第12話 剣と矜持
パキン。
青い光の鎖が、粒子になって散った。
エドは手首をさすりながら顔を上げた。目の前に、銀色の浮遊車。その横に——アナスが腕を組んで立っている。
凛とした顔に表情はない。ただ指先だけが、腕の上でタッ、タッ、と苛立ちを刻んでいた。
「あの……総管殿……」
アナスは見下ろしていた。あの赤い瞳から、厳しさが少しずつ褪せていく。最後に残ったのは——深い溜息だけだった。
「……行くわよ。突っ立ってないで、乗りなさい」
エドがぱっと顔を上げた。さっきまでの恐怖が、一瞬で消える。駆け寄り、浮遊車に潜り込んだ。
後部座席に、長い包みが置かれていた。丁寧に包装され、署名のような文字が添えられている。
(……何だろう、これ)
読める字を拾う。「侯爵」「令嬢」——それと、名前らしきもの。
(どこかのお嬢様に届け物?)
車体が低く唸り、発進した。
◇
城の隧道を抜けると、視界が一気に開けた。
水晶と鋼と魔法の光で築かれた都市が、眼下に広がっている。半透明の壁面が陽光を虹色に砕き、巨大なホログラム映像がビルの間を泳いでいた。
エドは窓に顔を寄せた。
「すごい……」
前に公都を通った時は歓声と紙吹雪の嵐だった。だが今日は違う。日常の公都だ。通りを歩く獣人、空中を飛ぶ配送用の魔導人形、ビルの壁面を掃除する丸っこい機械——何もかもが初めてで、目が足りなかった。
長い橋を渡ると、さらに賑やかな街並みが広がった。
公都・剣閣の内城だ。
車窓の向こうに、尖塔状の巨大な建造物群が見えた。
「あれは何ですか?」
エドの問いに、アナスが前を向いたまま答える。
「学院よ。アクリスタ地区六大名門校の一つ」
その声には、かすかな懐かしさが混じっていた。
「本物の……学院……」
エドは唾を飲んだ。目に憧れが灯る。
「俺たちも、あそこに?」
「近いわね」
アナスが軽く首を傾げた。
「どうして分かったの?」
エドはへへっと笑って、後ろの座席を指差した。
「後ろの箱、署名が書いてありました。何とか侯爵のお嬢様宛て、って」
アナスが少し驚いた顔をした。
「いつの間に字が読めるようになったの?」
「いくつかだけです。まだ全然ですけど」
アナスの凛とした顔に、かすかな笑みが浮かんだ。
「侯爵家のお嬢様に会うって分かっていて——その顔?」
「え?」
バックミラーに映った自分を見て、エドは固まった。
眉は上がりっぱなし、口は半開き。慌てて咳払いをして、姿勢を正した。
◇
閑静な通りに、浮遊車が降りた。
緑の木々に囲まれた、簡素な造りの建物。華美な装飾も尖塔もない。大きな全面ガラスと、幾何学的なライン。
(侯爵のお嬢様が、こんなところに……?)
アナスが呼び鈴を押す。
間もなく——通話機から、元気な声が弾けた。
『え……アナス先輩!? なんで来たんですか!!』
「エレナお嬢様。大公爵閣下よりお届け物を預かって参りました」
『セリーヌ様!?』
カチャン。錠が外れた。
エドは背筋を伸ばした。胸の奥で、小さな緊張が膨らむ。
(侯爵のお嬢様か……どんな人だろう)
扉が開いた。
「お久しぶりです、アナス先輩」
背の高い少女が、笑顔で迎え出た。淡い金色の髪が肩に流れ、海のような青いワンピースが揺れている。
エドがその顔を認識した瞬間——全身の血が凍った。
(なんで——ここに——!!)
あの淡く澄んだ青い瞳。あの、見上げても終わらない身長。
間違いない。昨夜、廊下で「ネズミ」と言い放った少女だ。
エドの顔から、一瞬で色が消えた。
◇
室内は無駄がなく、洗練されていた。
白を基調としたソファへ案内され、エレナが紅茶を並べる。その声音は穏やかで、昨夜の冷たさがまるで嘘のようだった。
エドは視線を落としたまま、包みを両手で抱え、アナスの背後に控えている。
「ひどいですよ、先輩。公都に来てから誰も顔を見せてくれないんですから」
エレナが少し頬を膨らませた。
「暇人みたいに言うのはやめなさい、お嬢様」
アナスが優雅にカップを手に取り、軽くエドに視線を送った。
エドは一歩前へ出る。包みを持つ手が、ほんの少し震えていた。
エレナは立ち上がり、姿勢を正して受け取った。
「そんなに固くならなくてもいいのに」
くすり、と笑う。
(……同じ人、なのか?)
エドは慌てて視線を落とし、元の位置へ戻った。
「……セリーヌ様、から?」
エレナの問いに、アナスが頷く。
「ええ。開けてみなさい」
エレナの指先が、ゆっくりと包みを解いた。箱の蓋に手をかけ——そっと、開ける。
息を呑む音。
一振りの剣。そして封のされた手紙。華美ではないが、置かれているだけで場の空気を引き締める存在感があった。
エレナは手紙を読み、指先がわずかに強く紙を押さえた。やがて折りたたみ、箱に戻す。
「……お気持ちは、ありがたく受け取ります」
声は静かで、整っている。
「ですが——これは、受け取れません」
アナスは黙って見つめていた。
「この剣が、どんなものか……分かってしまいましたから。私が持っていいものではありません」
アナスはゆっくりとカップを置いた。立ち上がり、エレナの前へ歩み寄る。箱を取り上げ、差し出した。
「これは"あなたの評価"じゃない」
視線がまっすぐに刺さる。
「"我が主の判断"よ。——それを否定するつもり?」
エレナの瞳が揺れた。唇を噛みしめる。
「あなたが自分をどう思おうと構わない。でもね——セリーヌ様が"与えた"という事実だけは、軽く扱うべきじゃないわ」
沈黙。長くはない。だが、十分だった。
エレナはゆっくりと顔を上げた。深く息を吸い、姿勢を正す。
「……分かりました」
両手で箱を受け取り、しっかりと抱えた。
「この剣——お預かりします。ですが、もし私がセリーヌ様の期待に応えられなかったときは——必ず、この手で返しに参ります」
視線がまっすぐになった。
「そして応えられたなら——その時に初めて、自分のものとして扱わせていただきます」
言い切った。室内に静かな余韻が残る。
アナスは一瞬だけ目を見開き、すぐに柔らかく笑った。
「……いい顔をするようになったじゃない」
エドはその場に立ったまま、エレナの横顔を見ていた。
(この人も……こんなに気骨のある人だったんだな)
その目に、静かな敬意が宿っていた。




