第20話 檻の中の墓標
暖かい。
瞼の裏が、ぼんやりと明るい。
干したばかりの布団の匂い。すぐ近くにある、誰かの体温。
(……朝か)
もう二度と戻らないはずの、懐かしい感覚。
……重い。
息を吸おうとしたのに、胸が動かない。
指先の感覚が遠い。身体がどこにも繋がっていないような浮遊感。
上に、誰かいる。
顔が近い。
サラリと髪が揺れて、頬を撫でた。
タリア姉さん――そう思った瞬間。
違う、と気付く。
目が、ない。
口も、ない。
のっぺらぼうの白い面が、ゆっくりと近づいてくる。
首に、冷たい指がかかった。
力は強くない。
なのに、空気が入ってこない。
視界の端で、窓が見えた。
月がある。
赤い。
血のような緋色の月が、異様に近くに――。
◇
「――ッ!?」
喉が焼けるように熱い。
エドは弾かれたように上半身を起こした。
「ハァッ……ハァッ……」
肺が空気を求めて痙攣する。
全身が嫌な寝汗で濡れていた。
天井は石。壁も石。
手首には、青白く発光する魔封じの拘束紋。
窓を見る。
月は青白かった。赤くはない。
(……夢か)
ズキリとこめかみが痛む。
(さっきまで、何を……?)
頭の奥が軋む。何かを見たはずなのに、思い出せない。
無意識に、手が腰へ伸びた。
何もない。
(――ない!?)
心臓が跳ねた。
エドは慌てて粗末なベッドから転がり落ちた。
這いつくばって、床の隅々まで目を凝らす。
「ない……なんで……どこだ!?」
鉄格子の向こう。
見張りの妖狼族兵士が振り返った。
「どうした」
「兵隊さん! 俺の腰にあった……『あれ』を知らないか!?」
エドの声が震えている。
「あぁ、あれか」
「総帥閣下が、箱に入れて保管しておけと」
(箱?)
「どこだ!? どこにある!?」
「お前の寝台だ。すぐそこにあるだろ」
エドは振り返った。
確かに、ベッドの脇に見慣れない木箱が置かれていた。
エドは慌てて箱に駆け寄った。
蓋に手をかける。
少しだけ開ける。
鼻腔を突く、濃い鉄錆の臭い。
中には、首級が全て収められていた。
一つも欠けていない。
「はぁ……」
膝から力が抜けた。
その場にへたり込む。
(よかった……捨てられてなかった)
胸の奥で切れかかっていた糸が、辛うじて繋ぎ止められた感覚。
安堵と共に、疑問が湧く。
(兵士は言った。『総帥閣下』が箱に入れたと)
あの黒髪の女性。
セリーヌ。
脳裏に、彼女の表情が浮かぶ。
冷徹な眼差し。部下に向ける信頼。そして、自分に向けられた怒り。
あの平手打ちの熱さが、まだ頬に残っている気がした。
「……失望させたよな、きっと」
………
ガン、ガン。
格子を叩く。
「……なんだ、まだ何かあるのか」
「石ころとか、炭とか……何か書けるものはないか?」
兵士が眉を寄せた。
「おい小僧、まだ懲りねぇのか。そんなもんで脱獄はできねぇぞ」
「違う」
エドは首を横に振った。
「今日は……故郷のみんなの命日なんだ」
「本当なら、この首を持って墓に供えるつもりだった。でも今は帰れないから……」
エドの目が、少しだけ伏せられた。
兵士は数秒、無言でエドを見つめた。
「……貸すだけだぞ」
腰のポーチから金属棒を取り出し、格子越しに差し出した。
「それは?」
「俺たちが使ってるペンだ。字も書けるし、印もつけられる。明かりにもなる」
「……ありがとう」
エドは金属棒を受け取った。
ひんやりとしているが、握りしめると先端が蛍のように淡く発光した。
(魔法か? それとも何か別のものか?)
エドは壁に向かった。
一番奥の、冷たい石壁。
ペンを走らせる。
『師匠 ミューザ』
線が震える。文字が歪む。
『姉 タリア』
書くたびに、呼吸が浅くなる。
『鍛冶屋 マーク』
『パン屋の ハンナおばさん』
手の震えが、止まらない。
やがて、壁一面が文字で埋め尽くされた。
エドはその壁の下に木箱を置いた。
蓋を開け、首級を壁の名前を見上げるように並べる。
エドは正座し、手を合わせた。
目を閉じる。
長く、長く、息を吐き出した。
静寂。
カツン、カツン、カツン。
固い靴音が響いた。
規則正しく、迷いのない足音。
広く冷たい監獄の通路に、その音だけが反響して近づいてくる。
エドはゆっくりと目を開けた。
分かっていた。
この足音を刻めるのは、一人しかいない。
(……こんな夜更けに、何の用だ?)
【ブックマーク登録で、更新を見逃さず読めます】
少しでも「楽しめた」「ざまぁに期待」と思っていただけたら、
ページ下の【★★★★★】にして評価いただけると、泣いて喜びます!
ブックマークとあわせて、ぜひ応援よろしくお願いします!




