第41話 幕が上がる夜
ライブの演出が終わっても、宴会場の歓声はなかなか収まらなかった。
照明が落ちていく中、L.U.N.Aの四人が揃って一礼する。取り澄ましていた貴族たちさえ、この時ばかりは惜しみなく拍手を送っていた。
最後の灯りが消え、四人が舞台袖へ退がる。
◇
舞台裏の通路。
セリーヌが待っていた。
「お疲れ様。素晴らしかったわ。今夜の来賓の心は、完全に掴まれたわね」
「シルウィード様の宴にお力添えできて、光栄です」
ルーシーの言葉に、セリーヌが微笑む。
「そんなに畏まらなくていいのよ。今日はお客様なんだから」
アリシアとシンシアの表情が、少し緩む。ガレットが静かに息を吐いた。
その時。
通路の奥から、足音。とても軽い。だが、空気が微かに変わった。
ルーシーが、最初に振り返った。
銀の髪が、月光のように流れている。墨を流したような、淡い蒼のドレス。右の額に、欠けた黒い角。
気配が、ひどく静かだった。冷たいのではない。近づくのを躊躇わせる――月下の水面のような、清冷。
四人から、笑みが消えた。
「セリーヌ様」
銀髪の女が、セリーヌの傍で軽く頭を下げる。
「月怜。お疲れ様」
ルーシーが、半歩前に出た。先ほどより、明らかに姿勢が改まっている。
「もしお間違いでなければ……"静月の剣姫"、月怜様でいらっしゃいますか」
月怜の視線が、ルーシーに向いた。
「随分と古い呼び名ね」
「魔大陸平定戦の記録に。月光のように静かな剣で――敵が気づいた時には、既に終わっていた、と」
アリシアが息を呑む。ガレットの目に、光が灯った。
「少し大げさね」
月怜の表情は、動かない。
「もしよければ……ご指導いただけませんか」
堪えきれず、アリシアが口を開いた。ガレットとシンシアも強く頷く。
月怜が、セリーヌをちらりと見た。セリーヌは笑って、何も言わない。
「公都に残るなら、ディノス学院に来るといいわ。指導というより……うちの学生に、刺激を与えてほしいの」
四人の顔が、一斉に輝いた。
「珍しいわね。自分から誘うなんて」
セリーヌの軽口に、月怜は答えなかった。代わりに、声の色を事務的なものに変える。
「セリーヌ様。第二次鉱区入札が、終了しました」
空気が、一段沈んだ。
「結果は?」
「予想以上に激しく。複数の商会と外部勢力が、すでにゲイノへ接触を始めています」
「動きが早いわね」
「もう一つ。サンドラの報告で――スティペロス式の飛行体が、確認されました」
セリーヌの表情が、変わった。
「……来たのね」
「時期を、選んでいますね」
「アナスに連絡を。私の部屋へ通して。随行は、宴会場へ」
月怜が頷き、通路の奥へ消えた。
その背を見送るルーシーの胸に、小さな疑問が灯る。
(スティペロス。飛行体……)
◇
城館正門、大広間。
アナスと侍従たちが待機している。龍威も、その列にいた。
正門が、開く。
花の香りが、流れ込んだ。
淡い。だが鼻腔に届いた瞬間、鼓動が勝手に乱れる。
甘くて、冷たい。夜に咲く花のような香り。
龍威は、上げかけた目を止めた。
理由は分からない。ただ――危ない、と本能が告げていた。
隣で、取り巻きの少年たちの呼吸が変わる。顔が赤い。焦点が合っていない。体格のいい一人など、目の焦点が完全に飛んでいた。
龍威が、その肩を叩いた。
「みっともない真似をするな。シルウィード家の恥になるぞ」
低い声に、いつにない緊迫があった。数人が、びくりと我に返って俯く。
紫の長髪が、視界の端を流れていく。翠玉のような瞳。唇の端に、淡い笑み。
月怜が、正面に立った。
「お久しぶりです、モネイアラ様。セリーヌ様がお待ちです」
「あら。あなたが迎えとはね。相変わらず冷たいわ」
月怜は無言で背を向けた。
