第21話 それぞれの夜
深夜。エドは天井を見つめていた。
眠れない。午後の龍威との戦いが、何度も脳裏に浮かぶ。
あの白い闘気。他の男子は魔族の膂力で殴り合うだけだった。だが龍威は違った。あの白い炎のようなものは、通常の魔力展開とは明らかに異質だった。
空気が爆裂し、噴き出す気の奔流。もしあの装甲がなければ、焼かれていたかもしれない。
(あれは……一体なんだ)
答えは出ないまま、いつの間にか意識が沈んでいった。
◇
夜空が蒼く明け始めた頃、見習い侍従たちは清掃任務のために集まっていた。
「あれ?」
エドは周囲を見渡した。銀白の長い髪が見当たらない。
「ネフリ先輩は?」
エドが尋ねると、前方の運転席からレーナが答えた。
「休みよ。体調崩したって」
そして、軽く振り返って笑う。
「それよりあんた、やるじゃない」
車内で、班の面々がエドに絡み始めた。肩を組む者、もふもふの頭を撫で回す者。
「昨日、龍威に勝ったんでしょ? やるねぇ」
「あ、いや……その……」
少女たちの香りと柔らかな感触に囲まれながらも、エドの意識は別のところにあった。
昨日、ネフリとレーナが結界から出てきた後のこと。ネフリの顔が赤く、足取りが乱れていたこと。急いで去っていったこと。
(……本当に体調が悪いのかもしれない)
◇
授業が終わった後。エドは弁当箱を持って、ネフリの部屋の前に立っていた。
コンコン、とノックする。
「……誰」
扉の向こうから、弱々しい声がした。
「エドです」
沈黙が落ちた。長い沈黙。
エドは首を傾げ、もう一度ノックした。二回叩いたところで——。
「何の用」
冷たい声。いつもより鋭い。
「レーナ先輩から聞いて。一日顔を見てないし、何か食べたかなって……弁当を持ってきました」
また沈黙。やがて——。
「いらない。余計なお世話よ。帰って」
「でも——」
「帰れって言ってるの!」
ドン。扉を内側から叩く音が響いた。エドは一瞬びくりと肩を揺らす。
小さく息を吐き、弁当箱を扉の脇にそっと置いた。
「……先輩。邪魔してすみません。弁当、ここに置いておきます。具合が悪くても、何か食べてくださいね」
軽く頭を下げ、背を向けた。
階段を降りていく足音が遠ざかった後——扉が、細く開いた。
ネフリが顔を覗かせる。頬が紅く、息が荒い。額に汗が滲み、身体が微かに震えていた。必死に何かを堪えている目。
廊下に、小さな弁当箱。
ネフリは唇を噛み、素早く手を伸ばして弁当箱を掴んだ。引き込むように部屋に戻り、音を立てずに扉を閉める。
◇
「……俺、何か怒らせたかな」
エドは頭を掻きながら階段を降りていた。ネフリの態度に、まるで心当たりがない。
踊り場で、正面から——龍威と鉢合わせた。
一つ上の段に龍威。一つ下にエド。見上げる形で、視線がぶつかる。
「てめぇ……!」
龍威の背後から、太った少年が袖を捲り上げて前に出ようとした。
だが——龍威の腕が、静かに遮った。
「……兄貴?」
太った少年が怪訝な顔をする。龍威は振り向かない。一言も発さず、両手をポケットに入れたまま、エドの横を通り過ぎていった。
エドの目に、一瞬だけ——申し訳なさそうな色がよぎった。
◇
夜。エドは龍威の部屋の前に立っていた。
深呼吸。胸を叩く。
コン、コン。
間もなく、扉が開いた。龍威の目に、一瞬だけ戸惑いがよぎる。
「何の用だ」
「別に。——今日の深夜、時間あるかって聞きたかっただけだ」
龍威の表情は動かない。
「くだらん」
短く呟き、扉を閉めようとした。
「あんた、剣は得意じゃないだろ」
閉まりかけた扉が、ピタリと止まった。
「……どういう意味だ」
「得意じゃない武器で戦った相手に勝っても、勝ちとは言えない」
エドは肩をすくめた。
「もったいないと思わないか。長槍を使っていたら——結果は違ったかもしれない」
扉が、勢いよく開かれた。
龍威が目を剥いている。こめかみに血管が浮く。
エドは笑った。
「今夜零時。城の裏庭で待ってる」
背を向け、歩き去る。
龍威は歯を食いしばり、力任せに扉を閉めた。
(こいつ……!)
苛立ちが全身を巡る。拳を握り、鱗が浮かびかける。
そのとき——部屋の奥から、微かな音。
龍威の呼吸が止まった。
二歩で部屋の隅に辿り着く。ベッドの脇の角、布に包まれた長い物。
折れた槍。
その断面が——金色の光を、淡く放っていた。呼吸のように明滅している。
龍威は両手で槍を持ち上げた。信じられないという顔で首を振る。
「……なぜ、今になって……」
しばらく、光は続いた。やがて暗くなり、消えた。槍は灰色に戻る。
『あの人は、俺に逃げるなと言った。だから——俺はここにいる』
なぜか、あの言葉が頭をよぎった。
龍威は長い間、折れた槍の柄を撫でていた。
そして——静かに、元の場所に戻した。
◇
深夜の裏庭。風が微かに冷たい。
エドは草地に寝転がり、草を一本咥えていた。残月を見上げている。
足音が近づく。
エドは草を吐き出し、傍らの木剣を拾って立ち上がった。
「来ないかと思った」
エドが声をかけると、龍威が闇の中から進み出た。
「殴れる機会を逃すわけがないだろう」
その手には——八尺ほどの木の棒が握られている。
「……槍じゃないのか」
「お前相手に、それは要らん」
龍威が棍を回した。呼、呼、と空気が唸る。棍の先端が地を突き、エドを指す。
エドは笑みを消した。
両手で握った棍の、反対の端——あの短い距離の握りで、これだけの力と速度。
木剣を構える。鮮やかに身を翻し、剣先を龍威に向けた。
深夜の裏庭に、鈍い打撃音が響き始めた。




