第49話 功罪
元老たちの法杖が、黒曜石の床を打った。
ゴォン——。
一斉に胸に手を当て、頭を垂れる。
言葉はない。だが、その沈黙が最上の礼だった。
セリーヌとスレイアは玉座の前で片膝をつき、拳を胸に当てた。
「——ただいま戻りました。陛下」
スカロディアは玉座から静かに立ち上がった。
二人を見下ろす威厳の面に、氷が溶けるように、微笑みが浮かんだ。
「おかえりなさい——セリーヌ、スレイア」
声に、隠しきれない温かさが滲んでいた。
「面を上げなさい。ここでは、堅苦しい礼は不要よ」
セリーヌが顔を上げた。
視線が自然と左右を巡る。
元老たちの列。見慣れた顔が並んでいる。
だが——二つの席が空いていた。
「……モネイアラ閣下と、ソルメロス閣下は」
スカロディアの微笑がわずかに翳った。
「別件で動いてもらっている。——詳細は、追って伝えるわ」
軽い声音だが、それ以上の追及を許さない響きがあった。
セリーヌは口を閉じた。
「さて」
スカロディアが着座し、ターゲルの手から巻物を受け取った。
「此度の遠征について、元老院と審議を重ねた結果を伝えます」
巻物を開く。
「——宣告の前に。セリーヌ、あなた自身の言葉を聞かせて」
セリーヌは深く頭を下げた。
「過分なお言葉です、陛下。『エド・ウォーカー』の件は、臣の不手際に他なりません」
声に、隠せない悔恨が滲む。
「大局を見通せず、あわや取り返しのつかない事態を招くところでした」
「……監督の責を果たせませんでした。弁明はございません」
スカロディアが小さく息を吐き、巻物を閉じた。
「けれどセリーヌ。アルタナス連邦の法に基づき——功罪は相殺できない。これは元老院が守り続けてきた法理であり、私もまた従うべき原則です」
巻物を再び開いた。声が、大殿に響く。
「まず——過。セリーヌ・シルウィード。遠征中、不安定因子たる『エド・ウォーカー』に対する監督を怠り、都市全域への毒害を招いた。結果として取り返しのつかない被害は免れたものの、連邦軍法における民間保護条項に対する重大な違反と認定する」
一拍。大殿が静まり返った。
「——よって、アルタナス連邦、最高軍団統帥の任を、即刻解く」
空気が凍った。
元老の一人が息を呑み、隣の者が目を見開いた。
沈黙が割れた。元老たちの間に、抑えた声が走る。
大柄な魔神の一人が一歩踏み出した。
「陛下……その裁定は、重きに過ぎましょう」
スカロディアの手が上がった。
騒めきが、糸を切ったように止まる。
彼女の視線は、一言も弁解せず頭を垂れたままのセリーヌに向いていた。
その瞳の奥に、かすかな光が灯る。
「これは、指導者が負うべき責任です。——けれど」
声が、柔らかさを取り戻した。
「罰は罰として下す。功は功として報いる。これもまた、元老院と私の総意」
巻物に目を落とす。
スカロディアの声が、大殿を静かに満たした。
「セリーヌ・シルウィード。兵を率いて大規模な犠牲を回避し、グランディ帝国の旧王権を平和裏に帰順せしめ、わが国に有益な通商盟約を締結した。元老院は全会一致で、これを顕著なる功勲と認定する」
「——よって、アクリスタ地区の統治は大公爵として引き続き委ねる。加えて、同地区の国税上納を今後十年間免除する」
「スレイア・フォン・クラウエル。攻城戦の後方支援から民間人の救護に至るまで、申し分のない働きを見せた。特にルカドナでの判断は、帰順に不可欠な貢献と評価する。サルタリス地区の国税上納を三年間免除」
「両軍の有功将校は一階級昇進。参戦した全将兵に、星辰金と金貨を授与する」
元老たちの間に、抑えきれないざわめきが広がった。
十年の免税。前例のない厚遇だった。
スレイアの眉が二度跳ねた。
「身に余る光栄です、陛下!」
スカロディアが右手を上げた。
ざわめきが止まる。
「——セリーヌの処遇については、以上です」
静寂が、落ちた。
だが——その静寂の質が、変わった。
スカロディアの笑みが消えていた。
玉座に深く腰を据えたまま、蒼穹の瞳がセリーヌを射抜く。
「……ここからは、公務ではなく」
声が、一段低くなった。
「あなたたちがアルタナスの空域に入った時——私は、感じたの」
セリーヌが顔を上げた。
「……陛下?」
スカロディアの目が細められた。
「見慣れない気配。あなたたちが纏っている、異質な……残滓のようなもの」
一拍の間。
「二人とも——怪我をしているわね」
セリーヌとスレイアが同時に身を強張らせた。
スカロディアが玉座の肘掛けに指を置いた。
静かな動作。だが、周囲の空気が重くなる。
「誰にやられたの」
大殿の空気が、凍りついた。
元老たちが口を閉ざす。ターゲルの星環が、微かに震えた。
セリーヌは口を開こうとした。
だが——言葉が、出てこなかった。
スカロディアの瞳が、静かに光を帯びた。
金色の、硝子のような光。
「答えなさい、セリーヌ」
蒼穹の大殿に、女王の声だけが響いていた。




