第48話 帰還
アストリオンが、雲を割った。
眼下に広がるのは、無数の浮遊島だった。
蒼い大気の中を、大小さまざまな岩塊が緩やかに漂っている。その上に街並みが築かれ、島と島の間を光の橋が結んでいた。
そして、その中心に——。
黒曜石を削り出したような巨大な城塞が聳えている。
尖塔の頂きに、蒼い星環がゆっくりと回転していた。
「管制空域に入ります。位相転移、準備開始」
水晶知性体の声が静かに響いた。
アストリオンの外環が分離し、幾何学的な紋様を描きながら再構成されていく。
紫の光が膨らみ——弾けた。
◇
城外広場。
転送光が消えた瞬間、数千の兵が整然と姿を現した。
妖狼族の重装歩兵。蒼月魔導団の術士たち。
遠征の疲労を纏いながらも、隊列は崩れていない。
スレイアが深く息を吸い込んだ。
「やっぱりね……この魔力の濃さ。身体が楽だわ」
肩を回し、首を鳴らす。
セリーヌは城塞を見上げたまま、何も言わなかった。
その時。
ルーシーの背筋を、冷たいものが走った。
(何か——見ている)
理由は分からない。ただ、身体が先に反応していた。
無意識に、顔を伏せた。
頭上の虚空に、星が滲んだ。
光の粒子が渦を描き、凝縮し——人の形を成していく。
透き通った輪郭。星屑を纏った、女の幻影。
足元に影はなく、吐息もない。
ただ、そこに「在る」という圧だけが、広場を満たした。
周囲の兵士たちが息を呑む。
妖狼族の古参が、音もなく膝を折った。それに倣い、波紋のように兵士たちが片膝をついていく。
『遠征、ご苦労様でした』
声は静かで、柔らかい。だが、広場の隅々にまで届いた。
セリーヌとスレイアが、同時に一歩前へ出た。
「お迎えいただくとは、光栄です」
二人が拳を胸に当てる。
「「幻霊殿」」
幻霊——ターゲルの星環が、わずかに揺れた。
『お久しぶりです、セリ——』
一拍の間。
『——セリーヌ卿、スレイア卿』
それだけで、周囲の空気がさらに引き締まる。
『陛下がお待ちです。どうぞ——』
セリーヌはフィリスに目配せした。
フィリスが頷き、隊列の指揮を引き継ぐ。
ケインも無言で顎を引いた。
ルーシーはエドを背負ったまま、立ち尽くしていた。
セリーヌの背中が遠ざかっていく。
言葉はかけられなかった。
ただ、背中の温もりを確かめるように、紐をもう一度、締め直した。
ターゲルの指先が宙を滑った。
セリーヌとスレイアの足元に星の紋様が浮かび、二人の身体が光の粒子に溶けていく。
——次の瞬間。
視界が開けた。
高い。
天蓋が遠い。蒼黒の穹頂に星環が廻っている。
足元には深紅の絨毯が一筋、奥へと伸びていた。
両脇に、元老院の重鎮たちが居並んでいる。
誰もが沈黙し、二人を見つめていた。
その視線の奥——玉座。
スカロディアが、そこにいた。
淡い水色の長髪が、玉座の肘掛けに流れている。
純白の礼装。神聖さと冷徹さを同時に湛えた美貌。
瞳が、静かにセリーヌを捉えた。
玉座の傍らには、すでにターゲルが佇んでいる。
反対側にも影が一つ。だが、セリーヌの意識はそこに向かなかった。
「帰還を歓迎します——二位」
スカロディアの声は、空気を揺らさなかった。
柔らかく、だが一切の反論を許さない音色。
セリーヌが膝を折り、拳を胸に当てた。
「——ただいま、戻りました」
スレイアは半歩遅れて同じ姿勢を取った。
だが膝をつく直前、右手がわずかに衣の裾を引いた。
戒律の杖の傷が、まだ疼いている。
元老たちの視線が、二人の上に重く降りていた。
歓迎か。審判か。
その境目は、まだ見えなかった。
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