第28話 言えなかった「ありがとう」
ルーシーは、鉄格子の前に立っていた。
薄暗い房内を見つめながら、記憶が蘇る。
◇
聖・ポカドス山脈。
初夏の風が、森の梢を揺らしていた。
木漏れ日の中で、二人の姉妹が向かい合う。
「またしばらく旅に出るの?」
タリアは困ったように笑った。
「落ち着きがないって、よく言われるわ」
その時だった。
「タリア姉さんー!」
少年の声が森を駆ける。
タリアの表情が、ふっと変わった。
「ほら、呼ばれてる」
ルーシーは肩をすくめた。
タリアは軽やかに振り返り、走り出す。
その先にいたのは、まだ幼い少年。
細い指で、彼女の手を掴む。
無邪気に笑う。
そして、タリアは——
これまで見たことのないほど、柔らかく微笑んだ。
ルーシーは、その光景をただ見ていた。
あれが最後になるとは、思いもしなかった。
◇
翌年。
グランディ帝国が侵攻したという報が届いた。
胸の奥に、嫌な予感が沈んだ。
朝霧の中、ルーシーはスレイアとともに村へ向かった。
辿り着いた場所に、声はなかった。
煙も、叫びも、もうない。
あるのは、黒く焦げた地面と、崩れた家屋だけ。
焼けた匂いが、風に混じっている。
生存の痕跡は、ひとつもなかった。
裏山に、小さな墓標が並んでいる。
名を刻んだ石の前で、ルーシーは足を止めた。
視線が、そこに落ちる。
——タリア。
指先が震えた。
声は出なかった。
世界は、音を失ったように静まり返っていた。
◇
それからの日々は、ほとんど記憶がない。
気づけば三年が過ぎていた。
村を焼いた者の名を知った。
ルグナ・アタナディ。
その名を聞いた瞬間、心に残っていた何かが形を持った。
復讐!
それだけが、足を前に出させた。
本来、討伐は妖狼族の先鋒と王騎のみの出陣だった。
だがスレイアが自ら志願した。
理由は言わなかったが、ルーシーには分かっていた。
感謝している。
そして、決着をつける覚悟もあった。
仇の首を、妹の墓前に捧げると。
そう、思っていた。
◇
だが。
処刑台に立っていたのは、ルグナではなかった。
幼い顔をした少年だった。
あの日、森で見た——あの子。
彼は叫んでいた。
自らの罪を、全て背負うかのように。
あの年頃で、背負うには重すぎるものを。
ルーシーの胸に、形の違う痛みが走った。
自分は何をしていたのか。
三年の間。
復讐を誓いながら。
結局、彼に全てを背負わせてしまった。
◇
スレイアの傷の応急処置を終えた夜。
戒律の杖による創傷は、通常の治癒魔法では塞がらない。
出血だけを抑え、安静を命じる。
報告を済ませた後。
ルーシーは、ひとり城下の拘置塔へ向かった。
理由を、うまく言語化できなかった。
ただ——
会わなければならないと思った。
◇
鉄格子の向こう。
薄暗い房内に、月光が差し込んでいる。
風を裂く音がした。
ヒュン、と。
少年は、藤の枝を剣のように握っていた。
荒い動きだった。
力任せに振るい、踏み込みが不安定で、何度も体勢を崩しかける。
それでも、止まらない。
何かを振り払うように。
あるいは、自分を削るように。
月光が、その横顔を照らしていた。
涙の跡が、乾いている。
やがて足を滑らせ、床に膝をつく。
それでも枝を離さない。
肩が、小さく上下している。
ルーシーは、しばらく声をかけられなかった。
彼が背負ったものを思うと。
軽々しく、何も言えなかった。
——ありがとう、と。
その一言を告げるために来たはずなのに。
口の中で、言葉が乾いていた。
だが、足は動かなかった。
ただ、そこに立っていた。
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