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『人類を裏切った少年、魔族の総帥に拾われる』 ~国を毒殺して処刑されるはずが、深淵の力で魔界の英雄(?)に成り上がるようです~  作者: M—mao
公都・剣閣編 ~宴と誓いの章~

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第42話 届けたい味

宴会場、中央席。

エレナは、料理に手をつけていなかった。


周囲の席では、低い声で会話が交わされている。


「黄身を割ると、印象がまるで変わるな」

「前の二品より、こちらの方が記憶に残るかもしれない」


聞こえないふりをした。

だが、隣ではゲイノが「いいな、これ」と笑いながら黄身を割り、サンドラまで「素朴なのに、雑じゃない」と目を細めている。


(……何がそんなに美味しいのよ)


こんな料理を作ったのが誰なのか、自分は知っている。

なのに、会場中が認めている。父も、母も。


皿の上では、半熟卵がまだ微かに湯気を立てていた。

エレナは、目を逸らした。


しばらくして、侍従が皿を下げに来る。


「待って」


エレナが呼び止めた。


「これ、もう冷めてしまったわ。温かいものに替えてもらえる?」

「かしこまりました。確認して参ります」


侍従が微笑み、皿を下げていく。

テーブルの下で、エレナの指先が強く握り締められていた。

自分でも、気づかぬうちに。





宴会棟の厨房。

最後の一皿が、送り出された。


第三班の全員が、ほぼ同時に深く息を吐く。


「……終わった……」


レーナが調理台に手をつき、突っ伏しかけた。横では一人が膝から崩れかけ、ネフリに腕を掴まれている。


「まだ厨房よ。座らないで」

「足の感覚がないんです……」


班員の一人が泣き言を漏らし、周囲から小さな笑いが起きた。


エドは、竈台かまどだいの前に立っていた。額に汗。空になった鍋を見下ろし、長く息を吐く。


「……できた」


小さな声だった。だが、レーナには届いていた。

肩を、ぽんと叩かれる。


「まぁまぁね。少なくとも全員道連れにはならなかったわ」

「あなた、さっき誰より真剣だったくせに」


ネフリのジト目に、レーナは悪びれずに即答する。


「あれは自分の将来のためよ」


また、笑い声が起きた。

料理長は、少し離れた場所に立っていた。

何も言わない。

ただ、口元がごく僅かに緩んでいた。


その時。

侍従が一人、料理を載せたまま戻ってきた。


「どうしたの」

「中央席のエレナ様から……こちらが冷めてしまったので、温かいものに替えてほしいとのことです」


料理長は、皿を見た。

半熟卵は沈み、ソースは温度を失っている。ほとんど、手がつけられていなかった。

二秒、黙った。


「捨てなさい」


侍従が、固まった。


「ですが――」

「二度言わせないで」


侍従の口が、閉じた。

料理長は布巾ふきんで手を拭うと、静かに続けた。


「伝えなさい。この料理はもう出せない。他の主菜で対応できるか確認して。それと――」


料理長の顔に、一瞬だけ冷笑がよぎる。


「一番美味しい時に食べなかったものを、冷めてから温め直せだと? 温かいものが食べたいなら、サンドラに家で作ってもらいなさい」

「……かしこまりました」


侍従は肩を硬くしたまま、退がっていった。

エドは少し離れた場所で、その一部始終を見ていた。

表情は、動かない。

ただ視線だけが、料理長の背中を追っていた。





「申し訳ございません。あちらの料理はすべて終了しており、新たにお出しすることができません」


戻ってきた侍従の言葉に、エレナの眉が寄った。


「他の主菜でしたら、厨房の状況を確認いたしますが」

「結構よ」


答えたのは、サンドラだった。侍従に軽く頷く。


「ありがとう」


一礼し、侍従が去る。

エレナは、母を見た。


「お母様」

「不満なら、自分で厨房へ直接言いに行きなさい」


サンドラは杯を傾けた。


「ただし、泣かされても知らないわよ」


エレナの顔が、微かに強張る。

サンドラは、笑っただけだった。


ゲイノが杯を置き、上座へ目をやった。


「おかしいな」

「どうしたの?」

「そろそろ第三次鉱区入札の時間だが……セリーヌ様の姿が、まだ見えないな」


サンドラも主賓席を見た。侍従が席を整えている。だが――主の姿が、ない。

ゲイノが、声を落とす。


