第27話 禁閉室の来客
「入りなさい」
鉄扉が開き、エドが中へ入った。
狭い。二人が横になれるかどうか。簡素なベッドと、頭上の暖色灯だけ。
感慨に浸る間もなく、背後で扉が閉まった。
ベッドに倒れ込み、腹をさすって息を吐く。
「……完全に怒らせたな、総管殿」
◇
懲罰房、一日目。人生で最も静かな一日だった。
本は断られた。運動はできない。換気がなく、部屋の隅にある桶の臭いだけで十分つらい。
結局、仰向けになり、目を閉じた。
意識の奥で、あの夜が蘇る。セリーヌの剣。型そのものは特別ではなかった。だが、剣が手を離れ、また戻る。魔力の気配がないのに、まるで意志を持っているかのように。
龍威の白い闘気。あれもまた、魔力とは異なる何かだった。
どれほど経ったか。鉄扉が軋んだ。
「出なさい。面会よ」
女衛兵の事務的な声が響いた。
◇
「なんでそんな遠くに立ってるの」
ガラス越しに、ネフリの声がした。
エドは部屋の端に立ったまま、ちらちらと視線を送っていた。
「ずっと横になってたから、ちょっと立ちたくて」
ばん。
ネフリが机を叩いた。エドはびくりと跳ねる。
「正直に言いなさい」
「……臭いが移ったら悪いかと」
ネフリは呆れたようにジト目を向けた。
「座りなさい」
有無を言わさぬ声。
「三つ数えるわよ」
低く凄まれ、エドは素直に椅子に座った。
「何か、言いたいことは?」
ネフリが腕を組む。
「先輩、身体の方は――」
尖った耳がわずかに震えた。
「まだ少し。でもこれ以上ごまかすなら、今すぐ帰るわ」
「言います、言います」
慌てて手を振る。
エドはあの夜の、龍威の異変を話した。途中で動きが鈍り、何かに怯えたように固まったこと。本来なら龍威が自分を倒して終わる筋書きだったこと。
「あの一撃が想定外だった。俺がわざと隙を見せて、向こうが倒して――それで完璧だったのに」
悔しそうに言葉を止めたエドを、ネフリが遮った。
「……それで?」
声が低い。
「あなたの怪我のこと。説明する気はないの」
エドの口が閉じた。
「ポリンの設備は間違えない。内臓損傷と出た。なのにあなたは歩いて出てきた」
琥珀色の瞳が、まっすぐにエドを射抜く。
「あなたの身体は、一体どうなっているの」
沈黙。エドは目を逸らした。言葉が出てこない。
「時間よ」
女衛兵の声が、静寂を断ち切った。
エドが顔を上げた。
普段は冷淡で美しいネフリの顔に、怒りが滲んでいる。
だが――瞳が赤い。薄く水気が浮かんでいた。
心臓を鷲掴みにされた。
「先輩……」
がたん、と音を立ててネフリが立ち上がった。振り返らない。強い足音が廊下を叩いた。
残響だけが、長く響いて消えていく。
エドは無意識に、自分の胸に手を当てていた。
◇
懲罰房に戻る。ベッドの端に座り込んだ。
鉄扉に、ネフリの背中が重なる。
あの顔が消えない。怒っていた。でも泣きそうだった。
どうすればいいか分からない。答えは出ないまま、夜が過ぎた。
◇
再び、鉄扉が軋む。
「面会よ」
面会室の扉を開けた。
立っていたのは、大きな背中と赤い髪。そして、あの角。
龍威が振り返り、エドを見て――固まった。
「……何だその面は」
「何が」
顎で壁の鏡を示される。エドが目を向け、自分でも驚いた。鳥の巣のような髪。うっすらと黒い隈。唇の皮が剥け、顔色がくすんでいる。
「独房でそうなったってより……失恋だな、これは」
「うるさい。で、何の用だ」
「用があって来たんじゃない」
龍威が口の端を歪めた。だが次の瞬間、目つきが変わる。
「小僧。お前、一体何なんだ」
「……何が」
「とぼけるな。昨日試した。お前を殴ったのと同じ力で石を打った。粉々だった」
縦長の瞳が、スッと細められた。
「人間の身体で、あれを受けて無事なわけがない。お前は――人間か、化け物か」
エドの拳が握られた。目を伏せる。
笑いが漏れた。無力で、自嘲気味な笑いが。
「人間だよ。俺は、人間だ」
龍威は鼻で笑い、踵を返した。
「あの時、わざと負けたのか」
エドは振り返らない。
「……完全にわざと、ってわけじゃない。あんたの本気が見たかったのも、本当だ」
龍威は何も言わず、扉を開けた。
そして――振り返らないまま。低く、短く言い捨てる。
「意識の流れを感じろ。中心に集めろ。静寂の中で、爆ぜさせろ」
足音が遠ざかった。
エドは立ち尽くしていた。やがて口元が緩む。
「……素直に教えりゃいいのに。何を気取ってんだ、あの赤毛」
◇
シルウィード城。セリーヌの執務室。
机の上に、紅茶が一杯。満ちているが、もう湯気はない。
セリーヌは両手を組み、面前の投影ウィンドウを見つめていた。
その横に、もう一つの投影。人影の輪郭だけが浮かんでいる。紫水晶のような長髪の揺れ。妖艶な赤い唇。それ以外は、闇に溶けている。
「密偵の調査をしていると聞いたけれど」
セリーヌの声には温度がない。
「それが今は、子供に興味を?」
「ふふ。まぁ、そうね」
投影の向こうで、軽やかな笑い声がした。
「"元"連邦総帥にして護国大公爵が、子供一人に翻弄されたんですもの。好奇心くらい許してちょうだい」
酒を口に含む音。
「どう? 面白い子でしょう」
セリーヌは答えず、手元の資料に目を落とした。
エド・ウォーカーの経歴。出生から現在まで。
医学書の窃盗。独学での薬品研究。
そして――
貴族の令嬢に弄ばれ、殺害された記録。
自ら毒を試し、死亡した記録。
魔物が跋扈する森で三ヶ月間行方不明になり、無傷で生還した記録。
セリーヌの指が、無意識に握り込まれた。
「……本当に、出鱈目を書いていないでしょうね」
「連邦最高情報機関を侮辱する気?」
冷たく鼻を鳴らす声。
「この小僧、現時点では"試練"の条件には達していないけれど……かなり近い」
セリーヌの視線が、資料の最終行に止まった。
【世界を滅ぼす者、可能性:高】
長い沈黙。
セリーヌは椅子の背にもたれ、窓の外に視線を投げた。
夜空に、星が冷たく光っている。




