プロローグ
暗い。
寒い。
コツ、コツ、コツ……。
靴音だけが、地下の闇に吸い込まれていく。
エドは無意識に喉を鳴らした。
手にした燭台の炎が、小さく揺れている。風はないのに。
(……なんでタリア姉さんの家に、こんな場所が)
降りるほどに、影が長くなる。
空気が変わった。湿り気が消え、代わりに肌を刺すような冷気が這い上がってくる。
やがて階段が途切れた。
足裏に伝わる、湿った土の感触。
吐く息が、白い。
燭台を掲げる。
闇が少しだけ退いた。
白かった。
壁も、床も、霜に覆われている。
そしてその奥に——長く低い「塊」が、整然と並んでいた。
氷だ。
棺のように、等間隔に据えられている。
エドは足を止めた。
止めたかった。
だが、指先が勝手に燭台を傾ける。
灯りが、氷の表面を舐めた。
「——ッ」
息が詰まった。
氷の中に、人がいる。
閉じた瞼。凍りついた表情。
見間違えるはずがない。
「メイおばさん……ハナ……」
隣の棺。その隣。
マークおじさん。鍛冶屋のジョット。パン屋の娘。
一人、また一人。
村の人々が、氷の中で眠っている。
心臓がうるさい。
手が震えて、燭台の炎が跳ねた。
(師匠は——姉さんは——)
エドは奥へ踏み込んだ。
足がもつれる。構わない。確かめなければ。
最奥。
燭台を突き出す。
「……あ」
タリアはいなかった。
ミューザ師匠もいなかった。
代わりに、そこにいたのは——
自分だった。
一体ではない。
何十体もの、エド・ウォーカー。
首のないもの。胸を貫かれたもの。四肢がねじれたもの。
様々な死に方をした「自分」が、氷の中で目を閉じている。
カラン。
燭台が手から落ちた。
膝が折れる。
冷たい地面が頬に触れた。
(じゃあ——今ここにいる俺は、何だ)
指が震えている。歯の根が噛み合わない。
床に落ちた燭台の炎が、最後の抵抗のように揺れている。
その時。
コツ……コツ……。
背後から、足音。
「どうして、こんなところに入ってきちゃったの?」
鈴を転がすような、優しい声。
エドは弾かれたように振り返った。
紫の長い髪。
質素な錬金術師のローブ。
見慣れた——大好きな笑顔。
タリア・ケリス。
だが。
その笑顔が、動かない。
唇の角度も、目元の皺も、一ミリも変わらない。
「病気の子はね」
歌うように、彼女は言った。
「ちゃんとベッドで眠っていないと、良い子じゃないわ」
一歩、近づいてくる。
「不真面目な『悪い子』には——お仕置きが必要ね?」
笑顔のまま。
瞳だけが、硝子玉のように——何も映していない。
エドの手が、腰に触れた。
隠し持っていた包丁の柄を、握る。
震えが、止まらない。
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