第37話 忘れていた地獄
傷口が——違う。
死に方も、記憶と合わない。
あまりにも不自然だった。
その光景を見た瞬間、エドの脳裏で何かが軋んだ。
キィン、と耳鳴りのような音が広がる。
「……っ、あ……」
思わず頭を抱えた。汗が滲む。
(思い出せない……)
(あの日……何が起きた……?)
「気をつけろ! エド!」
ミューザの怒鳴り声が割り込んだ。
「呆けるな! こいつらは死なねぇぞ!!」
(死なない……?)
バキ、グシャ、バキキ……。
足元の死体が動き始めた。
四肢がありえない方向に折れ曲がり、骨が軋む。潰れた肉が膨らみ、裂けた首が元の位置に戻っていく。壊れた人形が糸で吊り上げられるように、一体、また一体と起き上がった。
「助けて……」
「熱い……痛いよぉ……」
口からは悲鳴。だが、顔は笑っている。さっきの仮面よりもっと醜い、歪み切った笑み。
そして今度は——手に武器を持っていた。鉈、草叉、鎌。村の道具だ。
「死なねぇぞ、こいつら!」
ミューザが叫ぶ。
エドは長剣を構え直した。
来る。
背後から草叉が突き出された。心臓を狙っている。
身体が勝手に動いた。後方に跳び、柄を踏みつけ、その反動で身を翻す。長剣が弧を描いた。
首が飛ぶ。
——その顔を見た瞬間、脳裏が白く弾けた。
メイおばさん。
記憶の中の彼女は、娘を抱きしめて地面に跪いていた。
帝国兵の前で、額を擦りつけて懇願していた。
兵士は笑っていた。長槍が、ゆっくりと彼女の喉元に押し当てられ——。
「ぐ……っ」
頭が割れるように痛い。
だが止まれない。背後から鉈が振り下ろされる。
反転。刺突。胸を貫いた。
マークおじさん。
記憶の中の彼は、素手で兵士に掴みかかろうとしていた。
身体が動かない。毒で麻痺した腕では、拳すら握れない。
それでも歯を食いしばって立ち上がり——四方から突き出された槍に、串刺しにされた。
最期まで、倒れなかった。膝をつくことすら、許されなかった。
「あ……ぁ……っ」
エドの目から涙が零れた。
斬るたびに、顔が浮かぶ。声が蘇る。止まらない。
鍛冶屋のジョット——炎に呑まれていた。
パン屋の娘——逃げる背中を矢が貫いた。
忘れたふりをしていた。でも剣が覚えていた——振るうたびに、あの日が戻ってくる。
バチッ。
身体に、赤黒い電弧が走った。
涙が止まった。瞳から揺らぎが消え、赤黒い目に冷たい光だけが残る。
剣の動きが変わった。
迷いがない。音がない。銀光が閃くたびに、影が一つ減る。
「エド……!」
背後で押し殺した呻き声。
振り返ると、数体がミューザに群がり、刃を振り上げている。
一瞬で間合いに踏み込み、最前の一体の腕を斬り落とす。握っていた刃が宙に浮いた。
それを空中で掴み取り、返す刃で次の一体を薙ぎ払う。
さらに半歩踏み込み、手にした武器を投げ放った。
銀の線が闇を裂き、後方の敵の頭を貫いて樹に縫い止める。
ミューザが樹から長剣を引き抜く。二人で背中合わせに、最後の数体を片付けた。
「……倒しても復活する。ここにいたら終わりだ」
ミューザが肩で息をしている。
エドは頷き、師匠の腕を肩に回した。
走る。
闇の中を、ひたすら走る。
霧が濃くなる。方向が分からない。木の根に足を取られ、ミューザの体重で二人とも転びかけた。
追っ手を振り切ったと思った瞬間——前方に、松明の列が現れた。
「あそこだ……あそこにいるぞ!」
「逃がさないよぉ……ヒヒヒ」
「くそっ!」
方向を変える。走る。枝が頬を裂く。
また松明。また笑い声。同じ方向から、同じ声が。
三度目。四度目。
エドの足が止まった。
同じ木。同じ石。同じ苔の形。
(……回っている)
そして——松明の数。
エドは目を細め、それを数えた。
三十。四十。五十——まだ増えている。
口元が、歪んだ。
「……うちの村、こんなに人いたかよ」
冷笑。
ミューザが怪訝な顔を向ける。
エドは目を閉じた。
「掴まってろ、師匠。手ぇ離すなよ」
「おい、何を——」
「見なけりゃいい。見なけりゃ、こいつらはいない」
目を閉じたまま、走り出した。
一歩。
冷たい空気が肌を刺す。笑い声が四方から押し寄せてくる。
二歩。
足音が迫る。息がかかるほど近い。指先が服を掠めた気がした。
三歩。
笑い声が悲鳴に変わった。掴もうとする手が、溶けるように消えていく。
四歩——。
全部、消えた。
音が止まった。冷気が退いた。足元の地面の感触が変わった。
エドはゆっくりと目を開けた。
光があった。
暗闇ではない。霧でもない。
白い、柔らかな光が——目の前に広がっていた。
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