第31話 夢の中の丘
草を踏む音が、ゆるやかに続いていた。
隊列の先頭で、セリーヌが空を見上げる。
雲は薄く、風は乾いている。
「ここで止まる」
短い一言で、行軍が止まった。
フィリスが上空から降り、二つのルートを報告する。
西に町。南に森。
セリーヌは疲れ切った兵たちを一瞥し、答えた。
「森を行く。町に入れば、これだけの魔族が人間を怯えさせる」
フィリスは頷き、再び空へ跳んだ。
空き地の中央に、銀色の機体——格蘭特が降ろされる。
背部のパックが開き、淡い光が溢れた。
ケインが端末を叩く。
光の線が地面を走り、骨組みが浮かび上がり、布が張られ、柱が立つ。
何もなかった空間に、数十秒で指揮所の形ができていた。
傍らでジャレドが口笛を吹く。
「何度見ても反則ですね、これ」
「壊れた時の修理代も反則だがな」
ケインは肩をすくめ、次の座標を打ち込んだ。
◇
医療天幕の中は、薬草の匂いが濃い。
「いっ……! ちょっと待って、そこ痛い!」
うつ伏せのスレイアが布を握りしめる。
「動かないでください」
シンシアが淡々と薬を塗り込む。
スレイアが暴れ、シンシアが押さえ、ルーシーが薬を差し出す。
スレイアは鼻をつまんで一気に飲み干した。
「ぐぇっ……!」
転がるスレイアを放って、シンシアは包帯を巻いた。
隣のベッドで、ルーシーがエドを寄りかからせている。
小さな薬椀を持ち、匙でゆっくりと口元に運ぶ。
こぼさないように。
スレイアが横目で見た。
「……なんであのガキだけ介護付きなのよ」
「食べられないと困りますから」
「私だって困ってるんですけど!」
天幕の入口が開く。セリーヌだった。
薬椀を手に取り、スレイアの前に座る。
「口を開けろ」
「開けない」
「開けろ」
数秒の攻防。
スレイアは観念した。
シンシアがため息をつき、ルーシーが小さく笑った。
天幕の中は賑やかだった。
やがて、一人減り、二人減り。
セリーヌが去り、スレイアが眠り、シンシアが片付けを終えて出ていく。
天幕に残ったのは、ルーシーとエドだけだった。
外から兵たちの声が遠く聞こえる。
格蘭特の駆動音。風に揺れる布の音。
ルーシーは匙を置いた。
エドの頬に、指先で触れる。
まだ温かい。胸は静かに上下している。それだけ。
「……ねぇ、エド」
返事はない。
「もう、起きてもいいんだよ」
沈黙。
「……私のせいで、起きたくないの?」
指先が、わずかに震えた。
外で誰かが笑っている。
その声は——少年には、届いていない。
◇
小さな丘の上。
草の匂い。青い空。風が心地いい。
エドは真っ直ぐな木剣を構え、腰を落としていた。
対面には、木剣を肩に担いだ男。
ボサボサの髪に無精髭。飄々とした笑みで、あくびを噛み殺している。
「来いよ、エド」
風が草を揺らす。
エドが踏み込んだ。
左、右——揺れるような足運びから一瞬で横へ。
薙ぎ払い。空を切る。
だが驚かない。
手首を返し、背後からの一撃を受け止めた。
「おっ? いつの間にこの手を見切った」
「舐めんなよ、おっさん」
弾き返し、踏み込む。無駄のない連撃。
男の口元が緩んだ。
「いい踏み込みだ。前より迷いがない。——ただ」
パンッ。
膝の横を打たれた。
「うっ——」
草の上に転がる。
「……ズルいぞおっさん。膝は痛ぇって」
「バーカ。攻め一辺倒のツケだ」
男は木剣を肩に戻し、鼻をほじった。
「『攻めが最大の守り』って、おっさんが言ったろ」
「ありゃな、相手の動きが全部見えて初めて成り立つ話だ。お前にゃまだ早い」
背を向け、丘を下りていく。
「チッ……また分かんねぇこと言って」
エドは木剣を拾い、広い背中を追いかけた。
こんなに穏やかな午後は、いつ以来だろう。
(久しぶりだな……ミューザのおっさんとこうやって打ち合うの)
(次こそ、一発入れてやる)
軽い足取りで、丘を駆け下りる。
だが——ふいに、足が重くなった。
胸の奥が、ちくりと痛む。
(久しぶり……?)
(なんで俺、そう思ったんだ——?)
丘の風が、静かに吹いていた。
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