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『人類を裏切った少年、魔族の総帥に拾われる』 ~国を毒殺して処刑されるはずが、深淵の力で魔界の英雄(?)に成り上がるようです~  作者: M—mao
公都・剣閣編 ~宴と誓いの章~

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第46話 消えた魂

三人の聖女が語り終えても、しばらく誰も口を開かなかった。

室内には、すっかり冷めた茶の微かな香りだけが残っている。


末席の聖女が、とうとう肩を震わせた。堪えきれず、涙が膝に落ちる。


「……酷すぎます」


月怜げつれんもまた、袖の内で深く指を握り込んでいた。


セリーヌはすぐには答えない。

肘掛けに指を添えたまま、静かに目を伏せ、やがてモネイアラへ視線を向けた。


「どう見る?」


カップを置いたモネイアラの顔から、いつもの気怠い笑みが消えている。


「オフィーリアをあそこまで容易く殺せる者は、連邦にもそう多くないわ。私たち四公爵か、あなたの王騎。そのあたりね」

「でも、私たちが動くならオフィーリアは狙わない。側近を一人殺したところで、エルサファオを警戒させるだけ。割に合わないわ」

「では、秘典が目的か」


セリーヌは呟き、すぐに小さく首を振った。


「……それも違う」


頭部を破壊された遺体。盗み出された秘典。

痕跡すら残さない手際でありながら、やっている事の筋が通らない。

書が目的なら、遺体をあそこまで破損させる意味がない。殺しが目的なら、わざわざ書を持ち去る理由がない。


「サンドラが前に報告していた件と――」


月怜が顔を上げた。

だが、セリーヌは答えない。肘掛けの指が、ゆっくりと閉じられる。


何かが、近づいている。

けれどまだ、形を成してはいない。





冷たい窓硝子ガラスに、セリーヌは手を添えていた。

アストサルドの展望窓。夜空の下、厚い雲海が果てまで続いている。月光は雲の裏に沈み、その奥に、巨大な建造物の輪郭だけがおぼろに浮かんでいた。


背後で、変装した聖女の一人が目を閉じる。

胸の前で両手を重ねると、淡い金光が指先を走った。


「ソルメロス様と連絡が取れました。聖殿ラティス外縁、第三聖環へ。通路を開いてくださるそうです」


セリーヌは振り返らず、迫ってくる雲海を見据えたまま短く頷く。

やがて、前方の雲層に金色の紋様が広がった。


機体が小さく震える。

次の瞬間、視界のすべてが金色の光に呑まれた。





光が晴れると、白い列柱が遥か先まで続いていた。

回廊の外では雲の海が翻り、丸天井からは星の光が絹糸のように降り注いでいる。


「セリーヌ?」


奥から、小さな足音が近づいてきた。


「……どうして、ここに」


姿を見せたのは、子供ほどの背丈の影。

けれど、その面差しに幼さはない。静かな表情の奥に、疲労と悲しみが深く沈殿していた。


「私だけ何も知らないまま、というわけにはいかないでしょう」


セリーヌの言葉に、ソルメロスは何か言いかけ――結局、目を伏せた。


横手から、ゆるやかな足音が重なる。


「遠路、よくぞお越しくださいました」


白金の長衣に身を包み、銀髪を結い上げた老婦人が、錫杖しゃくじょうを手に歩み寄ってきた。深い皺の奥に、若き日の気品がまだ残っている。


「ソラフィア猊下げいか……」


セリーヌの目が、かすかに揺れた。


「孫娘の件で、公爵閣下にまでご足労いただくとは。面目もございません」


その笑みは、あまりに苦い。

月怜の表情も静かに沈む。


ソルメロスが三人の聖女へ視線を向けた。


「聖女院へ戻りなさい。戻ったことは、誰にも知られないように」


三人は無言で頭を下げ、側廊の奥へ消えていく。

その背を見送りながら、セリーヌが低く零した。


「……自分の聖女まで、隠さなければならないのね」


ソルメロスは、すぐには答えなかった。

長い沈黙の後、噛み締めるように口を開く。


「聖殿の結界は、鳴らなかったわ」

「……そう」


傍らで、ソラフィアが顔を伏せた。


「この聖殿で、あの子にあんな真似ができる者がいるなど……」

「本来は、モネイアラに伝言を託すだけのつもりだった。あなたが直々に来てくれるとは」


ソルメロスが言葉を継ぐ。


「伝言で済む話ではないでしょう」


セリーヌが短く遮った。

ソルメロスは目を伏せ、それからふと尋ねる。


「……モネイアラは?」

「あの人のことだから、もう自分で動いているわ」


ソルメロスが、わずかに苦笑した。


「遺体は?」

「祭壇に。聖女たちが交代で見守っている」


セリーヌは少しの間を置き、低く告げた。


