第4話 凱旋の街
「「「護国大公閣下!! ご帰還を歓迎いたします!!!」」」
声が爆発した。雷鳴のような歓声が空へ突き抜け、雲が散る。
エドは膝から崩れかけた。呼吸がうまくできない。視界が白く滲む。
(……だめだ——立って、いられ——)
その時。頭の奥に、声が響いた。
『落ち着け』
一瞬だった。全身を押し潰していた重圧が、霧のように消える。
エドはハッと顔を上げた。
セリーヌが前に立っていた。フィリスと並び、十一人の将と言葉を交わしている。まるで旧友と再会したかのように、自然に。
ふと——振り返った。
ほんの一瞬。エドの方を見て、小さく笑う。
それだけだった。
エドは深く息を吐いた。拳を握る。汗で濡れた手を、何度もこすった。
「……ありがとう」
◇
公都・剣閣——アクリスタ地区の首府。その城門をくぐった瞬間、世界が変わった。
陰鬱な古城も、骸骨の山もない。
そこに広がっていたのは——巨大な断崖都市だった。
雲に届くほどの崖の壁面に、無数の建造物が張り付いている。要塞、塔、砲台。そしてそれらを繋ぐ、透明な回廊——光でできた橋のような通路が、空中を何層にも渡っていた。
視線を下げると、はるか下方に街が広がっている。通りには人の波。数え切れないほどの住民たちが、こちらを見上げていた。
そして——歓声。
「おおおおおお!!」
地鳴りのような声が、崖の都市全体を揺らした。
サキュバス、獣人、エルフ——さらには人間まで。種族の別なく、皆が旗を振り上げている。空からは花びらと色とりどりの紙吹雪が嵐のように舞い落ち、凱旋する軍勢を包み込んでいく。
「……嘘だろ」
エドは呆然と呟いた。
エドが知っている凱旋は、こんなものじゃなかった。扉が閉まる。窓に板が打たれる。人々は道端に跪き、決して顔を上げない。兵士の機嫌を損ねれば、それだけで命を落とすからだ。
——それが、普通だった。
だが、この街は違う。子供たちは父親の肩の上で歓声を上げ、少女たちは笑いながら花を投げている。
「セリーヌ様ー!!」
「お帰りなさい!!」
その中心で、白い天馬に跨るセリーヌが軽く手を振った。それだけで、歓声がさらに膨れ上がる。
「夢……みたいだな」
エドは、思わず呟いていた。
その時。セリーヌが前を向いたまま、声を張った。
「皆、ただいま! 温かい出迎え、感謝する!」
声は不思議とよく通り、谷底の街まではっきり届いた。
「今夜——シルウィード城にて、凱旋祝賀会を開く」
一瞬の静寂。
「おおおおおおお!!」
「宴だーー!!」
「酒だーーー!!」
崖の都市全体が揺れた。
◇
歓声に包まれながら、軍勢はゆっくりと都市を登っていく。
崖の街は想像以上に広い。通りは何層にも重なり、坂道と橋が複雑に交差していた。登るにつれて歓声が遠くなり、代わりに鎧の擦れる音が増えていく。
公都の最奥——断崖の北西、最も高い場所に、白い城塞がそびえていた。
「……あれが」
シルウィード城。
城門が目の前に現れた。高い白石の壁。まっすぐに伸びる赤い絨毯。左右に整列した執事と侍女たち。誰一人として姿勢を崩していない。
さっきまでの歓声の街とは、空気が違う。エドは思わず背筋を伸ばした。
その列の先頭から、一人の女性が歩み出る。
燃えるような赤い髪。艶やかな長髪が背中に流れ、一歩一歩が舞うように優雅だった。
セリーヌの前まで来ると、静かに一礼する。
「お帰りなさいませ、我が主」
澄んだ声だった。
セリーヌは天馬からひらりと降り、軽く笑った。
「ただいま、アナス」
短い言葉。だが——それだけで、二人の間に流れる時間の厚みが見えた。
「祝賀会の準備は、すでに整っております。ただ——」
アナスの視線が、長い軍列と、その先に並ぶ十一人の将たちを一通り確認した。わずかに目を細める。
「……酒の量を、少々見誤っていたようですね」
「地下のとっておきも出しておいて」
セリーヌの声が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
「これだけ全員が揃うのは、久しぶりだから」
アナスは静かに頷いた。
「かしこまりました」
そう言うと、自然な手つきで天馬の手綱を取った。まるで当たり前のように。
そのとき。
「——ああ、そうだ」
セリーヌがふと思い出したように、一歩近づく。
アナスの耳元で、何かを囁いた。
アナスの視線が、一瞬だけ横へ流れる。
その先には——城の巨大さに圧倒されて、きょろきょろと辺りを見回しているエドの姿。
ほんのわずか。アナスの瞳に、興味の光がよぎった。
だがすぐに消える。いつもの落ち着きに戻り、静かに頭を下げた。
「……承知いたしました」




