第8話 宴の華
シルウィード城——大広間。
シャンデリアの光が、磨き上げられた床に映り込んでいる。グラスの音、弦楽、型にはまった宮廷舞踏。華やかだが——どこか息苦しい空気が、広間全体を満たしていた。
その中心にいるのは、セリーヌだった。次々と訪れる貴族に、一人ずつ柔らかな微笑みで応じている。その所作はどれも自然で、まるで舞踏の延長のように流れていく。
その光景を——少し離れた場所から、ひとりの少女が見つめていた。
背の高い金髪の少女。その瞳には、はっきりとした憧れが浮かんでいる。
(やっぱり……すごい)
そのとき。ぽん。大きく温かな手が肩に置かれた。
「——っ」
少女は驚いて振り返る。だが次の瞬間、警戒はすぐに消え、ぱっと表情が明るくなった。
「パパ!」
勢いよく抱きつく。
「おっと」
高身長の男が少しよろめき、苦笑しながら娘の背中を軽く叩いた。
「こらこら、エレナ。ここは公の場だぞ」
「そんなの関係ないもん」
頬をぷくっと膨らませる。
「パパもママもひどいんだから。何年も顔見せに来ないし……私の入学式だって来なかった!」
男は大げさに目を見開き、酒をぐいっと飲み干した。
「おいおい、言いがかりだぞ。こっちが『家に残ってほしい』って言ったのに、『私は月怜お姉様のもとで学びます!』って颯爽と出ていったのは誰だったかな」
わざとらしく肩を震わせる。
「それが今では、親が冷たいだなんて……父は悲しいぞ……」
「ご、ごめんなさい! そんなつもりじゃなかったの!」
エレナが慌てて背中をさする。男はこっそり笑った。
「まぁいい」
軽く娘の頭を撫で、それから少し離れてしげしげと眺めた。
「しかし……もうすぐ俺を越しそうだな」
「そう?」
「お前の母さんなんて、もう見上げて話すんじゃないか?」
その言葉に、エレナの視線が自然と動いた。大広間の向こう。緑色のドレスを身に纏ったサンドラが、貴族たちと談笑している。堂々とした佇まい。優雅な振る舞い。
エレナの胸が、少しだけ締めつけられた。
「いつか私も——セリーヌ様の隣に立てるような人になりたい」
小さな声だった。だが、確かな決意があった。
男は優しく背中を叩いた。
「焦るな。お前にはまだまだ学ぶことが山ほどある」
「……うん」
◇
最後の貴族を見送ったあと、セリーヌは小さく息を吐いた。
アナスが二つ目のグラスを差し出す。
「お疲れ様です」
「ありがとう」
グラスを受け取り、軽く触れ合わせる。チン——涼やかな音。一口飲んで、苦笑した。
「本当はね。今夜は皆と一緒に思い切り飲みたかったのよ。なのに結局、一晩中つまらない挨拶を……」
サンドラが扇子で口元を隠しながら笑う。
「仕方ありませんわ。連邦の貴族たちは、あなたに倒れてもらっては困るんですもの」
ふと、人混みの中に目立つ二つの影が見えた。
「あれ……エレナ?」
セリーヌは驚いたように目を見開いた。記憶が蘇る。
出征前。城門の外で、ひとりの少女が必死に訴えていた。
『私も連れて行ってください!』
あの時、セリーヌは微笑んでこう答えた。
『月怜のもとでしっかり学びなさい。そのあとで——一緒に来なさい』
思考が現在に戻る。セリーヌは感慨深そうに笑った。
「こんなに大きくなったのね……」
サンドラも静かに頷く。だが、その表情にほんのわずかな陰が差した。
セリーヌはそれを見逃さない。そっと肩に手を置いた。
「……ごめんなさい。ここ数年、本当に大変だったでしょう」
サンドラは首を振った。
「それより——いつになったら私、休暇もらえるんでしょうか?」
「近いうちに、少し長めにあげるわ」
「三年分じゃないの?」
「欲張りすぎ」
くすっと、笑いがこぼれた。
セリーヌの表情が少し緩んだ。それから、グラスの酒を眺めながら言う。
「——実はね。陛下が、アクリスタ地区に十年間の免税措置を与えてくださったの」
サンドラの目が見開かれた。
「……え? それ、本当?」
「ええ。連邦から正式な書類が届いたら、少し長めに休みを取っていいわ。その間に、ゆっくり考えて」
サンドラは何度か深呼吸をした。言葉がうまく出ない。
セリーヌは穏やかに笑った。
(十年の免税——アクリスタにとっては、百年に一度の好機ね)
スカロディアの玉座の前で告げられた言葉が蘇る。まだ正式な公文は届いていない。だが、あの方の言葉に二言はない。
ふと——別のことが頭をよぎった。
「そういえば。今日、宮殿にモネイアラとソルメロスの姿がなかった。二人がいないなんて珍しいわね。——何か聞いてる?」
サンドラの表情が、すっと変わった。
扇子を閉じる。周囲にさりげなく視線を巡らせ——セリーヌの腕に、軽く触れた。
「少し、場所を変えましょう」
◇
テラスの奥。大広間の喧騒が遠くなり、夜風だけが二人の間を通り抜けていた。
サンドラが確かめるように周囲を見回し、セリーヌの耳元に顔を寄せた。
「連邦内部に、スパイがいるかもしれません」
セリーヌの手が、わずかに止まった。グラスの中で、酒が揺れる。
「一部の機密情報が、大陸側に流れた形跡があるの。ソルメロス様が追跡に出られて、モネイアラ様がその支援に回っている——と、そこまでしか」
セリーヌは黙って聞いていた。
「それと——」
サンドラの声が、さらに低くなった。
「今回のグランディ帝国の侵攻。他の公国まで巻き込んで連合を組んできたのは、初めてのことよ。これも、その情報漏洩と関連があるかもしれない」
沈黙が落ちた。
セリーヌはゆっくりとグラスを傾けた。黄金色の液体が唇に触れ、喉を通っていく。
口の中に、ほんのわずかな苦味が残った。
(スパイ——情報漏洩——グランディの連合侵攻)
脳裏に、一つの顔が浮かんだ。審問台の上で、泣きながら民に問いかけていた少年。
(あの子と——関連が、あるのかしら)
グラスを下ろす。夜空を見上げた。
「……二人が戻ったら、直接聞くわ」
それだけ言って、テラスの縁に手をかけた。
眼下には、灯りに照らされた公都の夜景。賑やかで、穏やかで、何も知らない街の光。
セリーヌの目が、静かに細くなった。