「――『死魂還し(しこんがえし)』を試したい」


その言葉が落ちた瞬間、ソラフィアの錫杖についた聖環がかすかに鳴った。


「あの術式を用いれば……あの子の亡骸は……」


老婦人の唇が震える。


「ええ」


セリーヌは、視線を逸らさなかった。


「だからこそ、ご親族の意思を伺いたい」


ソラフィアは目を閉じた。

錫杖を握る老いた指が、ゆっくりと締まっていく。


長い沈黙。

やがて、彼女は小さく息を吐いた。


「……どうか、お願い致します」


声が震えている。


「あの子に、まだ伝えるべき言葉があるのなら。この老いた耳で、聞いてやりとうございます」


セリーヌは静かに頷いた。

ソルメロスも目を閉じる。次に開いた時、その瞳には光が戻っていた。


「やりましょう」

「月怜。現場を見てきて」


セリーヌの言葉に、月怜は無言で頷き、ソラフィアと共に白い霧の奥へ消えていく。


「祭壇へ案内するわ」


ソルメロスが手を上げると、足元から金色の光が波紋のように広がった。


光が晴れた時、二人は祭壇の前に立っていた。

白金の高柱が四方を囲み、刻まれた聖紋の上を淡い光がゆっくりと流れている。中央では、数本の聖火が音もなく燃えていた。


守衛の聖女たちが深く頭を下げる。

ソルメロスは手を上げ、それを制した。


セリーヌの視線が、祭壇の中央へ向かう。

白布が、不自然にくぼんでいた。端には、乾いた暗色の染みが滲んでいる。


セリーヌの眉が、わずかに寄った。


祭壇の傍らには、若い少女が立っている。

目元は赤く腫れ、裾を握る指は白く強張っていた。


ソルメロスの足が止まる。

静かに歩み寄り、何も言わずに少女の頭へ手を置いた。


「ソルメロス……様」

「マヤ。お母様の死の真相を、知りたいの」


マヤが、涙の滲んだ目を上げた。


「セリーヌに術式を頼んだわ。一時だけ、お母様の魂を呼び戻すためのものよ。ただし……その代わりに――遺体は残らない」

「……え?」

「魂を呼ぶために、術式が遺体を喰らうの」

「嫌っ!」


叫びが祭壇に響いた。

守衛の聖女たちが、揃って身をすくませる。


「お母様、もうあんなお姿になっているのに……亡骸まで残らないなんて……!」

「マヤ。つらいのは分かっている。でも、真相に辿り着くには――」

「真相……?」


少女の視線が、不意に揺れた。

セリーヌへ。


「だって……その方は、魔族の方ではありませんか! お母様の事件に関わっているかもしれないのに……証拠を消しに来たんじゃないんですか……!」

「マヤ」


ソルメロスの声が冷えた。

守衛の聖女たちまでが反射的に俯く。


「セリーヌに謝りなさい」


少女の拳が震えていた。

長い間のあと、マヤはセリーヌの前へ進み出る。


「……申し訳、ありませんでした」


セリーヌは、その少女を見下ろした。

少しの沈黙の後、膝を折る。


「そう思われても、仕方ないわ」


マヤの指先が、かすかに震える。


「あなたに酷なことを頼んでいるのは分かっている。それでも、私も、魔界の者も、こんな真似はしない。それだけは信じて」

「……」

「すまない」


ソルメロスが低く呟いた。


「いいの」


セリーヌは、白布の下の遺体へ視線を戻す。

ソルメロスの目の奥には、抑え込んだ痛みが滲んでいた。


「それでも……試してほしい。あの子を、このまま無駄に死なせたくない」


セリーヌは一拍置いて、頷いた。


「分かったわ」


祭壇へ向かう。

聖女たちが、無言で道を開けた。


遺体の前で、セリーヌは目を閉じる。

その時、ふと視界の端にマヤが映った。

ソルメロスの傍らで、まだ俯いている。けれど、その肩は先ほどよりも速く上下していた。


セリーヌは視線を戻す。

指先を唇に当てた。歯が、皮膚を裂く。


血が宙に浮いた。

落ちない。意志を持つように広がり、祭壇の縁に深紅の環を描いていく。


聖火が揺れた。

聖女たちの顔から血の気が引く。ソルメロスの眉が寄った。


詠唱が紡がれる。

低く、古く、深い闇の底から這い上がるような響き。


「――れい


深紅の光が、祭壇の下から立ち昇る。

白布の端が、見えない風に揺れた。


セリーヌは指先を遺体へ向ける。


「――かん


赤い光が、一気に広がった。

その瞬間。


セリーヌの瞳孔が、細く収縮した。


「セリーヌ?」


セリーヌは目を細め、もう一度、底知れぬ集中力で術式を探った。


「……どうしたの」


セリーヌが、ゆっくりと顔を上げる。


「――どういうことだ」

「え?」

「オフィーリアの魂が……ここにない」


祭壇から、聖火が揺らぐ音すら消えていた。

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