こんな騒ぎを起こされたのは、正直困るわね」
セリーヌの指先が動いた。別の投影ウィンドウが浮かぶ。
市民が撮影した動画や記事が、次々と表示されていた。
【元・総帥閣下が連れてきた人間の少年、商業街で窃盗】
【連邦貴族市民が暴行被害】
すでに情報の拡散が始まっていた。
「広がるのが、思ったより早いわ」
サンドラが沈黙した。
『……情報を抑えますか?』
「これ以上、悪い印象が広がるのは避けたいわね。広報の焦点をずらしましょう。L.U.N.Aの公都到着と、免税開放の話題に」
『了解いたしました』
間が、一拍あいた。
セリーヌがふっと笑った。
「それにしても、エレナの手際は見事だったわね。段取りも、人の動かし方も」
『……恐縮です』
サンドラの顔が、明らかに複雑になった。
『あの子の才覚を、こういうことに使ってほしくないというのが、親としての本音でして……』
一度言葉を切り、少し苦い顔をした。
『それに、さっきゲイノから連絡があったのですが……帰宅した時、エレナの顔の片側がかなり腫れていたそうで』
セリーヌが、思わず笑い声を漏らした。
『今回の件で少しは懲りてくれればいいのですが。セリーヌ様にこれほどご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございません』
「気にしないで」
セリーヌが軽く手を振った。
「エレナはこれまで、ほとんど負けたことがないでしょう。あの子よりずっと小さい人間の少年に、面と向かって押し返された。怒るのも無理はないわ」
サンドラがわずかに目を瞬いた。
『……それは、どういう意味でしょう?』
セリーヌは笑みを浮かべたまま、言葉を濁した。
「若い人同士のこと。衝突くらい、あるわよ。しばらくは会わせないようにしておけば、落ち着くでしょう」
『……はい』
サンドラは腑に落ちない顔をしていたが、それ以上は追及しなかった。
短い挨拶を交わし、通信が閉じる。
執務室が静かになった。
コン、コン。
控えめなノックの音。
「どうぞ」
扉が開き、アナスが入ってきた。軽く一礼する。
「処理は終わった?」
「はい」
「あの子たちの様子は?」
アナスが少し間を置いた。
「龍威は軽傷です。エドは……」
言葉を選ぶように、アナスの視線が落ちる。
「初めて見ました。あそこまで、周囲に何も反応を示さない姿は」
セリーヌは何も言わなかった。
手元の投影を、一つの静止画像に切り替える。
エドの瞳が、赤黒く染まっている瞬間だった。
アナスの視線がそこに止まった。
「……セリーヌ様。私の見間違いでなければ、エドの身体から……赤黒い電弧のようなものが」
短い沈黙。
「見間違いではないわ」
セリーヌが静かに言った。
アナスの瞳が、わずかに細まった。
「あれは……」
セリーヌは答えなかった。画面のエドの目を見つめたままだ。
やがて、口を開いた。
「しばらく、あの子から目を離さないで。それと――当面、城の外に出さないように」
アナスが静かに頭を下げた。
「……了解いたしました」
部屋が再び静まった。
セリーヌは椅子の背にもたれた。
脳裏に、モネイアラの声がよみがえる。
――【世界を滅ぼす者、可能性:高】
セリーヌの眉が、ゆっくりと寄った。
◇
翌日。
L.U.N.Aの到着を控えたシルウィード城は、朝から慌ただしく動いていた。
侍従が行き交い、浮遊台車が物資を運び、廊下は話し声と足音で賑わっている。
その中で、西側の賓客棟だけが、不自然なほど静かだった。
エドが端末パネルを操作している。清掃用の魔導人形が数体、ゆっくりと浮き上がった。水流が噴き出し、窓面の埃が拭われていく。
エドはそれを、ただ虚ろな目で見ていた。
「エド」
後ろから、レーナの声がした。
「廊下の窓も、ついでにお願い」
「うん」
返事に間はなかった。だが、感情の色もなかった。
エドは魔導人形を操作しながら、賓客棟の外へ歩いていってしまう。
残されたレーナが何か口を開きかけたが、やがて止めた。
手の中の布を、きゅっと悔しそうに握りしめる。
少し離れた角の向こう。
第三班の数人が、そっと様子を見ていた。
エドの姿が廊下の奥に消えてから、レーナが小さく溜息をついた。
「……まずいわね、これ」
「そんなにひどいの?」
別の班員が低い声で尋ねる。
レーナがこめかみを押さえた。
「ユニティア家のお嬢様も、いくらなんでもやりすぎでしょ……」
「ほんとだよ。王騎家の人間が、子供相手にあそこまでする?」
「でもエドもすごいよね。ガラディオンの首席と、あんなに渡り合えるなんて」
「今は、そこじゃなくて」
班員の一人が、重い声で遮った。
「あの子……ずっとああいう顔してるの。なんか……見てると、こっちまでつらくなる」
ネフリは何も言わなかった。
エドが去った方向を、静かに見つめていた。
やがて。
「……まずいわね」
ネフリの声が低い。
周囲が少し静まった。
「あの前まで、晩餐会のためにずっと準備を続けていた」
一拍。
「今のあの状態で……本番を、こなせるかしら」
空気が、少しだけ重くなった。
さっきまで文句を言っていた声も、静かになった。
長い廊下の窓際。
エドが魔導人形を操作している。
陽光が、少年の横顔に落ちていた。
その表情は、誰にも読めなかった。




