第14話 居場所
帰路の浮遊車。
エドは落ち着きなく後ろを振り返っていた。
「総管殿! やっぱり戻って説明した方が——さっきのは、戦いを見ていただけで——」
「エドくん」
アナスは前を見たまま、淡々と言った。
「さっきの悲鳴、聞こえたでしょう?」
「……はい」
「なら、なぜあんな声を出したと思う?」
エドは黙った。
アナスがちらりと視線を向ける。口元に、わずかな笑み。
「それで? 戻る?」
脳裏に蘇るのは、あの冷たい目と、圧倒的な力。
「……あれ、おかしいな。俺、さっき何を言ったか全然覚えてなくて」
わざとらしく窓の外を見ながら、手をひらひらと振った。
「総管殿、次はどちらへ? 城に戻るんですか?」
「……ふふっ」
アナスは小さく吹き出した。
◇
浮遊車は内城の上層軌道を滑り、やがて地上の大通りへ降りた。
二人は車を降り、歩き始める。
公都・剣閣の内城は、外城とは別世界だった。ビルの壁面に浮かぶ巨大なホログラム広告、空中を行き交う魔導人形、道行く人々の腕輪から投影される通信画面——どこを見ても、エドの知らないものばかりだ。
「あれは何ですか!? あの光は!? あの人、空飛んでる!?」
エドは片っ端からアナスに聞いた。
最初は淡々と答えていたアナスも、古い遺構の前を通りかかった時には足を止め、自分から口を開いていた。
「ここは千年前の城壁跡よ。当時はこの高さで敵を防いでいたの。今ではビルの方がよほど高いけれど」
気づけば、アナスの方が多く喋っている。
屋台街に入った。見たこともない菓子を差し出される。一口齧ると、甘いのに辛い。
エドが目を丸くして頬を膨らませている横で、アナスも同じものをひとつ摘んでいた。表情は変わらない。だが、足取りがどこか軽い。
——ふと。
甘さが口に広がる中で、身体が先に反応した。
背中に、何かが触れたような感覚。視線だ。
エドは菓子を噛んだまま、ほんのわずかに目を動かした。屋台の向こう。茶を飲んでいた獣人の男が、こちらを見ていた。目が合ったわけではない。だが——その目に浮かんでいるものは、好奇でも無関心でもなかった。
冷たい。
視線を戻す。通りの反対側。店先に立つ女性が、エドの姿を認めた。何も言わない。ただ——顔を背けた。その横顔に、隠す気もない嫌悪が浮かんでいた。
エドは前を向いた。菓子を呑み込む。何も言わなかった。
足が、少しだけ速くなった。
その半歩前を——アナスがいつの間にか歩いていた。さっきまで横にいたはずだ。自然に、何気なく。だがエドと街路の間に、彼女の身体がある。
アナスは振り返らない。屋台で買った菓子の残りを口に運びながら、何事もなかったように歩き続けた。
エドは、その背中を見つめた。
(……ありがとう)
口には出さなかった。
◇
夕暮れ。城の東側塔楼の前で、浮遊車が静かに停止する。
「今日はここまで。明日の朝、遅れないこと」
アナスは運転席から降りることなく言った。
エドはドアを開け、軽やかに飛び降りる。
「はい! ありがとうございました!」
満面の笑みで手を振る。まるで子犬のような仕草に、アナスはわずかに目を細めた。浮遊車は静かに浮かび上がり、夕焼けの中へ消えていった。
エドはしばらくその場に立っていた。屋根の高さを測り、一瞬だけ跳躍の構えを取りかけて——やめた。苦笑。
鼻歌まじりに街路を進む。
やがて、見習い侍従の宿舎に辿り着いた。扉を開けた瞬間——目の前に、人影。
赤い髪。整った顔立ち。エドより頭半分どころか、上半身が丸々高い少年。その背後に、数人の取り巻き。
一瞬、視線がぶつかった。少年は露骨に目を逸らし、無言ですれ違っていく。
だが——。
「どけよ」
後ろにいた太った少年が、手でエドを押しのけた。にやりと嫌な笑みを浮かべている。
「——犬だって、道くらい譲るぜ?」
エドはよろめいたが、何も言わなかった。服の皺を払い、去っていく五人の背中をしばらく見つめる。
(……俺、何かしたっけ)
眉をひそめたまま、宿舎に入った。
三階へ上がったところで、背後から声がかかった。
「おい、新入り」
振り向くと、レーナとネフリが立っていた。
「レーナ先輩、ネフリ先輩」
反射的に背筋を伸ばす。
「午後、どこ行ってたの? サークルにもいなかったみたいだけど」
レーナが目をじろじろと向けてくる。
「総管殿に公都を案内してもらってました。——あの、サークルって何ですか?」
レーナが珍獣でも見るような顔をした。ネフリは無表情のままだ。
「同じ趣味や興味を持った子たちが集まるグループよ。うちの班みたいなものだけど、仕事よりずっと楽しいわ」
「へぇ……」
「で、あんたはどこに入りたいの?」
エドは口を開きかけた。——医術。すぐに答えが出るはずだった。
だが、ふと足が止まる。今日見た世界が頭をよぎる。光る都市。知らない文化。自分が想像もしなかった景色。
視線が、腕輪に落ちた。黒。
「……もう少し、考えてみます」
「あんたねぇ……」
レーナが呆れたように手を振った。
「好きにしなさい。私はご飯行くわ」
ネフリを伴って階段へ向かう。
「——来ないの?」
ネフリが短く振り返った。
「あ、さっき外で少し食べたので……」
「そう」
それだけ言って、去っていった。
◇
部屋に戻ると、机の前に座った。
腕輪を操作し、机上の端末を起動する。投影が立ち上がり、空中に操作画面が展開された。
画面の文字設定を開き、言語を切り替える。複雑に湾曲した連邦の文字が——見慣れた記号文字に変わった。
「おお……! 総管殿の言った通りだ」
だが少し考えて、顔を曇らせる。
(書くときは、結局連邦の文字が必要なんだよな……)
「……少しずつ覚えるか」
検索を開いた。医療。薬学。表示された一覧に目を走らせ、一つを選ぶ。ページをめくる。分からない単語は即座に検索し、メモを取る。
窓の外で、夕焼けが藍色に変わっていった。やがて星が一つ、二つと灯る。
エドは気づかない。目の前の光だけが、静かに顔を照らしている。
時間の感覚が、ゆっくりと消えていった。




