第45話 儀典の行方
裏庭の草地に、二人は並んで座っていた。
エドは少し俯いている。目元がまだ赤く、声も、かすかに掠れていた。
「……なんか、何もうまくいってない気がする。いつも、誰かに心配かけて」
ルーシーは何も言わず、エドの肩をそっと引き寄せた。
身体が一瞬、硬くなる。だが、離れなかった。
「まだアルタナスに来たばかりだもの。すぐに慣れなくて、当然よ」
「でも……」
「来る前にね、セリーヌ様にあなたのこと聞いたの。城の子たちとはすぐ打ち解けたって。でも、見習いなのにいつも予想外のことをしでかすって」
「それ、たぶん迷惑のほうが多い……」
「ふふ。名門校の元男子首席と、現学生会長を、両方怒らせたって聞いたわよ」
「現学生会長?」
「ユニティア家の子。あれだけの体格差で、あなたは引かなかった」
「……あの女」
エドの指先が、きつく握り込まれる。
「無茶はしないでね。今のあなたは、連邦中から注目されてるんだから」
エドはしばらく黙り――やがて、拳をゆっくり開いた。
「注目って言ったら、ルーシー姉さんの方がよっぽどだろ」
ルーシーが目を瞬く。次の瞬間、笑い声が漏れた。エドも、つられて笑う。
「ねえ。昼間の演出、なぜ来なかったの?」
「厨房で……忙しくて」
声が、小さくなる。
「でも、姉さんの歌声は聞こえた」
「どうだった?」
「すごく……特別だった。近いのに、遠いみたいで」
「……見たい?」
「何を?」
「姉さんの舞台。ちゃんと、目の前で」
「見たい!」
即答だった。言ってから、エドは再び俯く。
「……でも、チケット買えないし」
ルーシーが、口元を指で隠した。笑いを堪えている。
鞄から取り出したのは、淡い金色の光の紋様が走る薄いチケット。六枚。
「明後日、公都でもう一公演あるの。これは特別席」
「だ、駄目ですよ、こんな高価なもの――」
「最後まで聞いて」
言葉を遮る声は、優しかった。
「これは特別依頼の、正当な報酬。今夜の宴会料理、あなたと仲間たちが頑張って作り上げたでしょう? その対価よ」
エドは、六枚のチケットを見つめた。金色の光が、手のひらの中で揺れている。
「……うん」
小さな声。だが、さっきよりもずっと安らいでいた。
夜風が、草地を渡っていく。
二人はそのまま、もう少しだけ話し続けた。
◇
宴会場の回廊。
ネフリが戻ると、レーナがケーキの皿を手に、頬を膨らませていた。
「エドは?」
「知らないわ」
「知らない? 料理長がせっかくお祝いのケーキを作ってくれたのに、あの馬鹿どこ行ったのよ」
「疲れて先に戻ったんじゃない?」
「あたしたちは、まだ働いてるのに? 明日見つけたら、絶対お仕置きだから」
口々に「罰」を議論し始める班員たちを、ネフリは少し離れた場所から、苦笑しながら眺めていた。
その時。
宴会場から、大きな拍手が湧き上がった。
壇上に、サンドラとゲイノが並んでいる。最終入札の終了が告げられ、拍手が波のように広がっていく。
長い一日が、ようやく終わりに近づいていた。
「……やっと終わった」
ケーキを齧るレーナの隣で、ネフリは答えなかった。
その視線は、壇上の主賓席に向いている。
空席。
セリーヌも、月怜も、いない。
「……一晩中、セリーヌ様の姿を見なかったわ」
レーナが目線を追い、気づいたように呟く。
「言われてみれば……確かに」
数人が、顔を見合わせて口を噤む。
華やかな灯りが、主のいない空席を照らしていた。
◇
スティペロス領、南部クロヴァル城。外縁停泊区。
飛行体が夜空から降り、機体下方の淡い紫の光柱から、数人の影が地面に降り立った。
「ひどい夜だわ。せっかく着飾ったのに、まともに宴を楽しめやしなかった」
「鉱区も新技術も、ちゃんと手に入れたでしょう」
「当然よ」
セリーヌの淡々とした返しに即答して、モネイアラの視線が、ふと上空へ向いた。
夜空から、もう一つの機影が近づいてくる。先ほどの円盤型ではない。もっと細く、流線型で――刃のような鋭い輪郭。機体に走る魔導紋が、呼吸するように明滅していた。
「お望みの物よ。アストシリーズ最新試作機――『アストサルド』」
セリーヌの目が、一瞬止まる。
「テレサ。彼女たちを乗せてあげて」
「も、モネイアラ様……」
圧倒され、顔を引きつらせるテレサに、セリーヌは小さく息を吐いた。
「お願いするわ」
アストサルドから淡い光が降り、セリーヌたちを包む。光の中で、姿が薄れ――消えた。
魔導紋が、一斉に灯る。空気が、圧縮される。音もなく、銀色の光が夜空を裂いて飛翔した。
その光が雲に溶けるまで、モネイアラは静かに見上げていた。
「あの試作機を渡して、よろしかったのですか」
傍らの従者の問いに、モネイアラは歩き出しながら答える。
「材料と鉱源が安定すれば、二機目も三機目も時間の問題よ」
だが数歩で、足が止まった。
視線が、少し遠くなる。
◇
数時間前の光景が、蘇る。
シルウィード城、貴賓室。
入ってきたモネイアラ。その後ろの三人を、セリーヌは一目で見抜いた。
「なぜエルサファオの聖女を、こんな格好で連れてきたの」
三人の肩が、強張る。
「久しぶりなのに、挨拶もなし?」
髪を払い、モネイアラがソファに腰を下ろす。
「以前より、まともな格好をするようになったわね」
「あなたも、あの野暮な軍服をようやく脱いだのね」
モネイアラの笑みが、わずかに消えた。
「二人とも、いい加減にしてください」
横で、月怜が小さく息を吐く。
セリーヌが鼻を鳴らし、モネイアラはカップを手に取った。何事もなかったように。
「なぜ変装して、私の宴に?」
セリーヌの問いに、先頭の一人が半歩進み、深く頭を下げた。
「シルウィード公爵閣下。このような形でお邪魔して、誠に申し訳ございません。数日前、エルサファオで……取り返しのつかないことが起きました」
後方の一人が、手を白くなるほど握り締めている。震える声だった。
「大司教オフィーリア様が……殺害されました」
空気が、止まった。
セリーヌの呼吸が、一拍遅れる。月怜の目が、揺れた。
「そして、オフィーリア様が厳重に管理していた古代の儀典書――『異界勇者招来儀典』が、奪われました」
誰も、すぐには口を開けなかった。
三人の顔色は、蒼白だった。
「座りなさい」
モネイアラが、カップを静かに置いた。
磁器がテーブルに触れる、小さな音。
「こういう話は、立ったままでは終わらないわ」




