第32話 歌声の行方
森の夜は深い。
焚き火を囲む兵たちの声。
ケインの部下が運んできた大型魔獣を、魔導団の面々が手際よく捌いている。
肉の焼ける匂いが、夜風に乗って流れていく。
丘の上。
セリーヌは腰の剣を抜き、蒼い魔力を注いで地面に突き立てた。
光が波紋のように広がり、森を覆っていく。
掌を切り、血を刃に落とす。剣が低く唸った。
結界の縁で足を止めかけた大型の獣が、弾かれたように踵を返す。
「……これで問題ないか」
「お疲れさま、総帥閣下——あ、ごめん。『元』総帥だったわね」
スレイアが焼き肉を片手に登ってきた。
セリーヌが冷たく鼻を鳴らす。
「消遣いに来たのか」
「からかう? 怒りに来たのよ」
スレイアの視線が、セリーヌの胸元に落ちた。
かつて総帥の証があった場所。今は何もない。
「……馬鹿じゃないの」
焼き肉を押しつける。
セリーヌは黙って受け取った。
しばらく、火の爆ぜる音だけが続いた。
「……あの子は?」
セリーヌが話題を変えた。
「まだ眠ってる」
スレイアは肩をすくめ、少し間を置いた。
「ねぇ。あの子、おかしくない?」
「おかしい、とは」
「心の傷で目が覚めない、ってのは分かるのよ。でもさ」
スレイアが指を一本立てた。
「牢の中で妖狼族の兵士に押さえつけられた時、その兵士を吹っ飛ばしたって聞いた。人間の子供が、妖狼族をよ?」
セリーヌの手が、焼き肉を持ったまま止まった。
「……ルーシーの報告か」
「身体は普通の人間。魔力の反応もない。なのにあの力。何かが、噛み合わないのよ」
夜風が、二人の間を吹き抜けた。
セリーヌは答えなかった。ただ、東の空を見つめていた。
「……アルタナスに着けば、何か分かるかもしれない」
「……だといいけど」
医療天幕。
灯りは落とされ、月明かりだけが布越しに差し込んでいる。
ルーシーはエドの傍に座り、静かに歌っていた。
言葉のない旋律。ゆるやかで、温かい。
誰に向けた歌なのかは、彼女自身にも分からなかった。
エドの寝顔に、変化はない。
ただ穏やかに、息をしているだけ。
◇
湯気。
木の桶。
ぱしゃ、と水音が響く。
「——やっ!」
背中に触れた手の感触に、エドは飛び上がった。
振り返ると、淡い紫の髪が湯気の中で揺れている。
タリア。
薄い肌着一枚で、桶と手拭いを持って笑っていた。
「た、タリア姉さん。俺、自分で洗えるから」
「あら、どうしたの急に。昨日は自分から『洗って』って言ってきたくせに」
「昨日……?」
「何を言ってるの。ほら、前向いて」
背中を押され、渋々座り直す。
髪を濡らす指。石鹸の匂い。湯気越しに見える、姉さんの細い手首。
エドは耳まで赤くなって、天井を睨んだ。
夜。
布団の中、すぐ隣にタリアの寝息がある。
エドは目を開けたまま、天井の木目を数えていた。心臓がうるさい。
「……まだ起きてるの?」
「寝てる」
「嘘。心臓の音、太鼓みたいよ」
タリアの腕が伸び、エドの身体をそっと抱き寄せた。
尖った小さな耳が、視界の端に映る。
歌が聞こえた。言葉のない、ゆるやかな旋律。
安心する。身体の力が抜けていく。
(……この歌……)
タリアの胸元に顔を埋め、目を閉じた。
温かい。
(ずっと、こうしていたいな……)
意識が、ゆっくりと沈んでいく。
闇の中で、歌がまだ続いている。
(……同じ旋律だ。でも、少しだけ違う)
(もっと……優しい気がする)
意識が、その声に手を伸ばす。
『どこに行くの? エド』
――その瞬間。
キィィン、と耳を裂くような嗡鳴が走った。
優しかったはずの歌声が、 喉を引き裂かれたような痛ましい呻きへと歪む。
逃げなきゃ、と身体が命じる。
だが――
重い。
何かが、身体の上に乗っている。
(……重い)
海の底に沈むような圧。
意識を現実へと引きずり戻す。
目を開けた。
白い影が、自分の上に座っていた。
喉に、手がかかっている。
月明かりが、その輪郭を照らした。
淡い紫の髪。同じ寝巻き。
だが——顔がない。
目も、鼻も、口もない。
のっぺりとした白い面が、こちらを見下ろしている。
動けない。
押し返そうとしても、指一本動かない。
『離さないよ、エド』
口のない顔が、横一文字に裂けた。
手に、力がこもる。
息ができない。
視界が暗くなっていく。
(タリア……姉さん……)
(助け……て……)
意識が、途切れた。
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