「あの料理長が、こういう宴席であの料理を通したというのも、少し気になるな」

「だから面白いのよ」


サンドラが軽く笑った、その時。

腕輪が、蒼く光った。


目を落とす。表情が、わずかに変わった。

端末を取り出し、通信に出る。投影は開かない。声だけを、耳に流し込む。

何も言わなかった。ただ、聞いていた。


数秒後――目の奥が、沈んだ。


「……了解」


通信が切れる。

ゲイノが、見ていた。


「今夜の最終工程、私たちで引き受けるわ」


驚きはなかった。ナプキンを置き、ゲイノが静かに立ち上がる。


「大きい話か」

「ええ」


サンドラも、立った。

エレナは、二人を見上げた。


さっきまで、家族として話していた二人。

立ち上がった瞬間――空気が、変わっていた。


サンドラの笑みが消え、目が鋭くなる。ゲイノは穏やかなまま、薬指の指輪を親指で撫でていた。

エレナは口を開きかけて、止めた。


「……行ってらして。お父様、お母様」


サンドラが一瞬だけ娘を見て、笑みを戻す。


「すぐ戻るわ」


ゲイノが、軽く笑った。

二人が中央の壇上へ向かう。近づくにつれ、周囲の会話が少しずつ収まっていく。


サンドラが場を抑え、ゲイノが規則の説明を引き取った。一つの目配せ。一つの間。二人の間に、確認の言葉は要らない。

張り詰めていた会場が、彼らの呼吸に乗って、静かに落ち着いていった。


エレナは、席から見ていた。

父も、母も――こういう場では、眩しいほどだった。


(いつか、私も――)


視線が、主賓席へ流れる。

淡い青の目に、闘志が灯っていた。

だが、その下に。


(セリーヌ様が、なぜこのタイミングで席を外したの……?)


テーブルの下で、指先がまた握り締められた。

料理のことで燻っていた苛立ちは、いつの間にか、別の感覚に押し出されている。


名前のつかない不安が――胸の底に、沈んでいた。



アクリスタ上空。

飛行体が、夜空を滑っていた。逆涙滴型の機体。両翼の円盤から、淡い青の光が流れている。


操縦席では、テレサが半透明の球状制御盤に指を走らせていた。その表情から、いつもの軽さが消えている。


客室。

セリーヌは宴会用のドレスを脱ぎ、白い長外套に着替えていた。隣に、月怜げつれん

対面には、スティペロスの随行員に扮していた三名の女性。


一人が、顔を上げた。


「シルウィード公爵閣下。このような大切な宴席にご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません」


残る二人も、頭を下げる。


「構わないわ」


セリーヌは穏やかに言った。


「普通の事件なら、こんな形で持ち込まれたりしないでしょう」


視線が、横へ流れる。

モネイアラが反対側の席で脚を組み、魔導人形が運んできたステーキを静かに口へ運んでいた。目は閉じたまま。表情がない。


「あなたがわざわざ彼女たちをあんな格好で連れてきた時点で、ただ事ではないと分かるわ」

「ふん」


モネイアラが低く笑い、フォークを置いた。


「さすが連邦の護国大公ね。こんな時でもすぐ動ける。感心するわ」


セリーヌが、向かいに座る。


「ソルメロスの右腕が襲われた。痕跡がほぼない。通常の事件ではあり得ない」


モネイアラが目を開けた。翠玉の瞳。


「通信で済ませることもできたのに。なぜ自分で行くの?」


セリーヌは、窓の外を見た。アクリスタの灯火が遠ざかっていく。


「現場でなければ、見えないものがある」


それから、三名の女性へ目を戻す。


「それに……サンドラが以前報告してきた件と、関係があるかもしれない」


三人の表情が、一瞬変わった。


「あなたもそう思うのね」


モネイアラの目が、細くなる。

セリーヌは、否定しなかった。


月怜の腕輪に、短い通知が灯った。


「セリーヌ様。宴会場は、サンドラとゲイノ伯が引き継いでいます。第三次入札も予定通りです」

「任せておいて」


セリーヌが応じた瞬間、月怜は視線を感じた。

モネイアラが、こちらを見ている。その視線が――月怜の欠けた角のあたりで、止まっていた。


「……何?」

「別に。久しぶりだから。綺麗になったなと思っただけ」

「今はそういう話をする時ではありません」

「だから可愛くないって言ってるの」


モネイアラが、低く笑った。

窓の外で、アクリスタの灯りが小さくなっていく。

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