第1話 声の在処
「……エドくん」
遠くで、誰かが呼んでいる。
肩が、びくりと震えた。
はっとして顔を上げる。声の主を探そうとして——視界が白く滲んだ。
反射的に、右手が目元へ伸びる。
「待って!」
鋭い声が、空気を裂いた。
手が止まる。
「触らないで。まだ弱いの」
今度の声は落ち着いている。だが、逆らえない響きがあった。
「長く眠っていたのよ。……特に目は、ね」
セリーヌの声だ。
エドは、息を詰めたまま固まる。
やがて、宙に浮いた手が力を失い、ゆっくりと落ちた。
(……眠ってた?)
(俺が?)
思考が、追いつかない。
「——『光の祝福』」
ルーシーが両手を合わせ、祈るように目を閉じた。
淡い光が、エドの身体を包み込む。
あたたかい。
じんわりと、奥まで沁みてくる。
(……この感じ)
暗闇の中で、何度も触れたぬくもりに似ている。
張りつめていた神経が、ほどけていく。
「……まったく、世話の焼ける子ね」
光が消えたあと、スレイアが肩をすくめた。
「どう? 少しは落ち着いた?」
「……うん」
小さく頷く。
ゆっくりと、まぶたを開いた。
焦点が合う。
そして——。
「……む?」
目の前に、三つの顔。近い。
「うわっ!?」
反射的に身を引く。頬が一気に熱くなる。
三人が、きょとんとする。
エドは視線を泳がせ、頭をかいた。
ベッドから降りる。ぎこちなく背筋を伸ばした。
「その……あの……」
深く、頭を下げる。
「……ありがとうございました!」
部屋が、ほんの一瞬だけ静まる。
次の瞬間——誰かが、吹き出した。
それをきっかけに、笑いが広がる。
「ふふ……っ」
「真面目すぎでしょ、あんた」
「ははは……!」
(——あ)
胸の奥で、何かが温かくなった。
この笑い声を、知っている。
眠っている間、ずっと遠くに聞こえていた。言い合う声。笑う声。誰かが側にいる気配。
(……夢じゃ、なかったのか)
口元が、自然とゆるんだ。
「そんなに固くならなくていいのよ」
セリーヌが一歩近づく。その瞳に、わずかな愉しげな光。
「今の素直なあなたも悪くないけれど……」
口元が、わずかに歪む。
「グランディ帝国の尋問台で吠えていた頃のほうが、私は好きだったわ」
「……え?」
ぞわり、と背筋が粟立った。
脳裏に、嫌な記憶が蘇る。
◆
『おーい!』
『魔族のおばさーん!』
『まだ続けるのかよ!? こっちは足が痺れてんだぞ!』
◆
ぶわっ、と血が上る。
「す、すみませんでしたぁぁぁっ!!」
勢いよく頭を下げる。ほとんど悲鳴だ。
しばらくして、はっとする。
(……グランディ帝国?)
顔を上げ、部屋を見回した。
簡素な室内。だが、窓から柔らかい光が差し込んでいる。軍営とは、まるで違う。
「……ここ、どこですか?」
セリーヌが、静かに答える。
「アルタナス連邦。あなたたちが"魔界"と呼ぶ国よ」
「……魔界」
言葉が、喉の奥で引っかかる。
「そして、ここは魔王城」
「ま、魔王城!?」
思わず声が裏返る。
スレイアがにやりと笑う。
「人間の本に出てくる、あの恐ろしい城と同じに見える?」
からかうような声音。
ルーシーが、不安そうにエドを見つめる。
「……怖い、ですか?」
エドは、少し考えた。
胸の奥を探る。
「……正直、まだよくわかりません」
視線を落とす。
「夢なのか、現実なのかも……」
顔を上げる。
「でも——眠ってる間、ずっと……誰かがそばにいてくれた気がしたんです」
胸に手を当てる。
「声とか、笑い声とか。さっきの……皆さんの笑い声と、同じだった」
小さく、笑った。
「だから……ありがとうございます」
もう一度、頭を下げる。
そっと、手が包まれた。
ルーシーだ。
温かい手。
「もう大丈夫。陛下が、あなたを連れ戻してくださったんです」
「そうそう!」
スレイアが身振りを交えて言う。
「私たちでも手が出なかった力を、陛下は軽く払っただけ。額に触れたら、あんた起きたんだから」
誇らしげに笑う。
「ちゃんと感謝しなさいよ?」
そう言って振り向く。
——だが。
「……あれ?」
そこに立っていたはずの姿が、ない。
ルーシーも目を瞬く。
「さっきまで……」
セリーヌは、空いた空間を見つめた。
やがて、穏やかに微笑む。