「こちらへ」
「可愛くないのも、相変わらず」
笑いながら、モネイアラが続く。
その直前。彼女の目が、一瞬だけ随行の列を流した。
三人の女が、無言で列を離れ、モネイアラの後ろについた。スティペロスの礼装。だが、動きが静かすぎる。足取りに迷いがない。
月怜が振り返り、三人に目を留めた。
「その方々は?」
「セリーヌに会えば、分かるわ」
月怜は、それ以上問わなかった。
一行が貴賓通路へ消える。花の香りが、薄れていった。
大広間で、人々がようやく深く息を吐く。
「あれが……スティペロスの領主か」
龍威が、通路を見つめていた。
ただ通り過ぎただけだ。なのに、大広間の空気が丸ごと、揺さぶられていた。
◇
アナスが、残りの随行員へ向き直る。
「皆様、宴会場へご案内します」
褐色短髪の女が、笑みを浮かべた。
「まさか"隊長"が、シルウィード家の総管になっているとはね」
アナスの足が、止まる。
「その呼び方はやめて、テレサ。もう機関の人間じゃないの」
「私たちから見れば、隊長は隊長ですよ」
溜息をつき、アナスは歩き出した。
テレサが、その背を追う。声を落とした。
「ところで――あの三人。スティペロスの人間じゃ、ないですよね」
アナスは、振り返らない。
「衣装も気配も整えてあったわ。でも、神聖魔法の残り香がある」
「さすが、鼻が利きますね」
アナスは口を開きかけ、やめた。端正な笑みを戻す。
「お疲れ様でした。脇の貴賓席へ、ご案内しますね」
その背中を見て、テレサが小さく呟いた。
「……変わらないなぁ」
◇
宴会場。
中央区域には、もう来賓が着き始めていた。正規の侍従が前菜を運び、外縁では魔導人形が銀のワゴンを押して巡回している。
テレサたちを貴賓席へ送り、アナスは一礼して離れた。
振り返りがてら、視線が宴会場の奥へ流れる。
厨房の、開放窓口。
灯りが、煌々と点いていた。蒸気が立ち昇り、料理長の声が遠くまで通っている。
その中に、小さな影。踏み台の上で、鍋に向かっている。行き交うシェフの間に、埋もれそうな背丈。
料理長が、大股で近づいた。
(……また怒られるのかしら)
アナスが心配したが、怒声はなかった。料理長は鍋を覗き込んだだけだ。
「今、何人分?」
「第一陣、四十人分。火にかけています」
「あとどれくらい?」
「最速で十八分。安全を見て、二十分です」
鍋面を二秒見つめ、料理長はエドに目を戻した。
「配置と時間管理を崩すな。最後の仕上げが、一番の山場よ」
声を、少し落とす。
「外の席には――あんたが一番届けたい相手が、座ってる」
エドの指が、わずかに締まった。
「失敗したら、承知しないわよ」
「はい」
エドは調理台に向き直り、深く息を吸う。
立ち昇る蒸気が、顔を包んだ。
胸の中で揺れていたものが、熱気の奥へ、少しずつ押し込められていく。
(――今日だけは、絶対に)
◇
宴会場、中央席。
ルーシーはフォークを手にしたまま、動かなかった。
視線が、行き交う侍従を追っている。
「さっきからずっと、侍従の方を見てるけど」
アリシアが声を潜めた。
「もしかして、イケメンでも見つけた?」
ルーシーの手が、止まる。
「違うわ。ただ――」
「エドを探してるんでしょ」
ガレットが、淡々と言った。
ルーシーは一瞬黙り、否定しなかった。
「見習い侍従なら、中央席には来ないと思うわ。外縁か、裏方じゃないかしら」
シンシアが、周囲を見回す。
ルーシーは、杯の縁を指先で撫でた。笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。
「……そうね」
それ以上は、言わなかった。
ただ、目は時折、宴会場の入口へ向いていた。




