第16話 爆発の蹴り
「なんだその態度は、おい」
太った少年がエドの頬を、ぺちぺちと叩いた。
エドの瞳から、光が消えた。
右手が、静かに握られていく。
——その腕を、ネフリが掴んだ。
ネフリは即座に踏み込み、エドの前に割って入った。取り巻きたちを鋭く睨みつける。
「いい加減にしなさい」
そのままエドの腕を引き、半歩下がらせた。
「これ以上は許さないわ」
「はぁ? こいつがネフリ班長に触ったんだろ。俺たちは——」
太った少年は肩をすくめて嘲笑う。
「班長様がセクハラされたんだろ? 俺たちは“正義の味方”ってやつだ」
背後の取り巻きたちも、くすくすと笑いを漏らす。
エドは何も言わない。
ただ、視線だけが——冷たい。
その沈黙が、逆に場をざわつかせた。
太った少年が再び手を伸ばそうとした、そのとき。
「何の騒ぎだ!」
年老いた声が、教室に轟いた。
白い長髭のドワーフの老教師が、背に手を組み、怒気を纏って立っている。その背後からレーナが顔を覗かせ、ネフリにさっと目配せした。
「授業中だ。席に着け。評価を下げられたいのか」
取り巻きたちは瞬時に表情を消し、慇懃に一礼して去っていった。最後にエドを一瞥しながら。
「行くわよ」
ネフリがエドの腕を引き、席へと連れていく。
エドは引かれるままだった。だが視線だけは、去っていく連中の背中に据えたまま——やがて、ゆっくりと逸らした。
◇
錬金術。
エドが村でタリアから学んだのは、薬草の精製だけだった。当然それも錬金の一種だと思っていた。
だが老教師が語り始めたのは、元素反応と鉱石触媒の理論。
まるで違う世界だった。
実験が始まった。手順、比率、素材——全て記憶している。エドの手は迷いなく器具を組み上げていく。
老教師が巡回の途中で足を止めた。エドの配管を見つめ、長い髭を撫でる。満足げな目だった。
だが——。
エドは合成された結晶をピンセットで摘み上げ、好奇心に目を輝かせた。
(これ……火に入れたら、どうなるんだろう)
にやり、と口元が歪んだ。
老教師の顔色が変わった。
「——待て! やめろ!!」
全力で駆け出す。
「え?」
エドが振り向いた。だが手は止まらない。結晶が炎に触れた。
ドォォォンッ!!!
小さなキノコ雲が立ち昇り、黒煙が錬金教室を覆い尽くした。
◇
廊下。
エドは両手に水桶を提げ、片足で立っていた。
元々しなやかだった黒髪は爆発したように逆立ち、顔には拭い切れない黒灰がこびりついている。
授業終了の鐘が鳴った。
「ゴホッ、ゴホッ!」
老教師が灰まみれで教室から出てきた。自慢の長い白髭は半分焦げている。
「腕を伸ばせ! 脚を上げろ!」
教鞭でエドの左脚を叩く。
「姿勢を崩すな! 怠けるな!」
「……はい」
カツ、カツ、カツ。
足音が周囲から聞こえてくる。教室移動の女子生徒たちが、爆発頭で片足立ちしている奇妙な姿を見て、口元を押さえて通り過ぎていく。くすくすと笑い声。ひそひそと囁き。
(……殺してくれ)
エドは絶望的に目を閉じた。
「おやおや、これは誰だろうねぇ」
嫌な声が、すぐ横から響いた。
目を開けなくても分かる。あの太った少年だ。
数人の取り巻きを引き連れ、エドの爆発頭を遠慮なく掴んだ。ぐしゃぐしゃと揉み回す。
「すっげぇ髪型。鳥の巣みてえ」
にやにやと笑いながら、手は止まらない。
「班長に手を出して、爆弾まで作って——お前、どうしようもねぇクズだな?」
エドは目を伏せたまま、水桶を提げた手を微動だにさせなかった。
「好きに言え」
低い声。
「だが——俺に触るな。笑うな」
「あぁ?」
太った少年が、面白がるようにエドの灰だらけの頬を指で突いた。顔を近づける。
「ハッ——ハハッ——」
——ドゴォッ!!
鈍い音。
太った少年の身体が、砲弾のように吹き飛んだ。
そのまま廊下の石床を激しく削るように滑り続け——十数メートル先で、ようやくぐったりと止まった。
周囲の誰も、何が起きたか見えなかった。
エドは元の姿勢のまま、左脚を軽く振り下ろしただけだった。両手の水桶は、一滴もこぼれていない。
「……言っただろ。触るなって」
「てめぇ——!」
「やりやがったな!!」
銀髪の少年二人が、同時に殴りかかった。
エドの身体が沈んだ。
拳が空を切る。二人の視界から、エドが消えた。
「——!?」
気づいた時には、一人が崩れ落ちていた。何をされたかも分からない。ただ脚に激痛が走り、白目を剥いて膝をついた。
もう一人が振り返ろうとした瞬間、膝裏に鋭い蹴りが突き刺さる。バランスが消え、強制的に片膝をつかされた。
首を捻って後ろを見る。
爆発頭の少年が、両手に水桶を提げたまま立っていた。
表情は、凍っていた。
左脚が、残像を引いて——横薙ぎに振り抜かれた。
(避けられ——)
少年は目を閉じた。
衝撃は——来なかった。
代わりに、重く、鈍い音が響いた。
おそるおそる目を開ける。
背中。大きな背中。
誰かが、エドの蹴りを受け止めていた。
「……兄貴?」




