第47話 言葉なき密議
「……そんな、お母さま……!」
マヤの顔から、血の気が引いていく。
よろめきかけた身体が、次の瞬間、弾かれたように祭壇へと駆け出した。
「マヤ!」
聖女たちが慌てて前に出る。ソルメロスも咄嗟に手を伸ばした。
「いや……っ、お母さまを返して……! 放して、放してくださいっ、ソルメロス様……!」
マヤは祭壇の縁にしがみつき、白布の端を握り締めた。
ソルメロスが背後から、その震える肩を抱き留める。
「気持ちは、分かる。……だが、私とて、オフィーリアをこのまま無駄には死なせない。だから――落ち着きなさい、マヤ。マヤ……?」
マヤの呼吸が、次第に浅く、途切れ途切れになり――やがて糸が切れたように、ソルメロスの腕の中へ崩れ落ちた。
「マヤ? しっかり……!」
額に当てられたソルメロスの掌から、淡い金光が滲み出る。
張り詰めていた少女の肩から、ごく僅かに力が抜けた。
「……休ませてあげて。一人にしないように」
「はい」
マヤを抱え上げた聖女たちが、足早に祭壇を後にする。
セリーヌは、その後ろ姿を黙って見送った。
◇
聖殿の広間。
セリーヌたちが戻ると、奥から月怜とソラフィアも姿を見せたところだった。
「……如何でした」
縋るような老婦人の声に、セリーヌは一拍、短く息を吐いた。
「オフィーリアの魂は、応えなかったわ。まるで――最初から、何処にも無いように」
錫杖の聖環が、かすかに鳴る。
ソラフィアの身体が、ゆらりと大きく傾いだ。
「猊下――!」
月怜が咄嗟にその腕を支える。ソルメロスも歩み寄り、老婦人の手首に触れた。淡い金色の光が、静かに流れ込んでいく。
「……気分は」
「……ありがとう、ございます。メロス様」
やがて息を整えたソラフィアが、震える手でセリーヌとソルメロスの手を取った。
「セリーヌ閣下……ソルメロス様。どうか、あの者を見つけてくださいませ。たとえ、あの子の魂が――もう、戻らずとも」
老婦人の唇が、血が滲むほど強く引き結ばれる。
「あの子に、大司教としての……最後の尊厳だけは」
セリーヌは、その老いた手を確かに握り返した。
「お約束するわ」
◇
聖殿ラティス。その外縁。
「……この件、しばらくは伏せましょう」
「ええ」
セリーヌが、ソルメロスを見る。ソルメロスも、静かに頷き返した。
それ以上、言葉を交わす必要はなかった。
頭上から降りた淡紫の光柱が、セリーヌと月怜の身体を包み込む。
次の瞬間、二人の姿は雲海の中へと溶け消えた。
◇
アストサルドの船内。
操縦室の前で、テレサが振り返った。
「シルウィード公爵閣下。この後は、モネイアラ様のもとへ? それとも、公都アクリスタへ?」
「アクリスタへ戻して。……二人で話せる部屋はある?」
「ございます」
テレサが恭しく頭を下げる。
ほどなく案内された客室で、扉が音もなく閉じる。外の足音が完全に遠ざかってから、セリーヌはようやくソファに腰を下ろした。
「現場は」
「予想と、少し違いました」
向かいに座った月怜の声が、いつもより冷えている。
「秘典の書庫には、守衛が立っていました。オフィーリア大司教は――ご自身の足で、書庫へ向かわれたそうです」
「……一人で?」
「『確認したい事がある』と。それきり、出てこられなかった」
「発見は」
「三日後です。守衛が異変を察して立ち入り、書庫の奥で倒れているのを」
セリーヌが、しばし黙考する。
「内部の様子は」
「乱れていません。争った跡も、破壊された跡もない。書架の位置すら、ほとんど動いていない」
セリーヌの指が、肘掛けをこつん、と叩いた。
「……オフィーリアの実力は、フィリスにも劣らないはずよ」
「ええ。抵抗の痕跡が、何一つない。それで一撃で命を奪われるなど――考えにくいかと」
短い沈黙が落ちる。
「あの数日、書庫に出入りした者は」
「記録上、オフィーリア大司教お一人だけです」
セリーヌは、答えなかった。
密室。無抵抗の死。破壊された頭部。奪われた秘典。そして――消えた魂。
パズルのピースは揃っている。だが、どれだけ思考を回しても、致命的な違和感が形を結ばない。
「……セリーヌ様?」
「月怜。連邦の中で、痕跡も残さず、私たちに察知すらさせず――魂を抜き取れる者がいるとしたら、誰が思い浮かぶ?」
月怜の眉が、寄った。
「連邦内、ということでしたら……」
しばし、考え込む。
「スレイア様。そして、王騎の中であれば――辺境守備のディスブローニ。ノーストン城主の御言……」
そこで、声が止まった。
口を薄く開いたまま、月怜は次の一言を出さない。
セリーヌは何も言わなかった。ただ、氷のように静かな視線で、月怜を見据えている。
月怜が、深く目を伏せた。
「……承知いたしました」
◇
アクリスタ。シルウィード城、東塔の発着場。
アナスは発着場の縁に立ち、空を見上げている。
やがて、銀白の光が音もなく夜空を裂いた。
流線型の機影が塔の上空に静止した瞬間、アナスの目が見開かれる。
「これは……」
淡紫の光柱が、発着場の中央に降りた。
光の粒子が寄り集まり、セリーヌと月怜の姿が現れる。
次の瞬間、アストサルドの機体表面に魔導紋様が一閃し――銀色の流星となって、夜空の彼方へ消えていった。
「これが……モネイアラ様の、最新の作品ですか」
その軌跡を見送りながら、アナスが呟いた。
「鉱山三つで、十機と向こう数年の整備権。悪い取引でもないでしょう」
「……モネイアラ様も、つくづく食えないお方で」
月怜の口元に、苦笑が滲んだ。
「……では、私はこれで」
「ええ。アナス、途中まで送ってあげて」
「はい」
◇
「……随分と、落ち着いたのね」
アナスが、少しだけ目を見開く。
「お師匠様に、そう言っていただけるとは」
しばらく、二人の足音だけが夜の回廊に響いた。
「それでも、私は……お師匠様の絶技を、最後まで継げませんでした」
「……あれは、あなたのせいじゃないわ」
「分かっています」
アナスが、薄く微笑んだ。
「ただ、時々。少しだけ、惜しいと思うのです」
夜風が、回廊を渡っていく。
月怜の、袖に隠れた手が、ほんの少しだけ握り込まれた。
「……ですが。もしかしたら、継げる方が、いるかもしれません」
月怜の足が、止まった。
ほんの、一瞬。
「……本当に?」




