第30話 旅立ち
青い光が、ゆっくりと消えた。
セリーヌの額を、汗が伝う。
「……駄目ね」
小さく息を吐く。
天幕の中、簡易ベッドにエドが横たわっている。
呼吸は穏やか。
傷は塞がっている。
顔色も悪くない。
だが、目を開けない。
傍らで見守っていたルーシーが、唇を噛んだ。
「おかしいです。身体はもう回復してるのに……」
セリーヌは椅子にもたれ、目を閉じた。
「身体の問題じゃないのかもしれないわ」
「……どういうことですか」
「起きたくないのよ。たぶん、この子は」
ルーシーの視線が、エドの寝顔に落ちる。
「私の……せいで……」
セリーヌはルーシーの肩に手を置いた。
「自分を責めても仕方ないわ」
静かな声だった。
「嫌な記憶があるのよ。向き合いたくない何かが。だから、逃げてるだけ」
「……」
「一晩寝れば、明日には目を覚ますかもしれない」
ルーシーは黙って頷いた。
◇
だが、エドは目を覚まさなかった。
一日。
二日。
三日。
胸は上下し、熱もない。
まるで、ただ長い夢を見ているだけのようだった。
ルーシーは毎日、エドの傍にいた。
あの夜のことを、何度も思い返す。
押さえつけられた瞬間、爆発した力。
妖狼族の兵士を、軽々と吹き飛ばした。
あれは、人間の子供の力ではなかった。
「……何が起きてるの、この子に」
呟いても、答えは返ってこない。
セリーヌも首を傾げるばかりだった。
「アルタナスに戻れば、何か分かるかもしれない」
それしか、言えなかった。
◇
エドが眠り続ける間、グランディでは別の動きがあった。
審理が終わった日。
セリーヌは民衆の前で、一枚の書類を掲げた。
「グロリア公爵について、全ての記録を公開します」
広場の掲示板に、文書が貼り出された。
彼女が守った者たち。
彼女が背負った汚名。
彼女が本当にしてきたこと。
「これを読んだ上で、なお処刑を望むなら——」
セリーヌは静かに言った。
「私も、異論はありません」
◇
数日後。
王都郊外の収監地に、民衆が集まった。
怒号はなかった。
石も、罵声も、飛んでこない。
彼らの願いは、ただ一つ。
「公爵の釈放を」
◇
パリン。
鎖が外れる音。
グロリアは、信じられないという顔でセリーヌを見た。
「……何をした」
「何も」
「嘘をつくな。何か魔法でも——」
「いいえ」
セリーヌは首を振った。
振り返り、集まった民衆を見る。
「これは、彼らの選択よ」
グロリアは言葉を失った。
視線の先、民衆が頭を下げている。
涙を浮かべている者もいた。
「……そうか」
グロリアの声が、震えた。
「そう、か……」
◇
出立の朝。
王宮の門前。
グロリアとセリーヌが向かい合う。
「また来るか」
グロリアが問う。
セリーヌは微笑んだ。
「この国が変わった頃に」
「約束だぞ」
「ええ」
二人の手が、交わされた。
短い握手。
だが、そこには確かな重みがあった。
.........
セリーヌは、王宮を去ろうとして——足を止めた。
「どうした」
「少し、寄りたい場所があるの」
振り返る。
「裏庭へ」
グロリアは眉を上げたが、何も言わなかった。
ただ、頷いた。
◇
王宮の裏庭。
風が、花びらを舞い上げていた。
大きな木の下。
二つの墓碑が、並んでいる。
一つには、名が刻まれていた。
カロリーヌ。
もう一つは、無銘。
だが、セリーヌは知っている。
そこに眠るのが、誰なのかを。
「……」
手を合わせる。
目を閉じる。
言葉はない。
ただ、静かに祈る。
風が、髪を揺らした。
その時——
ブォォォン。
轟音が、空を震わせた。
見上げる。
紫黒の鱗。二つの首。巨大な翼。
双頭竜が、裏庭の上空に舞い降りてきた。
「セリーヌ様ー!」
フィリスが、竜の背から手を振っている。
「いつまで待たせるんですかー!」
スレイアは腕を組み、不満げに鼻を鳴らした。
「まったく。感傷に浸るのも程々にしなさいよね」
セリーヌは苦笑した。
墓碑に、最後の一礼。
そして、跳んだ。
軽やかに宙を舞い、竜の背に着地する。
「お待たせ」
「遅いですわよ」
スレイアが文句を言う。
だが、その目は笑っていた。
双頭竜が翼を広げる。
一声、高く吼えた。
風が巻き起こり、花びらが舞い散る。
そして——空へ。
グロリアは、門前に立っていた。
遠ざかっていく竜を、見上げている。
やがて、それは空の彼方に消えた。
「……また会おう」
呟きは、風に溶けた。
◇
郊外の森。
蒼月魔導団の陣営は、すでに撤収を終えていた。
ルーシーは、エドを背負っている。
小さな身体。軽い重み。
だが、その重さが、今は何よりも大切だった。
空から、羽音が聞こえる。
見上げると、双頭竜が頭上を通過していく。
合図だ。
「出発よ」
ルーシーが振り返り、隊列に告げた。
騎獣たちが動き出す。
整然と、森を抜けていく。
ルーシーは、背中の温もりを感じていた。
規則正しい呼吸。
穏やかな寝息。
「大丈夫」
「アルタナスに着いたら、きっと治してあげる」
答えはない。
だが、ルーシーは前を向いた。
長い旅が、始まる。
◇
闇。
そして、光。
エドは、立っていた。
見覚えのある丘。
青い空。
風が、草原を撫でていく。
丘の下には、小さな村。
煙突から、煙が上がっている。
「……なんで」
声が漏れた。
「なんで、俺は——」
ここに、いるんだ。
風が、優しく吹いていた。
グランディ帝国編――おわり
【ブックマーク登録で、更新を見逃さず読めます】
少しでも「楽しめた」「ざまぁに期待」と思っていただけたら、
ページ下の【★★★★★】にして評価いただけると、泣いて喜びます!
ブックマークとあわせて、ぜひ応援よろしくお願いします!




